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ドレスダウンの思想

 ドレスアップにたいしてドレスダウンということがあると思う。
わたしは夏になると、ハワイや沖縄のように、アロハシャツや”かりゆし”を着て仕事がしたい。今はどうか知らないが、イスラエルでもラビン首相は開襟シャツを着ていた。最近は政府もノーネクタイを推奨するように、夏は、快適であり、エコであり、なによりも涼しい格好をしているほうが他人にも爽やかな印象を与えると思うのですが。
 ただ何年か前、夏に関西に出張したとき、東京よりもネクタイを締めている割合が多かったような気がする。わざとネクタイをしめて熱く苦しそうにして、施主にその苦労をみせて従順を表明するという、営業マンの作法かもしれませんが、そこでは自分の楽で涼しそうな格好はやっぱり少し浮いていて、反抗的で許されないらしいと感じました。
 お役人に会う都市計画や土木系コンサルは、夏でもみな上着を着てネクタイをしめているように思う。デザイナー系以外は施主に会うときは基本的に営業マンスタイルなのでしょう。
 ビルゲーツやリチャードブランソン、スティーブジョブスのようなエライひとたちこそ、もっともラフであることが許されています。ノーネクタイやTシャツという、いわばドレスダウンすることこそが成功者・支配者の証明なので、むしろ被支配者、下僕こそが、くそ暑い中、ネクタイをしめて汗をかいて忠誠を誓わなくてはいけません。(かつて若きリーダーだった池田大作氏が、上着を着こんだ何十人もの仲間に囲まれてひとり白いシャツで微笑んでいる写真を見たことがあるが、それはもう圧倒的なカリスマを表現していました。)だからこそ、アロハを着て仕事がしたいというわたしのドレスダウンの主張は、反支配、自由への叫びなのであります。
 60歳以降は、ユニクロと無印しか着ていないわたしですが、これはケチとか節約ではなく、積極的な衣装哲学の表明なのであって、毛沢東のマオカラーの人民服(これはオシャレな孫文が発明した「中山服」がもとになっている)や、インドのネール首相のジャケットなど、ほれぼれするほど格好が良いですが、これらは反ー西洋、反ー白人のイデオロギーの主張であることは言うまでもありません。
 ただ、ドレスダウンといっても、きたない汚れた格好ではなく、もちろんいつも洗いざらしのパリっとしたものは着ていたいとは思います。つねに洗いざらしでいることは、清浄・簡素を尊び、水で洗い流すことでつねに穢れを祓い続けるという、この水の豊富な日本の美学でもあるのでしょう。
 コットンシャツはいうにおよばずに、トレンチコートまでも洗濯機に入れてしわくちゃ、よれよれにしていた安西水丸さんのファッションにあこがれて、まねをしてみましたが、彼のようにごま塩おまじりのあごの無精ひげが似合うしぶい雰囲気ではないので、さまにはなりませんでした。

brush work 2021

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