本日はスペシャルプライス、「半額」です! 飛びつかない人はいないだろう。 それが日常的に食している必需品とあらば、 主婦が見逃すわけがない。 世の中のほどんどが「損得勘定(感情)」で動いていて、 「道徳」などというものは二の次になっている。 「お金は何かを成し遂げるための手段」 ということは誰もがわかっているはずなのに、 目先の損得に意識を奪われ、本来大切にすべきことを失ってしまう。 この愚を指摘できず、見過ごしてしまうのは、 自らを否定することが難しく、 ストレス
あらゆること・ものには「中心点」が存在する。 点なので位置だけを表し、体積や質量はない。 目にすることはできないし、あるのは間違いないが確認できない。 この「無」に近い「極小」の中心点が、 「無限」に広がる宇宙「極大」へと繋がる。 だから発音が重なっている。 やらないとわからないことではあるが、 こういった些細なことを漢字から感じていくことで、 人生は驚くほど、スムーズに快適に過ごせる。 自らの心身の「中心点」を探る中で、 大いなる存在へと紡ぐ道が見つかる。
「大の字」で手足を伸ばした全身を表す「大」。 「小」は真ん中の線が脊柱を表し、 そこから手(足)が二本ずつ左右に伸びている。 大の字で地球を大きく包み込むように、 全てを包括するようなマクロの大いなる愛と、 極小なる見えない細胞のミクロの世界に、 どちらにも神は宿っている。 (中心部から細部というイメージでも良い) 「大」+「示」=「奈」 ではあるが、この「示」は「ニ」と「小」に分けても良い。 二つの大小が縦に重なる「奈」には神のメッセージ性を感じる。 「奈落の底
「いきち」とも読みます。 「生き値」と考えれば、とても興味深い言葉ですよね。 「閾値」の説明は色々とされていますが、 心理学的には、ある判断を下すための基準点や限界値。 物理工学などではある水準を超えると変化が生じる値。 つまり、マイナスからプラス、またその逆や上下左右前後等の動き含め、 「境目、境界線、接点、区切り」等の意味合いがあります。 生物学には「悉無律」(全か無かの法則)と呼ばれる法則もあります。 「刺激が加えられても反応するのか、しないのか」の境目ということ
私たちは、毎日たくさんの言葉を使っています。 会話やメール、SNSやブログなど、さまざまな場面で言葉を発したり書いたりしています。 しかし、私たちは本当に言葉を大切にしているでしょうか? 私たちは言葉を疎かにしているのではないでしょうか? 私は、以下の三つの点で言葉を疎かにしていると考えています。 言葉の意味を理解しないで使うこと 言葉の力を軽視して使うこと 言葉の美しさを忘れて使うこと まず、言葉の意味を理解しないで使うことは、言葉を疎かにしていると言えます。言
私たちは日常的に使っている言葉には、気づかないうちに先人の智慧が込められていることを知っていますか? 漢字やことわざ、四字熟語には、長い歴史の中で人類が積み上げてきた知恵や人智を超えた叡智などが含まれています。 これらの言葉は、単に文字や音として表現されるだけでなく、*言霊*として私たちの心に響きます。 例えば、漢字は、象形文字として物事の形や動きを表したものから始まりましたが、次第に抽象的な概念や感情を表すようになりました。漢字は、一つ一つの字に意味やイメージがあり、組
「ん」はひらがなの最終文字であり、単体で意味があるようでない。 だが、その他の語とくっつくと非常に重要な意味を成す。 おそらく、この最後の「ん」と最初の「あ」は中心を表し、 それがなくなると「あん(安)」が無いことと同じになり、 「不安」になるのだと思われる。 「ん」という唸るような響きは、言語を超えた、 世界共通で誰もが発せられるような空気の振動にも感じる。 例えば、声が出せない人でも「ん〜」と唸ることはできるのではないか。 この「ん」という形も、 私の示しいくべき使
言葉は人間の思考や感情を表現する手段であり、 社会や文化を形成する要素でもあります。 しかし、現代社会では言葉の乱れが深刻な問題となっています。言葉の乱れとは、言葉の正しい意味や用法を無視したり、言葉の力や美しさを軽視したり、言葉の使い方に対する関心や責任感を欠いたりすることです。 あとは、言葉に含まれる「言霊」を感じていないことも大きな問題です。 こういったことは会話における伝達機能や表現力を低下させるだけでなく、 人間関係や社会秩序にも悪影響を及ぼします。 主な原
