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益江1:34「剥離」『星霜輪廻』

 少し時間を戻して、益江介護施設。食堂で西見由理は検事総長クロエ・ヴァンサンと一対一の面談を行っていた。形式上は会談だったが、クロエも由理との会談にそこまで意味を持たせるつもりはなく、日程の隙間を埋める雑談程度にしか考えていない。
「全く、何処から情報が漏れたんだ」
 ちょうど全世界中継でレーム事務局長の会見が始まった頃、クロエは誉志とのやり取りの中で内通者の存在を疑い始めていた。今回の調査で検察官及び特務課の動きを知っていたのは内務市民委員会と社会道徳保全機構。それ以外にもホアンに近い理系派陪臣は検察官の動向を聞かされていたと考えられるので、そこからLC社に情報が漏れたと推定するのが現実筋。
「でも、会見で明らかにされた情報は、皆さんの持っている情報よりも質・量ともに上だったんですよね」
 由理の指摘に、クロエは苦虫を噛み潰したような表情で首を横に振る。
でも・・、とは。そもそも漏れたわけじゃない、そう言いたいのかい」
 平静さを装ってはいるものの、クロエは内心苛立っている、そう由理は悟った。その上で、言葉を重ねていく。
「身内に内通者がいると疑うのは、それは確かに道理ですけど、いくらなんでも情報の入手と公開の時間がシームレスに過ぎるというか」
「……ふむ、確かに」
 腕時計に目をやりながら、クロエは由理に耳を傾ける。
「それよりも、いち早くウラジの横暴を暴露したのは、良いことなんじゃないですか。それが検察官や特務課ではなく、LC社だったというだけで――」
「それは事態を甘く見過ぎだ」
 由理の言葉を遮ったクロエは、情報を持つ人間の思想信条で幾らでも事実がすり替わることを力説する。
「君の代理保護者、アサミ施設長も社会の奇妙な力学によって煮え湯を飲まされてきた。状況を動かすのは情報を持つ者だ」
「検察官なら大丈夫だったと?」
「そりゃそうだ。正義を標榜する検察が情報操作を行うはずがない」
「例えあなたがそうだとしても、あなたを指揮する人間がそういう人なら、事実はたやすくねじ曲がりますよ」
「ほう」
 由理には心当たりがある。組織というものには必ず役職の上下関係に基づく力学的作用が働く。例え現場の人間が「甲」と判断したものも、現場を管轄する上層部が「乙」と指示してしまえば、組織の行動は「乙」で決定する。学園でも介護施設でも、由理は己の行動を妨げる上位者に幾度となく反感を覚えたものである。まさしく由理の青春時代は、世間一般の少年少女が経るような家族性反抗期ではなく、そこから一歩進んだ社会性反抗期のもと、過ごしてきたといえる。子供の上には親がいるように、由理の上には紛うことなき社会が既に存在していたのだ。
「でも、LC社は何について情報を得ていたのでしょうか」
「会見で事務局長が公開したのは、社内におけるウラジオストクの贈収賄について。でも、会見場で次々に挙げられたリストの中には文系派の著名人も何人か含まれていた。そいつらを辿っていけば、我々の追っていたキーパーソンにも」
 そこで、クロエは突然口を噤んだ。
「さすがに見ず知らずの私にぺらぺらとは喋らないですよね」
 由理も、相手が検察の中でも偉い人間であるとは察していた。それがトップの立場であるとは気づかなかったものの、捜査情報を捜査対象に漏らすようなことがあっては、さすがに困るというもの。
「ある程度は話せる。例えば益江町について」
「それは言われなくても分かってます。この町がどういう事情の上に成り立っていて、でもその裏でどういう取引を行ってきたのか。施設長もそのことを含めて、今回の賭けに出たと理解しています」
