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黄土高原史話 by 谷口義介

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書き手:谷口義介(GEN会員) 研究分野は東アジア古代史・日中比較文化。寄る年波、海外のフィールドはきつくなり、いまは滋賀の田舎町で里山保全の活動。会報に「史話」100回のあと、…
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2024年3月の記事一覧

黄土高原史話<43>延熹八年、河水清(す)む by 谷口義介

黄河は世界一の泥川で、水1トン当り40キログラムのシルト(細砂と粘土の中間的な粗さの土粒子、粒径0.074~0.005ミリ)を含む。コロラド川の約2倍、ミシシッピ川の70倍。黄河のシルトの出どころは、その90%が黄土高原。むき出しの大地に降る雨が地表を削り、たまにある豪雨は激流となって土壌を押し流す。  土砂が堆積した「三門峡ダムの失敗に学んだ中国の支配者たちは、黄土高原の浸食を食い止め、黄河を“清い流れ”にすることを夢見るようになった」。  そこで大々的に展開されたのが

黄土高原史話<42>馬上、天下を争うべし by 谷口義介

 不人気ゼミゆえの対策で、数年間「三国志」をテーマにしたことが(「黄土高原の環境と歴史」などでは志望者僅少)。案の定、オタクの男子学生ばかりで、横山劇画とゲームソフトで育った口。決まって出るのが、「誰が一番強かったか」。  個人的な勇力という点では、曹操のボディガードの典韋(てんい)と許褚(きょりょ)。劉備と「桃園結義」した関羽・張飛もメッチャ強いが、最強の武将は何といっても呂布(りょふ)(?~198)だろう。  出身は并州(へいしゅう)五原郡九原県というから、今の内モンゴル

黄土高原史話<41>高柳県のその後はいかに by 谷口義介

 今回は編集の都合で締切りが早く、この項執筆中、北京奥林匹克運動会たけなわ。  思えばちょうど4年前のアテネ・オリンピック。 「スパートする野口みずき、歩道脇に坐りこみ手で顔をおおって泣くポーラ・ラドクリフ」。  もちろんこの文、まくら(入話)に使っただけ。<21>「東西ほぼ時を同じくして」の本題(正話)は、B.C.428年の第88回オリュンピア祭ごろのアッティカ地方の森林破壊と、ほぼ同時期の「牛山の木」の話。前者はプラトン『クリティアス』、後者は『孟子』告子(上)による。