日本人とは

一、 日本人とはどういう人々のことか

 日本は、「移民」集団の融合・発展を基盤として成立している国家であり社会の典型をなす。「日本」(人)の成立をどこにおくかは難しい。明治維新をもって、近代国家としての日本成立とするという点では一つの見方として成立する。しかし、「江戸時代」ではすでに立派な国家として成立している。この江戸期300年余りの期間に「日本」(人)というものが成立・構造されていったことは間違いのないところである。足利・室町時代において、日本(人)というものの基本型が整ったと見ることもできる。日本列島という「島」領土を、海という自然国境に囲われた「器」を暗黙の前提とするとき、その中の国家社会の「核」の形成としては、奈良・平安の時代に、一応日本(人)という物が成立したとも言える。しかし、それ以降の鎌倉~室町時代あたりまでは、国家社会(日本人)の形成時期であったと見ることもできるのである。更に、奈良時代以前のことを考えると、九州地方における500年~700年間は、どの弥生文化文明社会の成立期をどう捉えるのかという問題もある。いずれにせよ、明治維新における近代国家日本の成立までの約2000年余りの期間の日本(人)とは、他民族・氏族・部族の複合体であったということは確かである。この「族」を族の郎等も含めて、移民集団(グループ)とみなすことができる。すなわち「エスニシティグループ」であり、「エスニシティ」の日本的形態とみなすことができるということである。
 明治維新・第二次大戦後の現在も尚日本は、「族」エスニック・グループ国家・社会の姿かたちを色濃く残している。「天皇」一族や、藤原一族をはじめとする貴族集団は、明らかにエスニック・グループであり、確かなエスニシティを再生産し続けてきているのである。皇室の雅楽の中心をなす「多家」や日本の天満宮の御神体に納まる「菅原家」などと、そのグループは存続し続けているのである。
 21世紀にはいって。国家社会のサイバネティクスシステム体化・オプトエレクトロニクス型デジタルシステム体化への移行によって、国民・生理人間の捨象とシステム素人化(記号体人化)によって、「アナログ体」としての「族」(グループ)の捨象化が進展し、数百年間のエスニック・グループ(エスニシティ)が終息するに至り、「私事」に転化するに至ったのである。今後は、私事としての、アソシエイト(クラブ)の類としてのエスニック・グループ(エスニシティ)の世界へと移行するということである。21世紀グローバリゼーション社会時代の今、また再び「移民」とエスニック・グループ(エスニシティ)の問題が浮上している。ただし、日本における古代以来の移民たちの持っていた世界への堅固なグループ力とエスニシティはなく、日本人の現代における「移民」とエスニシティの成立は心細い限りといえるだろう。
 日本人としての集団(グループ)形成「エスニシティ」の核となる求心力(集団結成触媒力)が喪失されてしまっているからである。他国への移民自体、個人の私事でしかなく、個存者の当人事に過ぎないが故に、当該国におけるエスニシティ・グループへの帰属も、移動以前から期待されることは稀となるということである。多国籍企業の海外進出に伴う「移動」に関しては、また、別の問題として研究される。
 「日本人」とは、遺伝子研究からも数種の系の複合「寄せ集め」的である。歴史を過去にさかのぼるほどに、日本人なるものは拡散消失し去ってゆく。また、現代・今・明日へ向かうほどに「日本人」らしさなるものは喪失されつくしてゆくという有り様である。とくに近年、かつての「日本人」らしさの諸指標群は霧散・放棄・遺棄されつくしてゆく有り様である。ついには、親・先祖の捨象・遺棄や子捨て、子産みの拒否が常識とかすに至っている。墓も田舎も今は昔の語りごとと化してしまった観がある。「日本人」としての「系」はずた切りである。あるいはそういう「系」が成立してきたと断言できるのかどうかも定かでないといえなくもない。
 系統だった日本の語源辞典すら整備されておらず、個人的な文学としての語源辞典が何冊か出版されている程度である。現代人の時に若い世代のスラング化した日本語や、コンピューターのものする宣伝文や商品ネーミングも、言語を切り刻み、コラージュして遊んでいる風である。日常自然言語の「喃語」化状態化。
 このような現在、正体不明の「日本人」の成立について、論じることは難しいことである。カオス化しつくした「日本人」の現状の中から日本人らしさの種を見出す作業が必要である。ともあれ、以上のことどもを度外視してざっくりとした「日本人」成立についてレポートする。