「果たしてそれで全部かな」
「どういうことですか」
「君はアサミ施設長が己の名声と名誉のために介護施設を経営し、富を得ようと努めている、そう考えている」
「……それが」
「しかし一方で介護事業にはお金が掛かる。それはそれは莫大な資金、とてもじゃないが貯めたお小遣いで賄える規模ではない」
「だから坂出財閥に取り入り、融資を受けて、人の命を弄ぶビジネスに手を染めたんです」
「ビジネス。そう、ビジネス……しかし町全体を動かすためのビジネスに、アサミ施設長は一人で取り組んできた」
「一人ではないですよ。浅黄さんや他の職員たち、それにおっさんもいたんですから」
「でもよく考えてみるとおかしいではないか。己の利得の為に頭を下げて金を得る。その金を得て町を動かす。町を動かして何になる?」
「そりゃ……」
 しかし、由理は二の句を継げなかった。よくよく考えを巡らせると、アサミ側から出資した資金がアサミの元に還元されたことがあっただろうか、と。確かに施設の運営費は坂出財閥の融資で成り立っている。益江町の収支報告書を改竄してまで、施設は坂出財閥との繋がりを保とうとしていたほど。しかし、出すだけ出して得た結果とは、どれもこれも現状維持。振興費とやらも、いつのまにか何処かへ消えていた。
「益江町の収支報告書に記載のあった項目……、振興費は名目上。その実、自治区管掌使を経てダッチに渡り、そしてヘルマンへたどり着く」
「それって」
「益江町は延命施術後の肉体の処理を考察する実験場であると同時に、文系派陪臣の資金洗浄の中継点として利用されていた。アサミ施設長は駒だったのさ」
「そんな。じゃあ、アサミさんが今までその状況に甘んじていたのは」
「きっと町の人間の生活を壊せなかったからだろう。そして君の人生も壊したくはなかった、かつての工作員のようにならないように」
「まさか、アサミさんがそんなことを」
 自分の考えは浅はかだった、と由理は唇を噛みしめた。検察が嘘を言っていることだって、十分考えられる。しかし、振り返って考えてみると、アサミが執拗に介護職から由理を遠ざけていたこと、頻りに坂出成宣と会っていたこと、色んなことがうまく繋がっていって、アサミの人物像に貼り付いていた靄が次第に薄れていく。
「問題は、益江町へ振り込まれた振興費とやらが、どういう経緯で自治区管掌使に渡ったのかということ。当初我々はアサミ施設長の直接的な関与を疑っていたが、先ほど特務課の司書から連絡を受けたことである仮説が浮かび上がった」
「アサミさんは私を愛してくれているのでしょうか」
「……は?」
 由理自身、馬鹿な質問をしていることくらい百も承知だった。しかし、心の中で増長していく疑問を、口から出さない訳にはいかなかった。
 対するクロエも、初め困惑気味に由理を見つめていたが、ふっと表情を緩めて資料を漁り始めた。
「あ、あの……」
「そればっかりは捜査資料にはない。それほど気になるなら直接施設長に問いただせばいい」
 クロエの意外な態度に、由理は思わず瞼にたまった涙をこぼしてしまったが、すぐに袖で拭い去って首を横に振った。
「やっぱり、情報って恐いですね」
「君が思うよりもずっと、な」
 しばらくして、クロエの端末に着信があった。
「やあ、進展はどうかな」
 そこでクロエは、なぜか通信音声をスピーカーにし、由理にも聞こえるようにした上で会話を続ける。
『学園長はクロです、これは間違いない。後は出向中の警務官たちがいう所のM文書を見つけられればいいのですが』
「学園長からどうやって自治区管掌使に金が流れたのか、その方法と確証が必要だ、何をしてるんだ図書館部隊!」
