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パラソルばあばの来し方

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#文藝春秋昭和6年3月号

カメラのおはなし

母の遺影は わたしのスナップ写真をつかいました。 写真館で撮っておくつもりでしたが 後回しにしていて 間に合いませんでした。 いつもおだやかな慈しみの笑顔で モデルになってくれました。 それがあたりまえと思っていましたが 今では大切な思い出です。 デジタルカメラを はじめたばかりは 楽しくて仕方がありませんでした。 「自動オートが一番」といいはり カメラ先輩の夫に笑われてました。 今でもよくひやかされます。 かわいいものですよね、、、 うれしかったのは旅行鞄にフイルム

そのⅠ 「随筆」から        

この92年前の「文藝春秋」は 骨董市で値切らず1000円で購入。 「文春」愛読者の私には 買わないという選択はなかった。 ミーハーなり。 昭和6年発行時の定価は40銭。                    (昭和5年ラーメン10銭、駅弁30銭) 茶色に変色したザラ半紙で ページ数309ほど、、、 目次からはじまり 広告、随筆、のページとつづく。 野上彌生子(文化勲章受賞者)の一文                  「芥川さんに死を勸めた(すすめた)話」   死を選ぶ十

そのⅡ ”座談會”から

春宵四方山話の會    出席総数8名(主催者2名) 星丘茶寮にて 座談は日本画からはじまり、  芸術、政治、外国人、景気、将来の世界など 多彩で20ページほど。 今も聞き知った名前がある。  松竹 大谷竹次郎  阪急電鉄 宝塚歌劇 小林一三  帝国ホテル 犬丸徹三  教育学者 五千円札「武士道」 新渡戸稲造  日本画家 松岡映丘(えいきゅう)  小説家 久米正雄  主催者 菊池寛 佐々木茂作 外国人と多く接する犬丸徹三は 美術品を一同に集める美術館をと 提案している。

そのⅢ 編輯(しゅう)後記と時刻表

                                                編輯後記 座談会を”大”座談会と銘打って自画自賛、 直木十三五の連載小説「楠木正成」が 劇団での上演や映画化される等ともある。 時は世界大恐慌(1929年)後の不景気、 雑誌発行の同年秋には満州事変がおきる。 その後日中戦争、太平洋戦争へと突き進む。    時刻表 全国主要列車時刻表はスマホのない時代、 便利で有難い情報であったろう。 青春時代の分厚いポケット版時刻表が