トラウマに向き合おうとした話(体罰)

「飯田市訪問」

Facebook上に公開した、現在進行形の事柄を編集、加筆して記載します。

予告どおり明日飯田に行ってきます。

明日は自分の人生の中で一つの大きな障害と疑念を晴らすために参ります。

昨今の体罰のニュースや東京都での禁止条例を見るたびに、傷口がうずくかのように自分が受けた体罰とそのトラウマを思い出し、いざ向き合おうと、その詳細を長野県教育委員会に問い合わせたところ、統廃合のため記録はなくなっているが、当該教師の記録から現在も在職しているため、聞き取りをしたとのこと。

結果、当時の体罰の事実を認めた上で、改めて謝罪をしたいとの回答を経て、県教育委員会の立ち合いの下、面談する運びとなりました。

現時点ですこぶる不満なのは、調査の手順が雑で、被害者側である自分には無遠慮な対応が目立ち、また当該教諭が現在も学校教師として在職の場合、その勤務態度、体罰の有無も問い合わせていたのだが、教育委員会から校長に電話で問い合わせて「ありません」の回答で、信じてくださいという甚だ可笑しい答えであった。

私自身、当時の両親の対応と訴えが果たして適当だったのか疑わしい限りであり、家庭として大きな不和と問題を抱えていた人間の訴えとしてモンスターペアレンツ的な訴えであった可能性も大きくある。

当該教諭に対して何の懲戒処分がなされていないということは、何かしらの取引や話し合いが行われたということであろうが、先入観にとらわれない為、また親の自己弁護に対して疲れ果てたので、両親に聞き取りをすることが出来ない。
よって当時の加害者と被害者、そして第三者を交えての面談となるが、どうなるかは不明だ。

現在であれば、親が、教師が、保護者が、監護者が体罰を行った場合、謝罪をしたから刑事的な罪から逃れられるというのであれば、「ごめんで済んだら警察はいらない」という言葉が事実になってしまうだろう。

次に更新するのは飯田から帰ってきて、心落ち着けてまとめてからとなります。

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