『ちっ』
「舌打ちする暇があるなら探せよ特務課ァ!」
『いや違う、違う待て!』
 刹那、スピーカーからは騒々しい程の物音が響き渡り、男女の怒号が入り混じった混沌の様子が絶え間なく流れている。
『フェスター……の名に恥じぬ死を……』
『彼女を止めろ』
『毒を吐かせろ』
「おや、トラブルかな」
 一方でクロエは、そんな騒音を聞いたところで表情一つ変えずに淡々と資料を整理していく。
「大丈夫なんですか」
 端末を指さしながら、由理は苦笑する。
「大丈夫だろう、要するにM文書とやらを探せばいい。学園長は……いたらラッキー程度の存在に過ぎない」
「法執行者は理想よりも実利で飯を食う、ということですか」
「立場あるものは物事に及第点を求めるだけだ。二兎追うものは一兎も得ず、というではないか」
「人命も取捨選択する、と」
「たかが人命ではないか。誰も人格までは否定していない」
 そうは言うものの、犯罪者の人格を存置させるか否かを判断するのは世界連合である。死という通過点を経ても尚人間を裁判に掛ける二三世紀の司法は、そういう意味では地獄の法廷らしき一面も担っている。しかし、死を越えての判決は一検察官の判断のみではつけがたく、それは検事総長であっても同じである。
『してやられましたっ!』
 再び誉志の声が入るころには、騒動は収まったらしく、誉志の声の背後で隊員たちと思しき息切れの音が混じっていた。
「もういい、結果は」
 うんざりした様子で頭を掻くクロエに、誉志は淡々と結果を告げる。
『ラインヴァントは服毒死。娘のグミが煽ったらしく』
「M文書は」
『邸宅にはないらしいと、グミがそう証言しています』
「いずれにせよ、LC社の公表が早まった以上我々も早々に大気圏を脱出しなければ」
『承知。ついでにアサミ施設長の居所も判明しました』
「ほう、何処だ」
『座山市庁舎。坂出成宣財閥社長、坂入真佐社保局長と共に介護施設へ向かっています』
「随分と手回しが良いことだ」
『部隊の一部を市庁舎に回しましたから』
「ぬ、抜け駆けを!」
 しかし、そうは言いつつもクロエに特務課の動向を非難する気力は残っていなかった。LC社によって文系派が刺激された今、悠長な気分で星間飛行を楽しむ余裕がなくなったからである。このまま事態が推移すれば、『M文書』の行方すらも曖昧になってしまう、そういう危機感がクロエにはあった。
『これから私たちもそちらへ向かいます。一応、押収した書類については地下施設へ』
「……それでいい」
 由理からしてみれば、ラインヴァントの死はもっと責められるべき過失なのではと感じていた。例え生命の死によって証拠能力が消えたわけではないとはいえ、直接話を聞いて情報を得るよりも、活動を停止した脳を解析して情報を取り出す方が遥かにコストが掛かるからである。
 しかしクロエの態度は、あたかもラインヴァントの死を予期していたかのようなものだった。或いは、想定していたよりかは、特務課の対応の所以を察して敢えて口に出さなかったようにも見えた。
「まあ、答えは見えているが」
「答え?」
 由理の問いかけに、クロエは「何でもない」と応えた。
「総長、今後についてミーティングを」
 食堂の入り口から抑えめの声でそう呼びかける検事に、クロエは二つ返事で手を振った。
「悪いけど、これから打ち合わせでね。下で待っててくれないか」
「あ……分かりました」
 促される形で食堂を出た由理は、階段を下りながら窓の外に視線を何となく向けた。何てことはない、いつも見てきた夜の小道の風景だったが、道の奥から光が突然照射され、思わず由理は背を屈めた。
「車?」
 もう一度背を伸ばして外を覗くと、やはり光の元は車で、砂埃を上げながら徐々に施設に近づいてきていた。