説明せずとも、言わんとするところは感じ取れるかと思います。 私たちは日々、様々な選択を迫られます。 そのとき、どのような基準で判断するでしょうか? 自分の利益や欲望を優先するのか、それとも他人や社会のためになることを選ぶのか。 この二つの価値観は、それぞれ「得」と「徳」と呼ばれます。 どうしても我々庶民は「得」ばかりに目がいき、 「徳」ということを忘れてしまいがちです。 「得する」ことが全面的に悪いとは思いませんが、 順番や優先順位としては後回しで、 まずは「徳」を追
数字で言えば「0」意味はないが、なくては困る。 そして、最も中心で「神」とも言えます。 ひらがなの最後。 最初の「あ」と組み合わせれば、「あん」となります。 誕生という始まりの「あ」と 死亡という終わりの「ん」は 我々の意識ではコントロールできません。 その間の「生き方」は意識次第でいかようにも変えられますが、 この「誕生(最初)」と「死亡(最後)」は決まっていて、逃げられません。 れいち流に言えば、この最初と最後だけは明確に決まっていて、 その間は決まっていない、
こんにちは。 今回は、「ひも」を掛けて、「ひも理論」という物理学の最先端の理論を使って、人生の悩みや問題を「ひもとく」ということをしようと思います。 ひも理論とは、自然界のすべてのものは、点ではなく細いひものようなものでできているという理論です。このひもは、さまざまな振動のパターンを持ち、それによって素粒子や力などを表現しています。ひも理論は、宇宙の謎を解明するための有力な候補とされていますが、まだ完全には確立されていません。 では、ひも理論は人生にどのように役立つので
こんにちは。 今日は「たま」と読む漢字の意味や語源、由来などについて、皆さんとシェアしたいと思います。 また、「霊(たま)」という言葉の重要性についても考えてみたいと思います。 ○「たま」と読む漢字の一覧 「たま」と読む漢字は、以下のようなものがあります。 - 丸:まるいもの。円形のもの。完全なもの。また、丸くなること。 - 玉:丸いもの。宝石や貴重なもの。また、美しいものや立派なもの。 - 圭:角のあるもの。四角いもの。また、仏教の法器や神道の神器の一つ。 - 珠:
こんにちは。 今回は、「愛」という言葉の「言霊」に注目したいと思います。 「愛」という言葉には、日常的にもよく使われる1つの漢字で、ここにはいくつかの言霊が宿っていると信じられています。 言霊とは、言葉にあると信じられた呪力や霊力のことで、言葉によって現実や人の心を変えることができるとされています。 私は、「愛」の言霊の力について考えてみました。 ○「愛」の言霊は、自分や相手を幸せにする 「愛」という言葉には、自分や相手を幸せにする言霊が宿っていると思います。自分が愛
「じんぎ」という漢字は、仁義、神器、神祇など、様々な意味や読み方を持つ漢字です。この漢字は、日本語の豊かさや多様性、難しさや深さを表しています。この漢字には、日本の文化や歴史や思想に関わるものが多く含まれており、日本人のアイデンティティや価値観に影響を与えています。このエッセイでは、「じんぎ」という漢字について、その意味や読み方、由来や背景、類義語や対義語などを紹介していきます。 まず、仁義という言葉について見ていきましょう。 仁義とは、儒教において最も重要とされる徳目の
見てはなくても、結果を知ってる人は多いと思う。 言わずもがなだが、この白熱する競争の前に、 大きな地震があり、開催の可否も問われた。 駅伝は1人1人の走者が襷を渡していく。 この「襷(タスキ)」の語源は「助」からきている。 つまり、助け合うことの大切さを教える競技もであり、 これだけの声援と応援の中で走るという名誉。 これは人だけでなく、多くの動植物が人類を応援し、 新たな時代を切り開く先駆者として走り抜けていく、 そう言った意味とも捉えられる。 歴史と伝統のあるこう
命は 「人」が 「一」地球上で 「叩」かれること。 刀が灼熱の炎の中で叩かれることで、 不純物を取り除き、純度を高めていくように、 我々もこの生命の汚れを取り除き、 光輝かせるために生きている。 ダイヤモンドの原石が磨かれるのも同じこと。 この「命」の貴重さをわかっているようでわかっていない。 「胃」「ノ」「血」 日々、食べ物を食べている。 多くの動植物の生命を「胃」で消化して、 「血肉」と化している。 つまり、我々は多くの「命」の犠牲の元で成り立っている。 それ