「赤と死神のクロ」第2話
「なあ、ずっとそこで蹲ってるつもりか?」
ワイトは三途の川を眺めている僕の背後から、少し距離を置いて話かけてきた。
「……」
今は一人でいたい。
「かれこれ2時間もずっとそこにいるじゃないか。あの人は、どっち道あそこで死ぬ運命だった。クロがあそこで殺したから、痛みも苦しみもなく死ぬことが出来たんだ」
そんなこと、分ってる。分った上で、それでも辛い。走馬灯を見るのが。見た後に、殺すのが。未練も怖い。あんな痛み、苦しみ、二度と味わいたくない。
「ほっといてくれよ」
そっけなく返す僕に対して、穏やかな口調でワイトは返答した。
「分かった……人にはペースってもんがあるからなクロのペースで無理なくやるのが一番だよな」
ワイトは、本当に良いやつなんだと心底思う。こんな僕にも、しっかり向き合ってくれて。
でも、今はその優しい言葉ですら、辛い。だから、今は話しかけないで欲しい。顔を伏せる瞬間、三途の川に僕の顔が反射した。
すると、ゆがんだ僕の顔を映した三途の川が分裂し、枝となって街の方へ伸びていった。ワイトはそれを見ると、僕の方を困ったような顔で見て言った。
「待ってるからな、俺は」
枝の伸びた方向へ、ワイトは飛び立って行った。
一人になり、三途の川を眺めている間ずっと、僕の頭にはぐるぐると、考えたくもない思考ばかりが巡り続ける。
死神は、人を殺すために存在している。殺した人の魂を、三途の川に流す。
そうしてこの世界は回っている。輪廻みたいな仕組みだって事は、僕でも何となく分る。そして人が死の苦しみを味わう前に、魂を抜いて楽にする。
それが死神の仕事。人の為に、そんなことは分っている。でも、分っていても。未練が怖くなくなるわけじゃない。
人を殺しても、なんとも思わなくなる訳じゃない。
「なんで、僕みたいな奴が、死神なんだ」
死神として、感じる必要の無い罪悪感に苛まれる。
何人もの女性を、嘘の愛でだましてきたあの詐欺師の人が、唯一愛したあの女の人。今頃、どうしているんだろうか。
きっと愛する人を失って、胸が引き裂かれるような思いを抱いているんだろう。そして、これからは只々、彼との思い出を時間の中に、少しずつ捨てていかなきゃいけない。
僕は、居ても立ってもいられず、詐欺師と、詐欺師の彼女がよく言っていた喫茶店に、様子を見に行くことにした。
やることなんて、これくらいしか思いつかない。
※
都内の街のはずれにあるこじゃれた喫茶店で、質素なこの店の雰囲気には似つかわしくない、やけにブランド品や高そうなネックレスを付けた小綺麗な女性が、ボーイッシュな服を着た友人の女性と談笑している。
「ここのコーヒー美味しいんだよね。人もあまり少ないし、落ち着けるし、あたしのお気に入りの場所なの」
ブランドのバッグを横に置きながら、笑顔で話す彼女に、友人はむすっと眉をひそめる。
「ねえ、気楽に喋ってるけど、あんた大丈夫なの?」
友人の女性は、険しい顔をして彼女を見つめた。
「大丈夫って何が?」
「だから……その、あんたの彼氏ほら……亡くなったって……」
言葉をこもらせ、彼女の様子をうかがいながら、友人は話題をふる。
「あー、あの人ね、いっぱいお金持ってたなー」
正義感の強い友人は、彼女の為に必死に怒りを抑え、唇をかみしめた。
……
「……あんた、まだ男から金貢いでもらってたの?」
少しだけ声を荒げる友人、だが、彼女は何も気にしていない。先ほど届いたコーヒーを飄々と飲み続けている。
……
「うん、純粋そうに振舞ってたら、いろんなもの買ってくれたの。働くより何倍も楽でマシ。遊んでお金がもらえるなんて、最高じゃない?」
……
「あの人良い人そうだったじゃん、お墓参りくらい行ってあげなよ……」
「でも多分、あの人もあたしと同じようなことしてる人だと思う。全然家とかに上がらしてくれないし。段々会話に紛れてあたしの貯金聞き出そうとしてきたし……しかもあいつ、詐欺引っ掛けた女に突き飛ばされて死んだらしいじゃん」
友人は拳を握りしめ、勇気を振り絞る。
「……あんたさ、そういうのもうやめなよ。小さいころからの仲だし……そろそろまともに働こうよ。あたしが仕事紹介するから……」
ドン!
と、彼女はわざと大きな音を立てて、威嚇するように飲んでいたコーヒーを置いた。
そして、友人の暖かい情のまなざしを、鋭く冷たい目つきで返す。
「ねえ、なんであたしが悪いみたいになってんの? 別にあの人が死んだのあたしのせいじゃないよね? 自分が詐欺にかけた女に突き飛ばされて死んだんでしょ? それってさあ」
……
「自業自得じゃない?」
……こんな奴
「こんな奴……殺してやる……」
僕は、口に出して何とか自分を奮い立たせようとした。奮い立たせなければ、たちまちこの熱は、時間の経過と共に、心に余分な灰を残して冷え切ってしまう。
「死んだからって好き放題言いやがって……絶対許さない!! 僕は、ちゃんと聞いたぞ!!」
躊躇している暇はない。
「殺してやる!」
自分の中の感情を肯定するため、再び声に出して叫んだ後、この女性の命を泣きものにするべく、僕は鎌をゆっくりと振り上げる。
僕が人を殺せるとしたら、今しかない。この怒りが静まらない内に、殺せ!!