「あれ、あの車……」
 由理には、近づいてくる車の持ち主が誰なのかおおよそ予想がついた。
「由理ちゃーん!」
 助手席の窓から上体をはみ出させて手を振る少女。
「なさっち!」
 大急ぎで階段を下りた由理は、壁際で座り込む千縫を引きずり起こして玄関へと走った。
「ゆ、由理氏、待っ」
 状況を理解できない千縫も、徐々に近づいてくる見慣れた姿に気付いて、表情を明るくさせた。
「なさっちじゃないか!」
 アスファルトにタイヤが擦れる音が響く間もなく、助手席から飛び降りた奈佐は勢い余って由理に飛び込む形になった。奈佐を支えきれずに倒れ込む由理の上に、さらに千縫が覆いかぶさるように飛び込んだ。
「あ、あぶ、あぶ!」
 ようやく頭を外に抜け出した由理は、今自分の上に乗っている人物が坂入奈佐であることを再認識して、力いっぱい抱き込んだ。
「く、苦しいって!」と叫ぶ奈佐に、由理は思いっきりの声を上げて「知らない、知らないもんね!」と応える。
「なら喰らいな!」
 千縫の両腕攻撃に、由理と奈佐はさらに声を上げながら笑い声を上げる。
「……全く、あなた達は」
 施設の駐車場のど真ん中でわちゃわちゃする一行をよそに、運転席から降りた小出李音は足早に施設へと入っていく。満更でもない笑みを浮かべながら視線の先に据えたのは、検察官に囲まれた旧友の姿。
「久しぶり、今生では初めましてか」
 小出の声に、検察官たちは水戸瀬から距離を置くように散開する。一見すれば二人の再会に水を差すまいとする検察官たちの気遣いに見えるが、実際は二人の行動に予断なく対応できるようにとの予期行動に過ぎない。
「……、リン」
 ゆっくりと車椅子を反転させる水戸瀬は、決して視線を小出に合わせようとはしなかった。辛うじて動く片目のみを小出側に向けて、かすれた声で静かに小出の名を呼ぶに止めている。
「ついぞ延命施術は受けなかったか」
「…………」
 二人の会話は、幾年ぶりの対面にも関わらず――であるからこそ――ぎこちなく、小出の声掛けに水戸瀬が応えることはなかった。
「先生……」
 ひとしきり感動の再会を得た由理たちは、施設の出入り口の影から、小出と水戸瀬のやり取りを見守っている。
「なあ……アーヤ、その顔を私に見せてくれよ、もう障壁はなくなったんだ」
 もはやウラジは世論の批判の的に晒され、民本党も同様に瓦解した。文系派に利用されていた益江町というハリボテももうすぐ実態を世界に暴露することになる。対立の半世紀を歩んできた三人が、いがみ合う理由などどこにもない。
「全てを水に流して、先へ進もうじゃないか。あの憎き坂出財閥も、きちんとこの列島のことを考えているというし」
 しかし、それでも水戸瀬は沈黙を貫いている。その異様な雰囲気に、検察官も施設職員も妙な緊張感に包まれていた。互いに上司のいない状態では、双方の人間はただただ傍観者としてその場に立ち尽くすのみ。
「なあ、アーヤ」
 一歩、また一歩水戸瀬に近づいていく小出。その小出の動きに合わせて、二人を取り囲んでいた検察官の輪が徐々に狭まっていく。
「許してくれとは言わない。ただ、聞いてほしいだけなんだ」
「…………」
「ようやく私にもわかったんだ。怒りや憎しみだけが世界を変える訳じゃない、妥協と理解が人間関係に調和を生み、調和がゆっくりと世界の秩序を変えていくんだと」
「………………」
「妥協の為には相手を知る必要がある。知識と経験を以て、理解を得る必要がある。その為には教育が大事なんだ、子供たちに知識と経験を教える為の教育が」
「……………………」
「アーヤ、争いのない世界は、草の根運動から始まるんだよ」
