トラウマに向き合おうとした話(体罰)

「教師の資質」

Facebookに公開した物を編集、加筆したものを載せています。

大分気持ちが落ち着いてきましたので、前々回の更新でお知らせしました、飯田市訪問について報告いたします。

結論からいうと、会談を行ってよかったということ、ただし新たな疑念や憤りが生まれる結果となりました。

大きく分けて4つの問題点が判り、「教師の資質」、「学校長の監督」、「教育委員会の管理」、「保護者の責任」が今回の件の焦点となり、また、未然に防げたということも判りました。

現在は、同席した教育委員会の方にお願いして記録した録音とメモを元に報告書を作成してもらい、郵送を待っている段階です。

第一に、教師の資質問題

当時の年齢を知らなかったが確認したところ、当該教師は34歳で現在の自分より年上(!?)で、どのような教育理念や思想のもと体罰を行っていたのか、という質問に対して、「手っ取り早いから」の一言で終わってしまいました。

体罰に対しての「愛のムチ」だとか「信頼関係の上で必要」だとかの体罰肯定派がいて、それに対して反論するつもりが、ただ口でいうより簡単だからという理由で体罰を行っており、悪いとは欠片にも思っていなかったことが、怒りを通り越して、ただただ呆れてしまいました。

よって教室内で行われていた体罰および、私の問題行動に対する往復ビンタや吐しゃしたことは一切学校長に報告されておらず、私が不登校になり、保護者が学校に問い合わせた段階で発覚、問題化されるまで、罪の意識や、なぜ学校を休んでいるのかという理由すら思いつかないという低レベルなほどでした。

こんな気軽な気持ちで体罰を行っていた人間に、幼少の自分と、私の人生に大きく深い傷を残されていたのかと思うと、情けないやら悔しいやら、忸怩たる気持ちです。

まるで軽い気持ちでいじめている人間といじめを受けた人間との間にある意識の落差のようで、何気ない一言や、暴言や暴力は人の人生を大きく狂わせるものだと、大いに気を引き締めることとなりました。

文章が長くなるので、第二、第三、第四は後に更新します。

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