二、 日本人の成立についての諸指標

 「日本人」というものをどう規定するのかが難しい、ともあれいくつかの指標によって考えるしかない。第一は明治維新である。西洋風の近代国家状態としての日本国家の日本人の成立である。日清・日露とう二つの戦争によって、世界に向けて日本国家(日本人)というものが認知されオーソライズされたといえる。
 その内容としては、憲法や諸法体系の成立、議会制民主主義制度や通貨や株式会社・銀行(金融)制度・郵便制度・資本主義型の商品貨幣経済と生活様式などなどである。日本は、四方を海に囲まれた島国であり、海という自然の国境を持つ国である。この国としての自然形態が国の成立期や日本人というものの概念規定を悩ましいものにする。国境や、城壁という容器(国家)の中に棲む者を「~人」と一般化するのであれば、縄文人以前から日本人は成立していたことになる。
 大きな節目としては、石器時代人・縄文土器時代人・弥生式土器時代人・古墳文化時代人・憲法(文学)律令制形成期人といった区分をすることが習わしとなっている。数万年の尺度・数千年の尺度・数百年の尺度によって俯瞰し特徴となる指標を取り上げてざっくりと日本人の歴史とするという乱暴さである。内実としては、多数の移民集団が雑居し、離反融合をくりかえしつつ、次第に有力氏族・部族集団の数が絞り込まれ、それらが支配・統治者として時代を作り上げてはまた交代してゆくということが続けられてきたということである。明治時代といえども、日本人の内実としては有力氏族部族支配の新しい形態に過ぎないということができるのである。有力氏族の間におけるヒエラルキーと内部下克上と相互妥協秩序の様変わり。それ以外の人々は有力氏族の郎等としての系とグループのうちに組み込まれて生存している状態が続いてきたのである。日本人という概念的な自覚はなく、自分たちの多様なる結界態を境界とした内部者と、外部者の区別を持つというのが基本である。
 一番大きな境界が海という国境である。外人・外国人というものがそこに発生するのである。バームクーヘンのような結界・境界のスパイラルの内包化と外延化の世界観ということができるだろう。このような、自他の区分と自覚・意識が日本人の人々の一般的特性であり、その成立は気の遠くなるような古代から成立しており、現代においても再生産され続けているものである。しかし、時代と共にその結界「境界」内容と意識が溶解を続け、20世紀後半の人工都市基盤型国家社会体制と機械システム型生存と生活様式への移行によって、画期的な旧来のパラダイムの崩壊と転換が起こっているといえるのである。古代以来成立し続けてきた「日本人」の崩壊が20世紀末から21世紀の現在進行中ということである。

三、 日本人(らしさ)の確かな崩壊からの逆視

 書かれ語られる範囲での日本人の成立。それは、有力統治氏族群の歴史の色彩で綴られているものであるとしても、律令体制の成立した奈良時代を第一とし、徳川時代を第二期とし、明治維新と第二次大戦敗戦期を第三とし、20世紀末から21世紀初頭の現在を第四期とすることが妥当なところであろう。しかし、21世紀の現在をもって日本人の崩壊期とする点は間違いないところであろう。奇妙なことであるが、日本人(らしさ)の終焉をもって、逆さに日本人(らしさ)の成立を俯瞰するかたちで、日本人の成立を考える以外によい方法は見つからないということである。
 繰り返される日本人論というものは、部分、部分における日本人らしさの崩壊の自覚の文化史ということができると考えるのである。都度、日本人というものはそういう属性を持っていたのであろうか。という日本人の自覚と発見の文化史といえるものであり、決して日本人の成立という大命題を根源的に定式化するに足りるものではないことは明白である。しかし、21世紀の現在の日本人(らしさ)の根源的・画期的崩壊と喪失局面にある今、はじめて日本人(らしさ)について俯瞰する立ち位置に立つことができることになったといえるだろう。私には、日本人(らしさ)の具体的かつ詳細に目配りした体系的論述をする能力はないが、日本人(らしさ)は今、根源的・体系的に崩壊喪失したということはいえると考えている。


四、 一つの仮説としての、日本人の成立期について

 無数の居住民グループの融合という観点に立つとき、鎌倉時代から室町時代を日本人(らしさ)が醸造期のピークとしての結晶期に入った時期ということができるだろう。東山文化の開化である。中国における明・宋の崩壊と日本への禅や書画文物と知識文化人たちの移住である。織田信長による日本統一と堺を中心として明との通商・イエスズ会(キリスト教)を介したヨーロッパの文化文明・思想の流入とその日本的取り込み加工の進展である。アジアや世界との交流の中において、日本(人)としての自覚と主体性の確立が起こっていったのである。建築・工芸・茶文化・書画・陶芸・商工業・市場経済・科学技術・音楽・衣食住のファッションデザインの全体に及ぶ、日本住民の潜在文化・文明力が融合と再結晶化した時期である。
 それは、日本におけるルネッサンス期ということができると考えるのである。文化・芸術・思想における知的完成の個性や好みが形成された時期といえるのである。この爆発的結晶化は徳川時代の元禄文化として円熟期に至ったということができるだろう。日本人(らしさ)として全世界に誇れる内容のものは全てこの時期に確立したといっても過言ではない。奈良時代に起こった第一次日本(人)成立の内容が、平安時代に花開き、それらが更に世界レベルに至ったということである。
 その日本人(らしさ)は科学技術分野へと特化されつつ21世紀のグローバリゼーションの嵐の中に飲み込まれて、霧散・消失していっているのである。世界人類史レベルでの巨大なる人類(人間)の分解と再編成は世界の地域文化や民族文化の個性(多様性)を解体吸収し尽くしつつ、その成果をグローバルな世界秩序構築の糧としているといえるだろう。日本人(らしさ)もまた、大きく変質してゆくことになる。しかし、どこまでも日本人(らしさ)は生き残ってゆく質をもっていると期待するものである。

以上散漫なレポートとなりましたが、日本(人)の成立に対する私の考えをレポートしました。

【参考文献】
『東山文化―その背景と基層』
著:横山 清 出版:平凡社
『日本の時代史 (15) 元禄の社会と文化』
編集:高埜 利彦 出版:吉川弘文館

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