やっぱり落語を愛している談志師匠。
林家 源平
噺家は哲学者
師匠たちに教えていただけきながら、落語を勉強していたが、なかなか落語がうまくならないので、そうだ、落語を体全体で表現しようと考えついた。そこで僕は反対車という落語を噺はもちろんだが、えーいい高座と寄席の周りを走ってしまえーーー。と考えつき、浅草演芸ホールで高座をつとめる際、本当に浅草演芸ホールの高座と寄席を走り回っていた。
ある日、それを見ていた立川談志師匠が、僕の高座の後に上がった後、お客様に向かって
「けしからんもんで、あんないい落語を、悪く喋って、田舎もんはこまったもんだ。」
談志師匠が高座から、客席に喋ると、お客様はげらげらと笑っていた。
舞台の袖で、僕が聞いているのを、横目でチラッと見た談志師匠は、
にやーーーーーって、楽しそうな顔をして、楽屋口に向かって
「源平、後で小言だ。」
と言った
さすが談志師匠のまくらだと感心して聞き入っていたら、すぅーーーと古典落語の本題に入っていた。その古典落語ときたら、洗練されているが、どこか豪快で、田舎もんの僕も、これが江戸落語かとしみじみ感じていると
客席で笑っているお客様も同じような気持ちになっているのか、談志師匠の古典落語に魅せられ、さすが談志師匠の芸は違うなってお客様を納得させていた。
さすが立川談志の芸、ここにありと。
僕のような不届きものな後輩にも江戸落語、古典落語の神髄を見せ、高座を降りて来た。
着物から洋服に着替えながら、談志師匠は僕に向かって、
「ただ客席を走るだけじゃ、売れねえなー」
一言つぶやくだけであった。
その一言に、俺の古典を見て、芸は盗めよっと暖かい落語の稽古をつくけてくださったのだと感謝しかなかった。