彼の活躍に一喜一憂するだけでなく、 名前から「神のメッセージ」を受け取る。 「大きな谷」 「谷」は老子に「谷神不死」とあり、 万物を養う神(牝の象徴)として、 無限の生命力や創造力、常に存在し続けるものとして描かれている。 「谷」はまた、柔軟性や受容性を象徴。 谷は低い場所にあり、すべてのものを受け入れる性質を持っている。 老子は「谷」を通じて、謙虚さや柔軟性の重要性を説いている。 「大」は創造の元である「道」の言い換えでもあり、 全てが帰するところ。 そこから、
こんな言葉は普段使うこともないでしょうし、 私も初めて見つけました。 変換すると 0位 霊威 霊位 霊異 は出てくるが、 「礼意」 が出てこない!私なりにこの原例を解釈するならば、 「御礼(感謝)の意を示すことで、 自らの霊の位を高め、肉体とは異なる、 霊の威力を発揮することができる」 日本語の漢字や熟語にも、 まだまだ私の知らない、 素晴らしい意味や価値が多く秘められている。
それぞれに「どう」を付け加えてみる。 天道(てんどう) 先導(せんどう) 面倒(めんどう) 律動(りつどう) 我々は立体的な「身体」を持って生きているが、 それだけではなく、「点の集合体」でもある。 だから、 「律動」=ただただ、繰り返し規律性を保ってロボットのように生きるのではなく 「面倒」=なんでも面倒だからと拒否するのではなく 「先導」=意識という肉体以外のものに導かれながら仙道を目指し 「天道」=天の子である天童として、天の道を歩夢。
「命」 この漢字を深く考えたことはありますか? 語源などを調べたことはありますか? 「命」という漢字は、「生命」で使う場合が多くありますが、 「言いつける」「おきて」という意味もあります。 語源を辿ると「命」という漢字は、 「口」と「令」のふたつの字から成り立っているそうです。 「令」は上部が冠、下部は人がひざまずいている。 つまり、人がひざまずいて神意を聞くさまをかたどっており、 そこから「言いつける」という意味になったのだそう(命令)。 もうひとつの要素である「
長女が中間試験で、ふと調べてみた。 「試」は「し」「こころみる」と読む。 「心(こころ)」「観る(みる)」 それから「言」と「式」も調べてみたら、 「言」ってかなり語源が怖い! 辛と口を合わせてできていて、 言は、もしその約束に違反したときには入れ墨の刑罰を私は受けます、という神への誓いの言葉だそう。 つまり、何となくものを「言う」のでなく、「神様にお告げをする、誓いをたてる」という字で、宣誓するという意味。 まさに「言霊」。 このような誓いの仕方をするのは、裁判
本日はスペシャルプライス、「半額」です! 飛びつかない人はいないだろう。 それが日常的に食している必需品とあらば、 主婦が見逃すわけがない。 世の中のほどんどが「損得勘定(感情)」で動いていて、 「道徳」などというものは二の次になっている。 「お金は何かを成し遂げるための手段」 ということは誰もがわかっているはずなのに、 目先の損得に意識を奪われ、本来大切にすべきことを失ってしまう。 この愚を指摘できず、見過ごしてしまうのは、 自らを否定することが難しく、 ストレス
あらゆること・ものには「中心点」が存在する。 点なので位置だけを表し、体積や質量はない。 目にすることはできないし、あるのは間違いないが確認できない。 この「無」に近い「極小」の中心点が、 「無限」に広がる宇宙「極大」へと繋がる。 だから発音が重なっている。 やらないとわからないことではあるが、 こういった些細なことを漢字から感じていくことで、 人生は驚くほど、スムーズに快適に過ごせる。 自らの心身の「中心点」を探る中で、 大いなる存在へと紡ぐ道が見つかる。
「大の字」で手足を伸ばした全身を表す「大」。 「小」は真ん中の線が脊柱を表し、 そこから手(足)が二本ずつ左右に伸びている。 大の字で地球を大きく包み込むように、 全てを包括するようなマクロの大いなる愛と、 極小なる見えない細胞のミクロの世界に、 どちらにも神は宿っている。 (中心部から細部というイメージでも良い) 「大」+「示」=「奈」 ではあるが、この「示」は「ニ」と「小」に分けても良い。 二つの大小が縦に重なる「奈」には神のメッセージ性を感じる。 「奈落の底