殺せ!・・・・・・殺せよ・・・・・・。
「……何で、」
……振り上げた鎌を振り下ろすことなど、造作もないことであるはずなのに。
これほどまでにこの鎌は……重かったのだろうか。
僕の意志というものは、これほどまでに……軽かったのだろうか。
時間切れだ、熱が冷めていく。燃え切った僕の心の燃えカスは、灰となって虚しさを蔓延させる。
こんなに憎んだのに、こんなに怒ったのに、何で僕は……
「人を殺せないんだ……」
いよいよ、僕の死神としての存在価値も無くなった。
ここに来ても何も得ることはできずに、それを再確認しただけ。
鎌を強く握りしめていた両手から、力が抜けていく。振り上げた鎌は、手から滑り落ちる。
怒りや憎しみを抱いても、人を殺せないなんて。こんな僕が、何で死神に生まれたんだ。
こんな所に、僕は何をしに来たんだろう。何を期待して、こんな所に来たんだろう。
「……何で僕、ここにいるんだ……」
ぼそっとそう呟くと、僕は床に落とした鎌を拾いあげ、逃げるようにこの喫茶店を後にした。
それと同じタイミングで、しびれを切らした彼女の友人も、目に涙を浮かべながら、喫茶店にお金を払って出て行ってしまった。
「もう……知らない」
そう吐き捨てられて喫茶店に取り残された彼女は、ばつが悪そうな顔をしながら、届いたランチを口の中にほおばる。
「っ!……」
すると突然、彼女がランチを食べる手が止まった。
口の中に詰まっていた食べ物をボロボロとこぼし、彼女は気を失って、ばたんとランチの皿の上に顔をうずめて倒れこむ。
「……お客様?」
別の人のランチを運んでいた男性店員が、異変に気付き彼女に近づく。
「お客様、どうなさいましたか?」
店員が肩を叩くも、反応がない。様子がおかしいと、店員が彼女の体を強く揺さぶる。
「お客様!大丈夫ですか!」
その光景を、クロと同じ高校生くらいの青年が、不敵な笑みを浮かべて見つめていた。
「……ざまぁねぇな」
青年の背中には、まるで天使のような、美しい純白の翼が生えていた。
だが、天使ではない。彼の手に持つ大鎌が、彼の正体を物語っている。
青年は、喫茶店を背に飛び立って行ったクロを睨みつけて呟いた。
「ヘタレが」
そう一言呟くと、青年の顔にViと書かれた仮面が浮かび上がる。そして、クロとは反対方向の空へと飛び立っていった。
※
夕方。
女子高生が、一人で通学路を歩いていた。駅のホームで、クロとワイトが飛び立って行くところを見ていた女子高生。
だが、どこか様子がおかしい。
彼女は何故か、頭から足先まで、大雨に打たれたかのごとく水浸しになっていた。
直後、スマホの着信音が、学校から指定されたバッグから鳴り響く。
彼女は水浸しの手でスマホを取り出すと、何かに怯えているかのような、か細い声で電話に応答する。
「……もしもし」
「もしもしあかね?お友達と遊んでるところ悪いんだけど、今大丈夫?」
スマホの向こうから彼女、あかねの母親の声がする。
しかしいつもとはどこか違う。無理やり自分を落ち着かせて、優しげな声にしているような……。
あかねは、嫌な予感がした。
「……うん、大丈夫」
「落ち着いて聞いてほしいんだけど」
あかねの母親は話を続ける。
「おじいちゃん実は、数日前から病気が悪化してて、今日の朝お医者さんから連絡があったの、今日が……最後かもしれないって」
とぼとぼと歩いていたあかねの足が止まり、目に涙を浮かべて固まる。
「え、そんな……何で急に……」
「あなたに心配かけたくなくて、おじいちゃんが言うなって、おじいちゃん、あなたの事大好きだから……お友達と遊んでるところ悪いんだけど、今すぐおじいちゃんの為に、病院に来てほしいの……」
「……分かった、今すぐ行く」
あかねは通話を切ると、今来た通学路を走って戻って行った。
※
同時刻、死神界にクロが戻ってくるも、ワイトはまだ戻ってきていない
ワイトの向かった方向に伸びた一本の三途の枝は、いまだに残っている。
「ワイト、まだ帰ってきてないのか……」
クロが三途の川に近づくと、新たに三途の川から枝が分かれ始め、ワイトのいる方向とは反対方向に枝が伸びていった。
ワイトは今いない。つまり三途の枝の先の人を殺すのは。
「僕……」
枝の伸びる様子を、クロは何もせずに目で覆うと、三途の川の前に座り込み、頭を抱えて蹲った。
「嫌だ……行きたくない!!」
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