人間機械論―人間と機械(システム)との折り合い(調和)について―

人間機械論―人間と機械(システム)との折り合い(調和)について―

―ノーバート・ウィーナーの「サイバネティックス原理」と
その社会現実化事態への対応の模索―

はじめに
 ノーバート・ウィーナーは、機械(システム)は人間のために、道具として有効に利用されるべきであると主張した。また、人間の尊厳の問題として、人間が、機械化されたり、機械(システム)の動力源になったりしてはならないと主張し続けた。本レポートは、人間と機械の折り合い(調和)について考えたものである。建築(物)「機械・システム・道具」と人間との関係に見られる「調和」の問題を考察したものである。第一に住居、第二に茶屋、第三に屋台、第四に有人型人工衛星を取り上げることにしました。

(一) 人間と住居(生理体としての人間と機械の調和)
―コルビジェと「モデュロール」 金尺・畳・木割・和建築のこと―

仏の建築家ル・コルビジェは「住宅は住むための機械」であると定式化する。主体は人間であり道具としての住宅(機械)ということである。コルビジェは「建築並びに機械工学に普遍的に適用可能な人間的規模の調和の取れた尺度」として、「モデュロール」という概念(尺度)、基盤(器)、基準比率を提唱した。それは、(人体寸法+黄金比率)をコルビジェとして数学的に定式化したものであった。(資料参照) モデュロール(Modulor)とは、尺度(module)と、黄金分割(section d’or)という語を組み合わせて作られたものである。
 20世紀の欧米の建築界に与えたコルビジェの「モデュロール」論のインパクトは強く、業界の人気者となった。一つには、20世紀の人々の関心・テーマが、人間と機械(文明)であったということ、二つには、欧米の建築(機械)に、人間(性)、自然性というカテゴリーを組み込むというアイデアのタイムリーな提唱であった。そこにコルビジェの芸才があったということが人気の秘密であった。コルビジェの建築(機械)が人間性と美と機械(鉄・コンクリート・石・プラスチック・化学繊維・電気ガスなどのシステム体)とどのように具体的に「調和」を実現できたかどうかは不明である。しかし、その語らんとした意図は機知にとんだものであった。
 人体寸法を図形として抽象化し、建築、都市計画に適用することを探究したのは、レオナルド・ダビンチであった。彼は、円や正方形を抽出し、それを建築設計上のモジュールとすることを考えた、ルネッサンス(人間性・理性・科学・工学技術の復興期)を代表する天才の一人であった。人体寸法の中に黄金比率を発見し、定型化したのはノイフェルトであった。コルビジェはそれらに学び、具体的に物(建築物)として提唱したということであった。
 人体寸法と黄金率を「尺度」として社会普遍原理として適用することは、日本の寸法(尺度法)と金尺(定規という道具)として常用されているということである。和建築においては、さらに、畳という人体寸法を移した製品があり、畳は間取りの「尺度」として用いられるものでもある。建築部材の中心となる、木材に関しては、「木割り」「木取り」という技術があり、間取りと大まかな仕様が分かれば、原木から部材を作り出す時点で、部材の量、用途別の強度やデザイン(木目の美)までが確定されるというシステムが完成しているのである。
 人体寸法、黄金率、寸法(尺度)定規(金尺)・道具・たたみ・木割(木取り)器・土・石・紙といった建築素材、建築物の規模(サイズ)、使い勝手といった、全体としてのシステム(機械・道具)としての「住宅」は、和建築文化・文明の中に完全な形で完成され、社会化され、日常化されているのである。機械秩序・自然性・人間性・道具製・機械と美・社会秩序・日常生活性といった全体の調和の原像をここに見出すことが出来るだろう。

(二) 茶室(社会人間関係者としての人間と機械)
―社会的人間関係の場としての建築物(機械・システム)―

 人間は、生理体であるだけでなく、「社会人間関係」としての存在者である。社交文化を、建築(物)として、定式化したものに茶室がある。一畳大目の、今日庵という茶室は極小のサロン建築物の典型の一つである。そこには「茶道」としての文化(社交システム)一式が、建築物の仕様、品質の中に折り組まれているものである。(一)でみた住宅の一部としてこれを組み込むこともでき、独立して使うこともできるものである。社会人間関係の存在者としての人間と機械との調和の工夫を茶室の世界にうかがうことができるのである。

