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ケセラセラでいきましょう


昨今、何が本当で何が嘘かわかりません。

テレビに流れているニュースでは、戦争しています。けれど、一度SNSを覗くと、戦争はしていない、と。

コロナウイルスなどのワクチンを打つべきか否か。そして、健康被害の有無。

私SNSは、極力見ないようにしています。

人によるでしょうが、私の場合は情報量が過多になると心が鬱々としてくるタイプ。
そして、心配性なため、良くないことが一つ目に入ると、それでまた鬱々としてきてしまいます。

自分の信じることのできる情報のみをしっかりキャッチできるように!なんて話しますけど、私からしたらもう、どれが本当でどれが嘘なのか、もう目眩がしてくるので、なんならもう見たくない。

先日は、上記にありましたように、コロナウイルスのワクチンを接種することによる健康被害を目の当たりにし、直近鬱々でした。

夫に心配事を話しますが、夫はいい意味で取り合ってくれません。(話せば落ち着くことを夫は知っているようです)

けれどふと考えた時に、夫と私は一緒なタイミングで予防接種をしている。ということは、基本的に私がこの世からいなくなった場合、夫も友人も家族も同じタイミングくらいで居なくなると。

そんでもって、後何年とか言われていますが、未曾有の災害でそれよりも早い場合がある。なんなら、人間この世からいついなくなるかわからない。

そう思うことができれば、もうあまり深く考えることさえも無意味に思うことができます。

認知症になった祖母はよく元気な時
「ケ・セラ・セラでいきましょう」と話をしていました。小さかったですが、よく覚えています。

ケ・セラ・セラは、スペイン語の語彙で、英語圏での造語のようです。一般に「なるようになる」と和訳されることが多いです。

深く考えて、どうにかなる問題なんだったら、深く思考し、結論を導き出せば良いと思います。

けれど、今後のこと、それも明日明後日のことではなく、来年、再来年のことなんて、誰にもわからない。

それこそ、疫病が流行り、旅行も、学校行事も、生活や仕事のスタイルが変化するなんて、誰もが想定していなかったことでしょう。

そう思うと、深く考えすぎる必要はないように思います。だって、わかんないんだもの。

これが、心配性で気にしいな私が導き出した一つの結論です。

情報を集めることも大切でしょう。けれど、誰だってそうじゃない。
情報や現実から逃げていると思われるかもしれません。私はそう思われたっていいです。
これが私が導き出した一つのやり方です。

ケ・セラ・セラでいきましょう。
人生、なるようになります。


多分。

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