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黄土高原に小型風力発電機を持っていく by 村松弘一(GEN世話人)

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 いまや世界をリードする中国の風力発電。しかし、20年前は違いました。日本から黄土高原に小型風力発電機を持ち込んだ時のドタバタ、思い切って公開します。
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 今回は今から約20年前、2005年のお話です。この話は私の中国史の授業では「鉄板ネタ」です。あまり公にしてはいけないような話もあるかもしれませんが、もはや時効となっていると思いますので、思い切ってみなさんに公開します。

 この時期、私は鳥取大学乾燥地研究センターの共同研究で度々、黄土高原の楡林に行っていました。この年の12月も楡林に行こうと計画を立てている時に、東大にいらした安冨歩先生(この頃知り合いであったが、上記のプロジェクトの共同研究者ではない)が、「村松さん、年末に楡林行くなら僕らと一緒の飛行機で行こうよ。荷物が重いから、預け入れの重さを合算しよう」という提案がきました。いったい、何を持っていくつもりなんだよと思いつつも、「わかりました」と返事。この軽はずみな返答が大変なことを引き起こします。

 出発当日、成田空港へ到着すると、遠くから「村松さ~ん」という声が聞こえました。大量のバッテリー(20個ぐらいあったか?)、大きな箱、3mぐらいの棒を載せた台車を押してくる3人組が近寄ってきます。そして、「これを飛行機に預けるよ」と言って、早速、航空会社のカウンターへ連行されました。量りに載せると、なんと126kgオーバー。人間より重い。当然、超過料金が発生となりますが、そこで安冨さんの交渉が始まります。「これは小型の風力発電機です。沙漠化のすすんでいる中国の黄土高原に持っていきます。現地の人々の役に立つものなんです!」と中国国際航空の小姐に詰め寄ります。しばらく、やりとりが続き、結局、(記憶によれば)100kgのディスカウント成功、残りの超過分は、風力発電の会社の方が払うことになりました。無事に飛行機の荷物に預けて、北京へ出発しました。

 北京へ到着、なぜか、私はターンテーブルに出てきた3mの棒を持ち出す担当になり、ほかのメンバーと分かれて税関荷物検査へ。何も悪いことはしていませんよという顔をして、係員にニコッとした瞬間、後ろでは大量のバッテリーを運ぶグループが怪しまれてトラブル発生。当然、前を歩く私も止められて、風力発電関連の荷物はすべてゲート外に持ち出し禁止となりました。

 空港を出て、北京市内に入った私たちは清華大学へと向かいました。安冨先生の知り合いの先生に受け入れ者となってもらうことで、持ち出し可能ということになったようで、突然押しかけて、お願いすることになりました。やはり、人間関係が最も大事な国ですね。こちらはスムーズに手続きがすすみます。翌日空港に行き、無事、中国国内へ持ち込み完了。しかし、楡林まで飛行機に乗せると同じトラブルが発生しそうなので、トラックをチャーターして楡林まで運んでもらうことになりました。そして、私たちは安心して飛行機に乗って出発となれば話はおわりなんですが、そんなにうまくいかないのが中国。自分たちが乗る前に風力発電の手続きをしていたので、フライトまで時間がない。手荷物検査を終えて、急いで、遠くの搭乗口まで。ところが、ここで私が痛恨のミス。手荷物検査の時に取り出したPCを入れるのを忘れてしまったのです。必死になって戻ってPCは回収しましたが、なんと、飛行機は飛んで行ってしまったのでした。呆然と立ち尽くす一行。北京-楡林便は1日1本なので、北京にもう一日滞在です。まあ、予定通り行かないのが中国です。

 翌日、私たちはようやく楡林に到着、風力発電機も、目的の楡林学院に納めることができました。通常、こう言った機器類を中国に持ち込むためには、船便で送り、数週間、港で検査をして、中国国内に持ち込むのですが、年内に楡林学院に納品しないと補助金が下りないという事態だったそうで、今回のような強硬手段に出たそうです。

 さて、後日談、結局、納めた小型の風力発電機は設置しましたが、思いのほか風が吹かずにバッテリーが上がってしまい、すぐに使えなくなったそうです。あの僕らの苦労はなんだったんだよ、と思いますが、ハラハラドキドキ、それが中国、それが黄土高原なんでしょう。だから、楽しい。

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