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パラソルばあばの来し方

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#総合雑誌

カメラのおはなし

母の遺影は わたしのスナップ写真をつかいました。 写真館で撮っておくつもりでしたが 後回しにしていて 間に合いませんでした。 いつもおだやかな慈しみの笑顔で モデルになってくれました。 それがあたりまえと思っていましたが 今では大切な思い出です。 デジタルカメラを はじめたばかりは 楽しくて仕方がありませんでした。 「自動オートが一番」といいはり カメラ先輩の夫に笑われてました。 今でもよくひやかされます。 かわいいものですよね、、、 うれしかったのは旅行鞄にフイルム

昭和6年の「文藝春秋」はインターネットだった?

昭和6年(1931年)の時代とメディア 手元の「文藝春秋」が発行されてた昭和6年(1931年)は 五・一五事件の前年、関東大震災から8年がたっています。 当時は紙メディアが中心です。 もちろん新聞はあります。 雑誌はどうかと言いますと 大衆総合雑誌の「キング」、 若者、中間層サラリーマンを読者にした 総合雑誌「文藝春秋」がありました。 総合雑誌「文藝春秋」とは この総合がすごい! 編輯(へんしゅう)後記に ”知識の百貨店化が近代生活の要求である以上、、、” "「世界は