「いきち」とも読みます。 「生き値」と考えれば、とても興味深い言葉ですよね。 「閾値」の説明は色々とされていますが、 心理学的には、ある判断を下すための基準点や限界値。 物理工学などではある水準を超えると変化が生じる値。 つまり、マイナスからプラス、またその逆や上下左右前後等の動き含め、 「境目、境界線、接点、区切り」等の意味合いがあります。 生物学には「悉無律」(全か無かの法則)と呼ばれる法則もあります。 「刺激が加えられても反応するのか、しないのか」の境目ということ
私たちは、毎日たくさんの言葉を使っています。 会話やメール、SNSやブログなど、さまざまな場面で言葉を発したり書いたりしています。 しかし、私たちは本当に言葉を大切にしているでしょうか? 私たちは言葉を疎かにしているのではないでしょうか? 私は、以下の三つの点で言葉を疎かにしていると考えています。 言葉の意味を理解しないで使うこと 言葉の力を軽視して使うこと 言葉の美しさを忘れて使うこと まず、言葉の意味を理解しないで使うことは、言葉を疎かにしていると言えます。言
私たちは日常的に使っている言葉には、気づかないうちに先人の智慧が込められていることを知っていますか? 漢字やことわざ、四字熟語には、長い歴史の中で人類が積み上げてきた知恵や人智を超えた叡智などが含まれています。 これらの言葉は、単に文字や音として表現されるだけでなく、*言霊*として私たちの心に響きます。 例えば、漢字は、象形文字として物事の形や動きを表したものから始まりましたが、次第に抽象的な概念や感情を表すようになりました。漢字は、一つ一つの字に意味やイメージがあり、組
「ん」はひらがなの最終文字であり、単体で意味があるようでない。 だが、その他の語とくっつくと非常に重要な意味を成す。 おそらく、この最後の「ん」と最初の「あ」は中心を表し、 それがなくなると「あん(安)」が無いことと同じになり、 「不安」になるのだと思われる。 「ん」という唸るような響きは、言語を超えた、 世界共通で誰もが発せられるような空気の振動にも感じる。 例えば、声が出せない人でも「ん〜」と唸ることはできるのではないか。 この「ん」という形も、 私の示しいくべき使
言葉は人間の思考や感情を表現する手段であり、 社会や文化を形成する要素でもあります。 しかし、現代社会では言葉の乱れが深刻な問題となっています。言葉の乱れとは、言葉の正しい意味や用法を無視したり、言葉の力や美しさを軽視したり、言葉の使い方に対する関心や責任感を欠いたりすることです。 あとは、言葉に含まれる「言霊」を感じていないことも大きな問題です。 こういったことは会話における伝達機能や表現力を低下させるだけでなく、 人間関係や社会秩序にも悪影響を及ぼします。 主な原
説明せずとも、言わんとするところは感じ取れるかと思います。 私たちは日々、様々な選択を迫られます。 そのとき、どのような基準で判断するでしょうか? 自分の利益や欲望を優先するのか、それとも他人や社会のためになることを選ぶのか。 この二つの価値観は、それぞれ「得」と「徳」と呼ばれます。 どうしても我々庶民は「得」ばかりに目がいき、 「徳」ということを忘れてしまいがちです。 「得する」ことが全面的に悪いとは思いませんが、 順番や優先順位としては後回しで、 まずは「徳」を追
数字で言えば「0」意味はないが、なくては困る。 そして、最も中心で「神」とも言えます。 ひらがなの最後。 最初の「あ」と組み合わせれば、「あん」となります。 誕生という始まりの「あ」と 死亡という終わりの「ん」は 我々の意識ではコントロールできません。 その間の「生き方」は意識次第でいかようにも変えられますが、 この「誕生(最初)」と「死亡(最後)」は決まっていて、逃げられません。 れいち流に言えば、この最初と最後だけは明確に決まっていて、 その間は決まっていない、
こんにちは。 今回は、「ひも」を掛けて、「ひも理論」という物理学の最先端の理論を使って、人生の悩みや問題を「ひもとく」ということをしようと思います。 ひも理論とは、自然界のすべてのものは、点ではなく細いひものようなものでできているという理論です。このひもは、さまざまな振動のパターンを持ち、それによって素粒子や力などを表現しています。ひも理論は、宇宙の謎を解明するための有力な候補とされていますが、まだ完全には確立されていません。 では、ひも理論は人生にどのように役立つので