(三) 屋台(そば・ラーメン屋の屋台など)
―社会生物人間としての人間性と機械(システム)の調和―

 屋台という、建築物・装置・機械道具は住居や茶室とは異質カテゴリーに属する。社会システム体系(機械)の極小モデル、原型といえるものである。基本的に屋台は収益、税金、産出装置(機械)である。屋台は、次のようなカテゴリー別機械(システム)の複合体である。
①商品製造装置。②原材料、在庫(倉庫)装置。③テーブル・イスなどのSHOP装置。④宣伝・広告用装置。(のれん・ちょうちんなど)⑤照明、エネルギー装置。⑥移動用装置。(車・でまえ箱)⑦会計用レジスター、伝票、領収システム。⑧収益事業体としての装置。⑨職場、労働装置。
民法、諸法、条例、体制、制度、会計基準それらが一式「屋台」として、定式化、装置(機械)システムとして確立されているのである。
その道具としての機能性、使い勝手のうち「収益」についてみてみることにする。80~100食分の規模は単価×100=売上額となっている。そこに原価・経費・税金・保険料などと個人収益一日の所得が成立するサイズとして出来上がっているのである。
屋台は、社会存在者・存命者としての人間と社会・体制・制度としてのシステム(機械)との接点(インターフェイス)であり、そこに人間と機械の折り合い(調和)を実現せしめているものの一つといえるだろう。

(四)有人型人工衛星と人間
―人間と機械の複合体―

 ロシアの有人型人工衛星の打ち上げ成功は20世紀の偉業であった。人間が地球を離れ、宇宙という世界に第一歩を踏み入れたのである。その科学技術の力と成果は、人類史の頂点を意味するものであった。頭を大地から離し、二本足で立ち上がった動物人間が、ついに大地を離れ、宇宙に浮かんだのである。そして、肉眼で命の基盤である地球を、地球の外に立ってみたのである。「水の星は青く輝き、そして丸かった」ことを見たのであった。丸い球体としての地球(グローブ)。21世紀のグローバリゼーションという地球社会人間時代がそこに始まったのであった。また、それはもっと大事なことを物語る大事件であった。人間が「新しい生命体」としての新しい人間の原型を作り出したということであった。
 有人型人工衛星は次の諸点を浮き彫りにした。宇宙や地球という自然秩序世界から分離・独立した一つの人工秩序体としての「有人衛星」である。機械と人間の融合一体となった一つの「星」その「星」自体が「ひとつの生命体」そのものであり、存在し、生きて動いている命(生き物)「新しい生命体」としての人間の「卵」といえるのである。かつて、地上に「細胞」という生命体が発祥したように又、その命の原型形態のフラクタルとして「卵」や「貝」が存在するように、「有人人工衛星」という人間と機械が一体となった「新しい生命体としての人間」の一つの「原型」「卵」「細胞」とも言える概念物質・概念の「具象生命体形態」をそこに想念することができるのである。
そこにあっては、もはや古い概念としての「機械」や漠然としたイメージとしての「人間」といったものは止揚されてしまっているのである。従って、どちらが主体であるかとか、どちらが道具であるのかといった考え方は役に立たないのである。どちらも主体であり、どちらも機能において相補関係にある。「貝」の殻と中身をどちらが「主体」でありどちらが道具であるのかを論ずることは愚かしいのと同じことである。あるいは、細胞とゲノム(遺伝子)を一つの生命体とせずにどちらが主体でどちらが道具であるのかと問うのも同じことである。
有人型人工衛星は、「人間と機械」というテーマに対して、その折り合いや調和といった考え方を超えた発想(考え方、物の見方)を提示してくれるものの一つという事ができる。機械と人間の融合、一体化した「新しい一つの生命体」を見る、見方、考え方がそれである。

終わりに
従来の機械や人間というもの、そのものの概念の転換へと至るだろうと思っています。ノーバート・ウィーナーの創出した「サイバネティックス原理」とその具体化としての、ロボテック(ロボット)やメカトロシステム体系といったものは、彼自身が当初に意図したように「魂を持った人工生命体」として、独り歩きを始めたのである。
 彼は、後にその事態の異常さに自ら驚き、恐れ、人間の尊厳を守るべきであると騒いだのであった。しかし、サイバネティックス原理と、その社会現実事態化の勢いをとめることは出来なかったのである。それは、古い「人間」という概念や、古い道具や機械といった概念を破壊しつくしつつ、自律活動力を持った社会現実事態(活動体)として、自己充実化と成長を続けるに至っているのである。
 機械と人間の一体化した「新しい生命体」を直視し、それを正しく認識することなしに、それへの対応の仕方を見出すことは出来ないだろう。

参考文献
『表象としての身体』 鷲田清一 野村雅一 編
『人間機械論―人間の人間的な利用―』 ノーバート・ウィーナー 著

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