日本古典 江戸後期時代 「亀田鵬斎(ほうさい)
1754年―1826年没
儒者。名は翼(すけ)、のちに長興(ちょうこう)、字は穉龍(ちりゅう)。鵬斎、善身堂の号をもつ。通称は文左衛門。
折衷学を井上金峨〈きんが〉に学び、儒者となる。朱子学以外の学問を禁じた「寛政異学の禁」が発せられると、鵬斎は異端の筆頭と目されて弾圧を受けた。弟子が千人いた私塾も閉鎖したが、志を貫き「異学の五鬼」と言われた。
江戸の書家・三井親和に書を学び、殊に草書を得意とした。また、良寛の人柄や書にも魅了され、越後訪問以後はその書風に強い影響をうけたことへの冷やかしで「鵬斎は越後がえりで字がくねり」という川柳を詠まれた。優れた書画を数多く残し、また酒を愛し、文化人としても庶民に親しまれた儒者だった。
・飲中八仙歌 杜甫
〈原文〉
知章騎馬似乘船
眼花落井水底眠
〈読み下し文〉
知章(ちしょう)が馬に騎るは船に乗るに似たり
眼花(がんか) 井(い)に落ちて水底に眠る
・玄妙個展2021「古典漫遊〜文字の変遷をたどる〜中国編」
・玄妙個展2022「古典漫遊 中国書法から日本の書まで文字の変遷をたどる」
・玄妙個展2023「古典漫遊 中国書法から日本の書まで文字の変遷をたどる」