 ついに水戸瀬に手が届く距離まで近づいた小出は、一瞬立ち止まった後、ゆっくりと水戸瀬の車椅子に手を掛けた。
「アーヤ……!」
 ゆっくりと体を被せるように抱きついた小出は、車椅子の軋む音が絶え間なく鳴り響き、ついには全く静止した。
「……何か変じゃないか」
 千縫の呟きに、由理は目を細めて二人の状況を把握しようとした。
「……ぅ」
 僅かに漏れた呻き声、あまりにも低い声だった故に、どちらの声ともとれない零れた声。その直後、水戸瀬の肩に回されていた小出の両腕が力なく垂れ下がった。
「……ぁは」
 変わって聞こえるのは、水戸瀬の乾いた笑い声だった。小出の体が車椅子から剥がれ落ちるように床に倒れると同時に、鮮血に濡れた包丁がけたたましい音を立てて床を跳ね転がった。
「先生!」
 慌てて駆け寄ろうとする由理を、千縫と奈佐が懸命に抑える。
「急げ、身柄を拘束しろ」
 対応が後手に回った格好になった検察官たちも、小出を水戸瀬から引き離しつつ、車椅子から押し倒すようにして水戸瀬を抑え込んだ。三、四人の検察官たちの体重に圧し掛かられた水戸瀬は、しかし声にならない声を上げながら笑い続けている。
「小出女史の容態は!」
「胸部から大量に出血、恐らく傷は心臓にまで」
「呼吸もありません!」
 遠くからみても、小出の顔が次第に蒼白になっていく様子が分かるほどの大量出血。あっという間に赤い血で染まった床、時々照らされる懐中電灯によって明滅する殺害現場の凄惨さがフレーム落ちした動画のように断続的に視界に映された由理は、思わずえずいて床に崩れ落ちた。
「なんだ、どうした!」
 一階の騒ぎに気が付いたクロエはじめ検事たちもぞろぞろと階段を下りてきて、惨状を目の当たりにした。
「お、おいおいおい!」
 さすがにクロエもこの事態は想定しておらず、血まみれの小出に駆け寄ると、すかさず止血を試みた。おろおろする職員を傍らに退けて、クロエは必死にタオルで傷口を抑えるが、既に焼け石に水。真っ白だったタオルは瞬時に赤に染まっていく。
「総長、心肺停止状態です」
「だからなんだ、少しでも脳にダメージがいかないように処置をするのが務めだろう」
「もう手遅れです、失血しています!」
「やりやがったな!」
 微動だにしない小出の遺体から手を離したクロエは、床に押さえつけられている水戸瀬の首を掴んで持ち上げた。
「よくも検察の目の前で堂々と人を殺したな!」
 しかし、水戸瀬の体は糸の切れた人形のようにクロエの手に垂れ下がり、口や鼻からは粘液性の高い血が滴っている。
「総長、死んでます」
 検察官の言葉に、クロエは大きなため息を吐いて手を離した。まるで綻んだぬいぐるみを床に落とした時のような乾いた音共に、水戸瀬の遺体は無造作に転がり果てた。
「検察官は……、検察官は葬儀屋じゃないんだぞ!」
 死屍累々、参考人が二人も死に、とてもではないが特務課を批判できる状況ではなくなった。
「先生……」
 一方で、由理たちは小出の亡骸に駆け寄って、血まみれの手を力強く握っていた。
「どうして先生が殺されなければならないんだ」
 千縫の言葉も空しく、小出は既に事切れていて、三人の目の前に横たわっている。誰の疑問に答えることもなく、小出は環状の延命社会から一人解脱してしまった。
「先生は……犯罪者だった」
「な、なさっち?」
 奈佐の重々しい口ぶりに、由理は事態を呑み込めないまま奈佐の顔を覗いた。
「先生は世界を変えようとして、多くの人々を火にかけてきた。体面上は死後の肉体の火葬だったけど、次第に生者をも手に掛けるようになっていった」
 まるでその様子を実際に見ていたかのような口ぶりに、由理は
「な、なぜそれをなさっちが?」
「なぜって、私はそれを見てきたから」
