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黄土高原に生きた人々の歴史物語 by 村松弘一

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書き手:村松弘一(GEN世話人)黄土高原をはじめて訪れて30年、その魅力に“ハマった”歴史学者です。 古代から現代まで行ったり来たり、黄土高原の環境と人々の歴史を気ままに語ります。
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記事一覧

黄土高原に小型風力発電機を持っていく by 村松弘一(GEN世話人)

======================  いまや世界をリードする中国の風力発電。しかし、20年前は違いました。日本から黄土高原に小型風力発電機を持ち込んだ時のドタバタ、思い切って公開します。 ======================  今回は今から約20年前、2005年のお話です。この話は私の中国史の授業では「鉄板ネタ」です。あまり公にしてはいけないような話もあるかもしれませんが、もはや時効となっていると思いますので、思い切ってみなさんに公開します。  この時期、

黄土高原と「朱の道」「貝の道」 by 村松弘一(GEN世話人)

======================  近年、「シルクロード(絹の道)」のみならず、「朱の道」や「貝の道」といった、古代中国文明における「○○の道」を探す研究が注目されています。その通り道にあたるのが黄土高原です。今回はその意味を考えます。 ======================  あけましておめでとうございます。いよいよ2024年となりました。緑の地球マガジンのエッセーを楽しみにされているみなさん、本年もどうぞよろしくお願いいたします。昨年、久しぶりに高見さん

100年前の大同・雲崗の風景~『関野貞日記』から by 村松弘一(GEN世話人)

======================  1918年、建築史学者・考古学者の関野貞氏が大同・雲崗を訪れました。その日記には現地の村の風景や食事、そして相変わらずの口喧嘩の光景が書かれています。どうぞ、100年前の大同の雰囲気を感じてください。 ======================  今、大学の授業で『関野貞日記』という資料を読んでいます。関野貞氏(せきの・ただし 1868年‐1935)は、新潟県上越市(高田藩)生まれの建築史学者・考古学者で、帝国大学工科大学(の

もうひとつの黄土高原の緑化活動-2002年「緑聖」朱序弼さんと会う by 村松弘一(GEN世話人)

====================== 1990年代、日本の民間団体や個人が中国での緑化協力に取り組みはじめました。そのなかでもユニークと思われる、民間信仰を通じて資金を得て緑化をすすめた、陝西省楡林市の例を紹介します。 ======================  私が陝西省北部、楡林市の朱序弼さん(1932年生-2015年没)とはじめてお会いしたのは2002年10月のことでした。朱さんは1955年から楡林の造林局に勤務し、亡くなるまで陝北地区の緑化活動を象徴す

黄土高原に殷代の都市が現れた! 遊牧と農耕のはざまで by 村松弘一(GEN世話人)

======================  先日、黄土高原(陝西省北部)で新たに約3200年前、殷王朝時代の都市遺跡が発見されました(寨溝遺跡)。殷墟との関係は? 遊牧民との関係は? トルコ石はどこから来たのか? この遺跡に黄土高原文明史を考えるヒントがあるかもしれません。 ======================  今回は前回に引き続き30年前にはじめて黄土高原を訪れた時のことを書こうと思いましたが、5月末に大注目の考古学的発見が黄土高原でありましたので、急遽予定を

はじめての黄土高原へ~1993年夏 by 村松弘一(GEN世話人)

======================  1993年夏、はじめて私は黄土高原を訪れました。その時撮影した写真を見ると黄色い大地がむき出しになっていました。それから30年、今、そこは緑に覆われています。GENのたどった30年は、黄土高原全体の緑化の30年であったと言えるのかも知れません。 ======================  数日前、GENのエッセイのネタ探しのために研究室を整理していたところ、未開封の段ボールのなかから、はじめて黄土高原を訪れた時の写真を発見

統万城遺跡と緑化活動~過去と対話し、未来の緑を想像する by 村松弘一(GEN世話人)

======================  黄土高原に白い城壁の残る「統万城」と呼ばれる1500年前の都市遺跡があります。匈奴の民がこの都市を築いた時、そこが沙漠だったのか、草原だったのか、森林だったのか議論はつきません。そして、ここにもGENと同じように緑化に取り組んだ人々がいました。 ======================  黄土高原の西北辺、陝西省北部に無定河が流れている(地図参照)。 「無定河」という名称は定まっていない河の意味で、河の流れが激しくて河道が

黄土高原で発見された巨大都市・石峁遺跡~「リモート現地調査」の試み by 村松弘一(GEN世話人)

====================== 2011年黄土高原で石峁遺跡とよばれる古代の巨大都市が発見されました。ぜひ一度は訪れてみたいと思っていましたが、突然のコロナ禍。そんななか試みたのが、ネットを使った「リモート現地調査」という方法でした。 ======================  コロナ禍に入ってから、残念ながら中国大陸へ行くことができていません。最後に中国大陸に行ったのは2019年8月、洛陽・西安への海外ゼミ合宿でしたから、すでに3年半の時間が経とうとしてい

20年前の話、「緑家園」の生態游(エコツアー)に参加して by 村松弘一(GEN世話人)

====================== いまから20年前、私は「緑家園」という中国人NGOのエコツアーに参加しました。山西・四川、そして内モンゴル、懐かしい思い出です。今の「緑家園」の活動を調べてみると、なんとGENと同じ蔚県で活動しているとのこと。今後のGENの活動のヒントがあるかもしれません。 ======================  今回はちょっと昔のことを振り返ります。2002年のことですから、もう、20年も前のことになります。私は国際交流基金の若手研究

黄土高原を歩いた人々~百年前の中国調査旅行記から by 村松弘一(GEN世話人)

================  黄土高原に生きた人々の歴史物語。今回は百年前、黄土高原を旅した日本人学生の旅行記から。沙漠を越え、黄河を下り、ヤオトンを見て、排日運動に直面。どこか現代にも通じる1世紀前の「黄土高原だより」のお話です。 ================  この夏、ある大学の集中講義で東亜同文書院中国調査旅行記という資料を輪読しました。東亜同文書院は1901年から1945年まで上海にあった日本人の学校で、学生たちは毎年5・6人一組で中国大陸をめぐる調査旅行を

黄土高原の歴史と今①~蔚県と馬と飛狐峪と by 村松弘一(GEN世話人)

====================== 「黄土高原の歴史と今」をテーマにGENの30年間の 黄土高原での活動は地球環境史のなかでどう位置づけられるか わかりやすく書いていきます。その第1回です。 ======================  みなさん、こんにちは。世話人の村松弘一です。今月から2ヶ月に1回程度、このメルマガに寄稿させていただきます。事務局から私に与えられたテーマは「黄土高原の歴史と今」です。GENの30年間の黄土高原での活動は地球環境史のなかでどう位置