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黄土高原史話<39>一字に込めし想いは深く by 谷口義介

 旧臘(きゅうろう)、本誌編集子から1月発行号への原稿依頼(督促?)あり、ついでに「このシリーズ、あとどのくらい続きますか」と。ボランティア執筆の気楽さもあって、長期連載も苦にならず。そのうえ、10万年前の旧石器時代から始まって、最近ようやく紀元後の後漢時代に入ったところ。次第に専門から遠ざかるが、この先、軽く50回は超えるのでは。
 しかし、「文章は中身で読ませる」という意気込みとは裏腹に、読んで下さるのはたぶん少数の知人のみ? ところが前回、初めて外部からの反響が。 下に「水」と「土」を並べ、上に「木」を書いて新字を作り、これを「もり」と訓(よ)ませる掲出の文字もりに関し。


 そもそもこの字の存在を知ったのは、高見邦雄GEN事務局長『ぼくらの村にアンズが実った』の中。51ページに掲げてあり、リコーのセミナーで聞いた話として、市民参加の森づくり活動の看板に「こんな字を書いた人がいる」、と好意的に紹介。拙稿も、感心しつつ「どなたの作字か知らないが」と。偶読された長野県・木水土里(きみどり)研究所代表の桃井奉彦(もものいともひろ)という方が、GENを介し一書を寄せられ、関連の資料数点を恵送。作字は北海道で「〇の子どもの村」(〇には画像の文字が入ります)を主宰される徳村彰氏の手になるとして、同封の冊子『〇に生きる』17ページに説明あり、とご教示。以下、同書中の一節「木・水・土=と人」より、その概略を。
 森は単に木が沢山あるところではない。木と水と土との間に人間を含むあらゆる生命が育(はぐ)くまれる所だから、それを表わす字は森ではなく、(もり)でなければならない。しかしこの字は理づめで作ったものではなく、毎日森へ通ううち天啓のようにひらめいた。もともと「木」の下に並べた「水」と「土」は左右逆だったが、大阪の書家乾(いぬい)千恵に書いてもらったとき、今の形になった。千恵は中学生のころから何度も「子どもの村」に参加、脳性マヒで車イス生活だが、不自由な左手に太い筆を持って凄い字を書く。だからこの字は彼女との合作ともいえる、と。 冊子『〇に生きる』(1998年、の子どもの村発行)は、1995年から1年間、計51回にわたり毎日新聞日曜版(東日本)に連載したものがメイン。連載終了後、同出版局との間で本にする話があったものの、字を使うか否かで見解が分かれ、結局は実現をみず。徳村氏は、この一字に込めた「自らの思想と生きざまにこだわっ」た、と。
 今回掲出の字は冊子『〇に生きる』の題字として用いられたもので、徳村杜紀子氏の筆になる。彰氏の夫人にして、共に「子どもの村」を主宰。私たちの世代には『美と集団の論理』の著者として知られた哲学者・中井正一氏の御次女の由。「杜」はリンゴに似た実をつけるバラ科の落葉亜喬木だが、国字では「もり」の意味あり。
(緑の地球120号 2008年3月掲載)


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