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黄土高原史話 by 谷口義介

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書き手:谷口義介(GEN会員) 研究分野は東アジア古代史・日中比較文化。寄る年波、海外のフィールドはきつくなり、いまは滋賀の田舎町で里山保全の活動。会報に「史話」100回のあと、…
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2024年2月の記事一覧

黄土高原史話<40>都はどこに置くべきか by 谷口義介

 本誌『緑の地球』は公称つまりサバを読んで1700部発行と。このうち80部ほど中国へ送付の由。そういえば何年かまえ大同で、「『史話』、読んでますよ」と言われたことが。  ダラダラ続いて本シリーズ、数回まえから後漢時代に入ったが、中国では前漢・後漢とは言わず、西漢・東漢と。それぞれの都が、西の長安(陝西省西安市)と東の洛陽(河南省)にあったことによる。それよりはるか昔、今の西安市西郊の鎬京(こうけい)から現洛陽市内の洛邑(らくゆう)へと都を遷した周王朝も、西周・東周と呼ばれます

黄土高原史話<39>一字に込めし想いは深く by 谷口義介

 旧臘(きゅうろう)、本誌編集子から1月発行号への原稿依頼(督促?)あり、ついでに「このシリーズ、あとどのくらい続きますか」と。ボランティア執筆の気楽さもあって、長期連載も苦にならず。そのうえ、10万年前の旧石器時代から始まって、最近ようやく紀元後の後漢時代に入ったところ。次第に専門から遠ざかるが、この先、軽く50回は超えるのでは。  しかし、「文章は中身で読ませる」という意気込みとは裏腹に、読んで下さるのはたぶん少数の知人のみ? ところが前回、初めて外部からの反響が。 下に

黄土高原史話<38>「土」と「水」があってこそ by 谷口義介

 むかし、考古学の現場工作者をしていた頃のこと。若い新聞記者が発掘中の遺跡に取材に来て、「記事は足(脚)で書かなければ」と。デスクに言われたことを拳拳服膺(けんけんふくよう)しているのだろうが、まぜっ返して、「エッ? 手で書くんじゃないの?」  それよりだいぶ後のこと。作文の苦手な|豚児≪とんじ≫に、「大江健三郎という偉い作家は、文章は消しゴムで書く、と言ってるぞ」、とお説教。ところが、「お父さん、鉛筆で書くんじゃないの?」。因果はめぐる、と言うべきか。  ご覧のとおりの悪文

黄土高原史話<37>「松柏の茂るが如く」と祈りしも by 谷口義介

 歌人の道浦母都子さん曰(いわ)く、「あちこち散歩するときや、地方へ講演などに行くおりは、植物図鑑は必携」と。草や木の名をそのつど憶えて、歌作りに役立てる由。言われてみれば、『無援の抒情』以降、たしかに植物名がふえてきて、一首の中に白木蓮と枝垂(しだ)れ桜と菖蒲(あやめ)を詠み込んだ例すらも。  対照的なのは三島由紀夫。概念つまり文字面(もじづら)だけでしか「松」を知らず、人に実物を教えられて、「これが松なの」と言ったとか。この話ホントだとすれば、さすが三島!  数年まえの9