喫猫

猫を吸おう.
近年は分煙だ禁煙だなどと声高に叫ばれていて,いや私は愛煙者ではないから,別にそんなことは如何ってことはないのだが,そう,そんなこの令和6年に私はソリューションを提起するのである.猫を吸おう.

第一,あの毛でモサモサした腹に顔を埋めずにいられるものか.猫アレルギーだったり,犬派だったり,猫が嫌いな人もいるだろうからこればかりは仕方がないけれど,やっぱり猫好きとしては猫を吸わずにはいられないのである.

この衝動感を丁度良く言い表すのであればキュートアグレッションなのだろう.可愛い子を目の前にしたら強く抱きしめたくなるのはそんなの当たり前であって、それがショタだったりしたらもう尚更であろう.そんな具合に少し傷つけてしまいそうな具合な感情の発露と,理性の間に揺れ動いた挙句よくわからない暴挙に躍り出るのが人間なのだ.そんな苦悩に滲む愛おしさが,判りやすく,そう包み隠しずに顕になるのは,やはり一番に猫を吸う時なのではないだろうか.



家にいると,往々にして気が狂い始めてしまうから,時々に私はお外で夜会をする猫に話しかける.話題はいくらだってあるんだ,それがミニマリストと日本語の機能範疇の話だろうが,はたまた穂積憲法学の話だろうが,いつだって私のアパートの縁の下に住み着くバステト(勝手にそう呼んでいる)は「そんなこと、昔から知っているんだよ君」みたいな,哲学者みたいな顔をして此方を眺めているのだ.あぁ,もう彼女には勝てない.どんなに勉学に励み,日夜ゼミに奔走しようと彼女の可憐さには如何しようと抗えないのだ.

しかしそれでもあのバステトの腹に顔を埋めることは叶わない.彼女と私の間には,途轍もなく広く,冷徹な,社交的間合いが存在しているのだ.

やはり実家の猫が一番だ,そんな間合いなんか知ったこっちゃないと,ふざけた顔をして此方を睨んでくるのだから.

そうだ、猫を吸おう.
まだ今日は8回ほどしか吸っていないのだ.もうこれは中毒に近い.それがニコチンでも何でもなくて,あの独特な猫の腹の匂いなのだ.そうして,寝ている黒い生き物ににじり寄ったら,一瞥するなり何処かへと歩いていってしまった.

何でだよ.

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