真ん中が見えていないとできないこと Xデザイン学校ベーシックコース#8

プロトタイプが作れる条件

ベーシックコースを受講して、気が付けば8か月。
いろんな大事なことを繰り返し言われてきたが、そのひとつに「真ん中をつかめ」がある気がする。

だいたい毎回、目からうろこが落ちているのだが、今日のうろこはプロトタイプの作り方。

webページを紙でつくり、めくって遷移してもらう。
冷蔵庫をダンボールでつくり、使い勝手を試す。

聞いた時の最初の感想は「え? そんなもんでいいの?」

いま本業ではwebサイトを担当しているが、デザイナーやエンジニアのスキルが自分にはないから、プロトタイプは作れないと思っていた。
figmaのような優れたツールが出てきて初めて、私でもできるかなあと。

が、紙に書いた手書きの絵でも「だいたい問題の7割はわかる」(浅野先生談)と。

これってつまり、いま何を試すべきか、真ん中がわかっているということなんだな。
試したいことがしっかりわかっていれば、あとの部分が作り物でも問題はない。

もちろん「プロトタイプは、まずは紙やダンボールで、気軽に作って試すんだな」と受け取るのも違う。

「私がいま試したいことは何? それが叶うコスパの良い手段はなに?」。その結果が、紙かwebページか電子機器かは、都度違うはずだ。

京都フィールドワークの最終回で、浅野先生が言った「日本人はべき論が多い。調査はこうあるべきとか。その時その時で真実がわかれば、それでいい」と同じだなあ。

新入社員は「新入社員」と検索しない

先日とある分析界隈のイベントで、面白い話を聞いた。

「新入社員のニーズが知りたいとして。過去の検索データを調べる時に『新入社員』で調べても、当事者の行動は出てこない。新入社員は『新入社員』と検索しない。例えば『初任給 プレゼント』なら新入社員の可能性が高い」

これ、まさに今日やった、ユーザー目線と開発者目線の違いだな。
新入社員の行動を調べたいのは、あくまで自分(開発者)。
ユーザーのリアルな暮らしから「あるある」を見つけられていたら、おかしいとすぐわかる。

今日、ストーリーボードを書くために、何度も釘を刺されたのが「アクティビティシナリオ(ユーザー目線)から書くこと。インタラクションシナリオ(開発目線)から書かない」。

アクティビティシナリオの該当箇所を見ながら絵を描いているのに、脳内にある「ここはこういう操作をしてほしい」が予想以上に強かった。
自分ではない視点に立つというのは、相当意識的にやらないとできない。

いったん脳内寸劇を開幕し、キャラを動かしてみることにした。
すると、「そうはならんやろ」「そんな都合よくいかんな」が見えてくる。
いままでちゃんと詰めずにきたふんわり設計も、笑うほどよく見える。

文章は、書いたあと声に出して読んでみると、どこが読みにくいのかがわかる。読む時につまるから。
シナリオも、書いたあとに動かしてみたら、不自然がわかる。
考えたら当たり前のことか。

ここまで考えて、お絵描きワーク前の浅野先生の言葉を思い出した。
「君たちの成長が、何を描くかに出ます」。

予言こわ。

シナリオの破壊力

5回目からシナリオの話を聞いてきて、たしかにここまでしっかりやれたらすごいと思う。
例として聞くのが浅野先生の経験だからなおさら、「ちゃんとやると本当は破壊力がある」と言われると「たしかにそうなんだろうな」と思う。

問題は、ちゃんとやれるかどうか。
リサーチ、分析、構造化、このすべての過程で練度が必要だ。

うまくできない場合、結果にもつながりにくいだろう。
まさにいま課題で直面しているように、各課程(特に序盤)の質の低さが、その後を台無しにする。
どこでうまくいっていないかすら気づけない場合は、プロセス自体への懐疑をもつ人もいるだろうなあ。

あるイベントで「UXリサーチは儲からないと思っていた」と言った人がいた。
これは「有用性を知らなかったから」だけではなく、「ちゃんとやれていなかったから」でもあるのでは。
失敗しまくり、精度を上げていかないとなあ。

この1~2年、主にノウハウ系の本をビジネス書ばかり読んできた。
最近、ルポとかエスノグラフィーを疑似体験できるものが面白くて読んでいる。

フェーズが変わりつつあるのかもしれない。
「知識はいったん置いて、現場で、体で、試してみろ」と。

もうちょいいろいろ考えたけれど、いろいろあって今日はタイムアップ。

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