無為徒食

ヘアアイロンの設定を180℃にして,縮毛したての少し軽くなった髪の毛を抑えるように巻いてみる.上手くカールが付かなくて,ああ,もう如何にもうまくいかない.

数日ばかりそんな具合だから,これにはもう何やってもダメっすわ,とばかりにげんなりしながらアイラインを引いてみる.

おしゃれは自分のため,なんてそれらしい言い方をしておきながらどっかで褒めてほしい気がして,その浅ましさと無駄な期待に嫌気がさした.鮮やかな追憶と鈍い痛みを,寂寞でかき消すと,もうそれは濁り酒のような緩慢な甘い思想に他ならなかった.

もう幾分か冬を想起させるような、そんな爽籟に重めのサイドバングを浮かしながら,手に触れてみる.

「冷たいね」
「ああ」

それだけで手を離した.握ってゐられるほど,心は穏やかではなかったのだ.

「あれだな,君,可愛くなったな,いいね」
「あ,そう?ありがと」

喉が思うように動かなくて,少し上ずりながらぶっきらぼうに返事をした.

夕暮れはもうすぐそこにいたから,ああ時間だ,帰ろうと立ち上がった.そうだ,歩かなくては.

月明りは随分と頼りないような気がしていたのに,今になってその灯りが幾らか明るく,まぶしく感じる.でも先行きを照らしてはくれなかった.

まだ,君が,寂寞が手元に灯っていて,それで足元を縋りつくように照らしてみる.しかし,まったくもってそれは暗闇だった.先の見えない暗闇を,手探りで進んでみようか.たとえその先が奈落でも,今ならそれは穏やかな希望かもしれないし.

「君はとっても素敵な人じゃないかい?」
「ほんとか」

からかうように,滑稽な振りで笑うのを見上げる.随分と上にある,朗らかな,無邪気な少年の笑顔が,それを下から見上げるのが如何にも好きで仕方がなかった.拳を,気が付かれぬように憎しみのままに握りしめてみる.秋霖まじりの冷ややかで湿った空気が,右隣りと距離を開けるように吹き込んだ.

すぐ手元に,隣に,何時迄もあると思っていた存在価値はもうどこにもなくって,誰か,この彩られた空白を埋めてくれ,塗りなおしておくれよ,と懇願してみる.ああ,もう救いなんてどこにもないんだ.素敵じゃないか.もっと,この涼しげで朗らかな秋風に酔歩蹣跚として踊ろう.ホップステップで.


あれはもう夜だった気がする.

なぜか近鉄側に用意されている新幹線の改札は,観光客でごった返していて,有明の熱狂的イベントを思わせるような有様で,丁度立ち止まることもかなわぬようであった.

強く,細くて白い左手を握って,無理にほほ笑んだ.

「じゃあね」

手元の二枚の切符は少し曲がっていて,私は泣きたくなるような思いで祈りながら,改札の口に叩き込み,そのまま逃げるように前へと駆け出した.急ごう,もう,後ろなんて見たくない.

たしなめるように,アナウンスが聞こえてきた.
「12番線に到着する列車は,のぞみ64号,東京行きです,当駅を出ますと,次は名古屋に止まります」


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