あるあるをナラティブにする Xデザイン学校ベーシックコース#7

脳内で何かが起きている

授業を受けている時に、急に昔の取材を思い出すようになった。

走馬灯を見ているとか、急に昔語を始める加齢現象とかではなくて。
「今聞いた話って、昔のアレと通じるところがあるような」と、急に引っかかるのだ。

授業前半でも「本業とこういうところが似ている?」とかは思っていたが、自分から繋げに行っていたというか、もっと大雑把なところで無理やりくっつけていたというか。

最近は脈絡なく思い出す。
しかもやけに具体的な場面だったり、具体的な企画趣旨だったり。

脳内が何かが再構成されている気がする。
それがどこに向かうのかは、わからないが。

あるあるとその変化を見つけ出す

今日の授業、冒頭の浅野先生のリフレクションで「UXリサーチは、隠れた“あるある“を探す力」と聞いた時に、急に昔書いた連載を思い出した。

大学生が「ぼっち」という言葉を使う場面の変化を書いた連載だった。
もう7〜8年前になるか。「ぼっち飯」という言葉が出始めた頃。

「ぼっち」という言葉は最初、一人でご飯を食べているところを見られたくなくて、トイレの個室で食べるなど、なかなか衝撃的なエピソードと共に広まった。「孤独を楽しめず、人の目を気にしすぎる今どきの若者は情けない」という上世代のdisりも、もれなくついてきた。
つまり、「ぼっち」は他人のかなり悲惨な状態を指す嫌な言葉として登場した。

少しすると「わたし全然友達多くないんですよ〜ぼっちなんで〜」と自分に使う大学生が出てきた。
随分カジュアルだ。ぼっちだと思われなくないわけじゃないの?
気になって、いつどういう時に「ぼっち」というのか、学生に聞いて回った。

なんのことはない。
他人に言われたら死ぬほど屈辱的だから、言われる前に自分から言って、笑いにする。バカと言われるのは傷つくから、自分から言うのと同じ。自己防衛だった。
というようなことを記事にした。

壮大な前置き。
今日の授業で聞いた、集団の「常識=あるある」が変わっていき、それを見つけ出す行為ってこういうことなのかなと思ったのだ。
こないだ聞いた電通の戦略プランナーは「違和感」という表現をしていたな。

確かにアレは、インタビューで聞いたらわかる代物ではない。
大学生とずっと接していて、本当に脈絡なく、ふと気付いた。
本人たちがそう言ったわけでもない。
そういう気付きからスタートした企画は、不思議と人気があった。

しかし。
「イノベーションによって起きたあるあるの変化にいち早く気づき、サービスにする」
書くと1文なのだが、アンテナの範囲や情報処理のスピード、途方もない。
どう考えても私には「時代の最前線に居続けること」は向かないので、私なりの場所、私なりの洞察、私なりの活かし方を見つけていけばいいと思う。

ちなみに。
あるある界で私が大好きなのは、藤井亮とロバート秋山。
なんでそのニュアンスを見つけてくるの、絶対おかしいのに自然に見えるの。
天才やろ。

ナラティブと人の根源

と、若干脱線しながら授業を聞いていたら、今度は「ナラティブ」と「ストーリー」の話。

事件事故などファクト情報だけを並べた速報記事はストーリー。
共感を呼んだり、「私もこうだった」と思わずTwitterに投稿したくなる記事がナラティブ。
実は私は2種類の記事を書いていたのかもしれない。
すごいな。過去が再編されていく。

「人間の文化的営みは全てナラティブ」
これも含蓄が深い言葉だなあと。
コテンラジオの深井さんがマルクスあたりの回で「人間はナラティブでしか現実を理解できないのかも」といった趣旨のことを言っていたなあ。

その辺は、人間が世界を認識する、根本部分に関わるのかもしれない。
その見えないあるあるを見つけ出し、「こういうものでは?」とうまくナラティブにした時に「あーそれ!」になるのだろう。
確かに研究っぽい。

哲学だって、ずっとそういうことをしていたのではないだろうか。
知らんけど。

「人とは何かの洞察」「人の幸せとは何か」と浅野先生が言う時に、ものすごく力が入る理由がなんとなくわかった気がする。
(先生、違ったら無視してください)

事業モデルと収益モデルは同じではない

スピンアウト講座を含め、Xデザイン学校では、ビジネスアイデアを出す機会が何回かあった。
いずれも、私は「○○で困っている」と思ったら「○○がなくなる」策を考えている。
「お金がない人にお金をあげる」と同じ。
少しはひねれ。

今日改めて「事業モデルと収益モデルが違うのがDXビジネス」という話を聞いて。
それがデザインかあと。

○○を○○のまま取り組むのなら、今やっているこの壮大な学習は必要ない。
一つのビジネスの中で、二つのものを違和感なく同居させ、形にする。
ノーデザインなアイデアを出していたんだなあ、ということくらいは気づけるようになった。

事例で出ていた「食わず嫌い王」も、「みんな食わず嫌いはあるのにその話はしないよな」と気づいて、「私はこれが嫌いですっていう話をしよう」という企画にしたら全然面白くない。「大好きです〜って言いながら大嫌いなものを食べて、嫌いを当て合う」という仕掛けにしたから面白かった。

アクティビティシナリオ/インタラクションシナリオ

今までの授業で一番理解しやすかったかもしれない。
作り出した価値を具体に落とし込む、いたってロジカルな作業。
論理的に考えるのが好きなバリバリ左脳人間なので、快感すらある。

日常業務でやっている要件定義って、言葉はいかついけれど、「こういうの作りたーい」というふんわりな思いつきの集合であることも少なくない。
いつの間にか謎の機能が紛れ込んでいることもある。
価値と具体をつなぐ変換作業をきちんとやらないと、ドキュメントの形式だけは整っているが支離滅裂なものになるのって、こういうところがちゃんとしていなかったんだな。

今日の過程は、飛ばさずに丁寧にやったとのこと。
こういうしっかりした内容を学べただけでもお値段以上だ。

実際最近、授業で習ったことを実務で活かす場面が出てきた。
付け焼き刃丸出しだが、「そのペルソナって人物像を作ることが目的化してません? 利用文脈を擬人化してチームで共有するものでは?」とか一丁前に思うこともちらほら出てきた。
(ここで間違っていたらとてもとても恥ずかしい)

ビジネスモデル()

ビジネスモデルを考える前半で豪快に失敗したので、こけるのは必定で。
最初に戻るのか、戻らないのか。
チームであれこれ協議した。

私一人でやるなら100%最初に戻るのだが、みんなで相談しながら進めるには色々手間暇が必要で、難しいことも多い。
結果「ちょっとだけ戻る」になった。

学習効果という面ではすでにお値段以上の体験をしているので、今後もひたすら学習を積み重ねていくが、発表については・・・。
「ちょっとだけ戻る」でできることは限られるが、楽しく頑張る。

以上、今日のリフレクション。

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