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母の遺影は わたしのスナップ写真をつかいました。 写真館で撮っておくつもりでしたが 後回しにしていて 間に合いませんでした。 いつもおだやかな慈しみの笑顔で モデルになってくれました。 それがあたりまえと思っていましたが 今では大切な思い出です。 デジタルカメラを はじめたばかりは 楽しくて仕方がありませんでした。 「自動オートが一番」といいはり カメラ先輩の夫に笑われてました。 今でもよくひやかされます。 かわいいものですよね、、、 うれしかったのは旅行鞄にフイルム
昭和の扇子と匂い袋 今ではどこでもエアコンがありますが 昭和時代のおでかけには扇子がおとも。 薄地い絽の着物に扇子のご婦人、 パナマ帽に和服や背広の 少しおおぶりの扇子の殿方を みかけたものです。 そばに座ると 会話とともに変わる 扇子のリズミカルな手の振りが なんとも魅力的でした。 ふわ~っと漂ってくる すこし大人びたゆかしい香りも 心地よいものでした。 それは地色がくすんで 手に馴染んだ 白檀の扇子からでした。 におい袋の香りもおぼえています。 和タンスの
そのお方は後水尾天皇です。1596年~1680年 見出し画像 大覚寺・安井堂 等身大の僧形 離宮造営上皇から法皇(56歳)になられる頃には 修学院への御幸(お出まし)が かなり自由になりました。 ひな形を土や石でつくり 造庭たくみな者と工夫をかさね 現地へ出かけられた等と 伝聞されています。 造営のあらゆる指揮をとられ 65歳ごろには ほぼ完成なさいました。 浴龍池と舟遊びうえの写真、ここ浴龍池《よくりゅうち》で 平安時代の絵巻物のように 舟遊びをなさっております。
後水尾《ごみずのお》天皇です 1596年~1680年 見出し画像は上《かみ》の離宮からみた浴龍池《よくりゅうち》 離宮と私コロナ流行の少し前に修学院離宮にでかけました。 比叡山の麓、洛北・修学院の地に広がっています。 17世紀中ごろ、 はじめにお茶屋(別荘)がつくられ 上《かみ》、中《なか》、下《しも》の離宮が造営されました。 明治時代の部分もみかけられます。 事前予約済の参加者がぞろぞろとグループごとに 歩いていきます。 宮内庁の方がガイドでした。