 千縫の言葉に、奈佐は平然と答える。
「み、見てきた? 火葬場事業が行われていたのはもう――」
 その時、辺りを眩い程の光が照らし出した。車の騒然たるエンジン音が重なり、車内からは続々と兵装に身を包んだ隊員たちが施設へと進入する。
「そのまま、そのまま」
 ざわめく施設職員に冷静を促すのは、誉志と共に降車したアサミだった。
「全く、まるでお祭り騒ぎね」
 自嘲気味に呟くアサミに、誉志は咳払いで注意を促す。
「やあどうも、施設長。まずは挨拶を、と思いましたが……」
 両手を後ろに回しながら、クロエはアサミに声を掛ける。
「加湿総長?」
 クロエの様子に、誉志は怪訝な様子で小言を重ねる。しかし、クロエの背後に広がっていた光景は、誉志やアサミを驚嘆させるに十分な状況だった。
「アーヤ……!」
 それは実に四〇年ぶりの再会だった。あれほど対立を演出し、協調から憎悪へと関係を転じた二人が、ようやく巡り合った機会。しかし、既に会話はできない。骨と皮だけになった旧友は、アサミの眼前で既に死を纏っている。
「それと」
 クロエの指さす方には、小出の遺体。
「殺したのは、こいつ。感動の再会を台無しにしたのはこいつ」
「リン……」
 覚束ない足取りで近づくアサミに、由理は慌てて立ち上がった。
「アサミさん……」
 由理の声掛けに、アサミは力なく手を振って応える。奈佐も千縫も同じく立ち上がって、由理と一緒にその場を離れた。
「……首尾は」
「予定通り。例の資料は――」
 惨劇を背景にして、クロエと誉志は打ち合わせを行っている。その横を通り過ぎて、三人は住居棟に移動した。
「まあ、なんだ。まずはなさっちが無事だったことに祝杯を上げよう」
「そうだね、まあ、ぬいっちは環境順応型ってことで」
 手慣れた手つきで冷蔵庫から飲み物を取り出す千縫から、由理は苦笑しつつ紙パックを受け取る。
「皆、死に対して薄弱だった」
 奈佐の呟きに、由理も千縫も重たく頷いた。
「でも、小出先生は転生できるんだよね」
「そりゃあ大丈夫だろう、こういう時の為の延命技術だ」
 由理と千縫が自分を納得させるようにつぶやく中で、奈佐だけは曇った表情を晴らさなかった。
「あの出血量……」
 その時、施設棟からアサミのものと思しき叫び声が響き渡った。その声の大きさは、由理も今まで聞いたことが無い程の大声で、一瞬誰のものか分からなかった程。
「アサミさん?」
 キョトンとする由理の腕を引っ張って、奈佐は住居棟を出ていく。
「あ、ちょっと!」
 グラスに手を伸ばしていた千縫も、追いかけるように扉を開けた。
「なんでこんなことになったのよ!」
 涙声が混じって、より混迷を増す状況。由理たちが再び現場に戻ると、アサミは小出の亡骸を抱きながら天井を仰ぎ見ていた。周りを囲む施設職員や検察事務官たちも、それぞれが複雑な心情を露わにして佇んでいる。
「も……申し訳ない」
 クロエの取ってつけたような謝罪も、事態を収拾するには些か弱すぎた。
「重要参考人が悉く死んでいる」
 誉志のその呟きに、クロエは不気味なほど口角を上げながら「なるほど」と応える。
「なるほどとは」
「他人事みたいな口ぶりをするな、特務課ァ!」
「ならなぜどちらも脳への損傷の激しい死に方をしているんですか。なぜここにいる検察官は誰も凶行を止めなかったのですか」
「陰謀論か。ここにきて検察が証言をもみ消そうと?」
「いいえ、これは単純な質問です」
「――もういいのよ!」
 二人の論争を止めたのは、他ならぬアサミだった。
「きっと報いを受けたのよ。リンもアーヤも酷いことをしてきたわ」
「……邪魔をするようで悪いが、それをいうならあんたもな、施設長」
