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世界の森林と日本の森林(その15)by 立花吉茂

森林の復元
 
自然の森林は、日本のように豊かな森林生態系が成り立っているところでは多くの種類の入り混じった原生林であり、いったん破壊しても、何種類かの混じった雑木林になる。だが、人の植えた森林はたった1種類であることが多い。それは農作物の栽培にもあてはまるが、これは経済効果と栽培、育成の作業の単一化を図ることから起こる必然的なものである。しかし、環境を護るための緑化の場合は単一で良いとは思えない。もともと多数の種類の森林であったなら、復元にも多数が必要である。その組み合わせはなるべくもとの状態が好ましいことはいうまでもない。しかし、役にも立たない雑木を植えるなんてばかばかしい、同じ植えるなら値段の高い上等の樹を植える
べきだというのが一般的な現実である。
 
林木生産か環境財の育成か?
 しかし、これは環境財としての森林と、木材生産の経済林とを混同した考えである。これははっきり議論しておく必要がある。経済林でもよく繁茂していれば環境財としての働きは存在する。その証拠にシベリヤやカナダの針葉樹林は1~2種の優占種が存在するだけであるから、植林した針葉樹林と大差はない。それでも地球の温暖化の歯止めには貢献しているのである。シベリヤやカナダの森林は寒さのために種類数が少なく、寒さに強い数種類だけが生き残っているのである。乾燥した地域では乾燥に強い種類だけが生き残って繁茂しているはずだが、熱帯や温帯の乾燥地でギリギリいっぱいで森林を形成していた場所は、もう地球上には残っていない。それはいったん伐採されると回復できないからである。
 われわれが活動している黄土高原のように、森林があったのかなかったのかはっきりしない乾燥した特殊な土壌の土地では、育つものなら何でも良い、と割り切らなければならない。日本の造林は主にスギ、ヒノキの単植であるが、いろいろな種類の樹木を混ぜて植える混植は世界各地でもその例は少ない。ただし、近年アグロフォレストリーと称して数種の樹木と農作物との混植が熱帯地域で奨励され、一部で実現している。黄土高原の緑化に際して、われわれは混植を考えはじめている。それは、育ちがたい地域の緑化は「値段の高い樹木を育てる」というような贅沢なものではないからである。とにかく何でもよいから緑化できれば、第1歩は成功なのである。そして、弱肉強食が起こって1~2種が残れば、それはそれで成功といえるだろう。全部残って共倒れになりそうなら間引きの作業をおこなえば良いのだ。
 今のところ、土着の樹木はそんなに多種多様とはいえないが、モンゴルマツとアブラマツに加えて、シンジュ、サージ、ニセアカシアなどの混植が実施されはじめた。間引かねばならないほど茂ってくれるのを祈りながら。

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