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黄土高原史話<45>「河清」はやはり植林で by 谷口義介

 人あり、王星光・彭勇「歴史時期的“黄河清”現象初探」(『史学月刊』2002年第9期)と、汪前進「黄河河水変清年表」(『広西民族学院学報(自然科学版)』第12巻第2期、2006年5月)を送ってくれました。これをベースに数え直すと、「河清」なる現象、後漢の桓帝延熹八年(165)から昨2008年までの1843年間に111回、つまり約17年に1回の割合で起っている。したがって前回、「約32年に1回」と書いたのは、お詫びのうえ訂正ということに。
 2論文が引く資料によると、「河清」は最長期間で1ヶ月、範囲的には2000里に及ぶこともあったようだ。
 いま、内蒙古自治区の托克托(トクト)県河口鎮より上流を黄河の上流域、河口鎮から河南省三門峡までを中流域、それより以下を下流域とすると、不明なものを除き、「河清」は
 上流域――甘粛省蘭州などで4回  
 中流域――陝西・山西両省間の龍門・蒲州・永寧などで23回  
 下流域――河南・河北・山東の各省内で80回
起っている。下流域で圧倒的に多いが、そこでは川幅が広くなり、流れが緩やかになることによって、水中の土砂が川底に沈殿し、いわば黄河が上澄みの状態になったから。
 また「河清」を記録どおり旧暦の月ごとに分類してみると、1月-14回、2月-6回、3月-5回、4月-10回、5月-7回、6月-2回、7月-3回、8月-7回、9月-8回、10月-1回、11月-6回、12月-12回、となる。(ちなみに春―1回、夏―1回、秋―1回、冬―2回とあるが、旧暦1~3月が春、4~6月が夏、7~9月が秋、10~12月が冬に入る)。  
 いうまでもなく、旧暦は新暦より1ト月遅れだから、このうち最も「河清」の起っている12月と1月は新暦だと1月と2月で、雨の降らない真っ最中。反対に「河清」がほとんど起っていない6月と7月は同じく7月と8月で、降雨量の多い時期。つまり、雨の少ない季節には「河清」の頻度が高く、逆に雨季の夏には黄濁した水が流れ出てくるわけで、「河清」は少ない。
 では、含砂量が多く濁水の源流区となっている黄河中流域で、昨08年6月、「河清」が起ったのは、いかなる理由によるのか。
 じつは、黄土高原では数十年に1度といわれる旱魃で、雨量が少なく、黄河の流量も極度に減少。加えて、壷口瀑布(前回掲出の写真)の上流に造られた万家寨ダムが土砂を堰き止め、それゆえ数年前から河の色が変わった、と。「以前はもっと黄色かったが、いまは水が青くなった」(地元の副県長談――渡辺斉『水の警鐘』による)。
 こうみてくると、「河清」という現象、単純には喜べない。
 もっと降ってくれなければ困るけれど、黄土高原の緑化によって、夏場の雨は濁水にさせず、乾季には保水した清水をチョロチョロ流す。それが「河清」の王道だろう。
(緑の地球127号 2009年5月)

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