 クロエの言葉に、アサミは小出の顔に額を擦りながら細かく頷いた。
「しかし、裁かれるべきではありません。従属を強いられてきた地上の人間に全て罰を受けるよう裁判に掛けたところで、地獄は定員オーバー」
 誉志の淡々とした口調に、クロエは顔を引きつらせながらも、すぐに微笑を浮かべて誤魔化した。
「い、生きてる!」
 職員の一人が声を上げたのは、水戸瀬の遺体の前。慌てて駆け寄るクロエは、水戸瀬の指が僅かに震えているのに気が付いた。
「よし、もう運べ! セルゲイの奴と一緒に大気圏を越えるぞ!」
 クロエが発破をかけたことにより、事務官たちの動きもいよいよ統制を以て動き始めた。拘束されたセルゲイ、及び民本党残党たちの身柄が次々に移動させられる中で、アサミは未だに小出の傍から動かない。
「た、隊長!」
 そこへ特務課の隊員が慌てて駆け込み、オーメライン以南の暴動が始まったことを告げた。
「ということは、選挙結果がおおかた判明したと」
 由理が呟き、誉志が頷く。
「時間はあまり残されていません、さっさと行きましょう」
 誉志の合図で、特務課の隊員たちも続々と準備を始めた。
「……なんだかガス臭いような」
 千縫の言葉に、奈佐も同様に鼻を周囲に向けた。
「確かに」
 そんな懸念もよそに、クロエは施設の外を眺めながら愉悦に浸っている。
「しかしオーメラインの奴ら、ボスが二人も捕まってなお暴れるとは、老いたればこその余裕の無さが表れているな」
 そこまで口にして、クロエは「いや」と呟いた。
「水戸瀬肖はともかくセルゲイの身柄はこちらにある。仮に時刻に合わせて行動を開始したとはいえ、目的は何だ」
「証拠の……破壊」
 由理の呟きに呼応するかのように、施設棟後方の体育館が突然爆発炎上した。
「しまった、もしや下水を通ってガスが!」
 誉志の気づきももはや遅かった。益江町に張り巡らされている下水管は、民本党によって巨大な爆弾へと変化させられていた。オーメラインで進行していた下水道管工事は、その実益江町地下へガスを充満させる大胆かつ暴力的な計画の隠れ蓑だった。
「皆さん、はやく建物から出てください!」
「アサミさん!」
 わらわらと施設を脱出する一行の中で、アサミだけは小出の傍から動こうとはしなかった。
「私は、ここで死ぬ」
「いいえ、ダメです。私が許しません」
 微動だにしないアサミを引きずりだそうと、由理が懸命に引っ張るも、アサミの意志は固く、重かった。
「由理氏!」
「由理ちゃん!」
 異変に気が付いた奈佐と千縫も、必死にアサミを引っ張り出す。
「やめて、私は行きたくないの!」
「もう先生はダメなんです!」
「そんなの承知よ、そんなの!」
 奈佐の叫びも効果がない。もはや失血が多く、脳への損傷が計り知れない小出の転生は不可能に近い。それを聞かされたアサミは、慟哭を上げて小出と死を分かち合おうとしている。
「アサミさんが動かないと、私も死んじゃうんですよ!」
「逃げなさい、これは命令よ!」
「いいえ、聞きません。絶対に聞きませんから」
 ガスの臭いがいよいよ充満し、後は火種の到来を待つばかり。それでもアサミは動こうとはしない。
「ま、まずいぞ」
「仕方ない、先に行け」
 千縫の懸念を吹き飛ばしたのは、爆風ではない。
「やめて、成宣さん離して!」
「由理ちゃん、二人を連れて先に行くんだ」
「でも」
「いいから行きなさい!」
 初めての成宣からの喝破に、由理は重々しく腰を上げた。
「絶対に戻ってきてよね」
「任せときな、俺が今まで約束を破ったことがあるか」
「……はいはい」
 奈佐と千縫の手を握った由理は、三人共に施設を脱出した。特務課、そして検察官がそれぞれ濡れタオルを渡して、車の影へと誘導を受ける。
「施設長は」
 誉志の言葉に、由理は黙ったまま施設を指さした。
「本気か!?」
「大丈夫です、気障なおっさんがついてますから」
 由理の思いもしない返しに、誉志は目を丸くして首を傾げる。その数秒後には、施設は眩い程の発光と共に轟音を発し、砂埃と熱風を巻き上げながら瞬く間に倒壊した。その衝撃は、車の影にいながら体全体を音によって震わせられるほど。車両の窓ガラスは四方八方に飛び散り、居合わせた多くの職員や隊員の肌を傷つけた。
「っ……!」
 その後、しばらくの静寂が辺りを包み、次第に甲高い耳鳴りと共に環境音が聴神経に取り入れられ始め、やがて瓦礫が地面を転がる音が一行を覆った。
「だ、大丈夫か!」
「行動を継続しろ、休む暇はないぞ!」
 誉志とクロエの叫び声に、砂まみれの事務官や隊員たちが大きく手を振った。
「アサミさんは……」
 砂埃を払いながら立ち上がった由理は、倒壊した施設を眼前にして絶望に包まれる。日常が脆くも崩れ去る瞬間を体感した由理は、辛うじて奈佐と千縫に支えられて立っている状況にある。
「この爆発じゃ……」
「ぬいっち!」
 千縫の口から零れた言葉に、奈佐が蓋をする。由理が諦めかけたとき、施設棟の隣の住居棟の扉が開かれた。
「おーい、こっちだ!」
 成宣にお姫様抱っこで運ばれているのは、他ならぬアサミだった。気を失っているようではあったが、重い怪我をしている様子もない。
「よかった!」
 その様子をみたクロエが思わずそう叫んだ。
「そうですね」と誉志は意外そうな声調で反応する。
「なんだよ」
「いいえ?」
「司書め」
 成宣の元に駆け寄る三人、しかし成宣の表情は暗かった。
「小出李音は助けられなかった」
「……どうしようもなかった」
 やるせない声を滲ませながら、由理はある一点を見つめた。検察官の傍でトレッカーに乗せられているのは、その小出を刺殺した水戸瀬肖。水戸瀬は転生の余力が脳に残されているのだという。
「皮肉だな、こればっかりは」
 千縫の言葉に、由理も奈佐もただ頷くしかなかった。
「暴徒が迫ってます、例の避難場所へ」
「例の?」
「ここの隣さ」
 由理たちの疑問に答えたのは成宣だった。
「旧軍基地。ここで月面との連絡を待ち、衛府江洲を通過してオーメに入る」
 クロエの解説ではピンとこない由理と千縫だったが、一人奈佐だけは察しがついていた。
「ひょっとして、地下通路から入れる?」
「お、よくお分かりで」
「社保の査察の時、たまたま見つけた通路だから」
「あ、あの時の!」
 地下の資料室に消えた奈佐が、施設の外から戻ってきたトリック、そういうことかと由理は一人納得した。
「細かいことは地下で。さあ、急ぎましょう」
 徐々に拡大する暴動の戦火は、来る益江町の終焉を意味していた。朧な権力幇助体制に支えられてきた益江町は元より、地球各地の文系派タウンもじきに崩壊する。LC社によって先を越された宣戦布告、その第二発は空真誦から放たれることになる。
「――文系派は、コンクリート製造業者日下部建設を介護施設事業に融通する代わりに見返りとして『知行権』を手に入れ、在地における立場の優越を得た」
 空真誦の日本自治区議会の広報室で原稿を読むのは、アサミたちとは別行動の浅黄の姿だった。
「益江町はじめ、地球各地で行われてきた文系派による専横状況は、その殆どがコンクリート建設の事業計画の汚れた入札体制に端を発する。この『コンクリート疑獄』で文系派の薄汚れた信念を洗い流すため、司法関係者に是非協力を依頼したい。益江介護施設、浅黄田弓――」

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