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黄土高原史話 by 谷口義介

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書き手:谷口義介(GEN会員) 研究分野は東アジア古代史・日中比較文化。寄る年波、海外のフィールドはきつくなり、いまは滋賀の田舎町で里山保全の活動。会報に「史話」100回のあと、…
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2023年10月の記事一覧

黄土高原史話<25>死は何処に在りや? by 谷口義介

 この春、初めて広州へ。「食は広州に在り」というけれど、目的はハクビシンに非ず、西漢(前漢)南越王墓。第2 代趙眛(ちょうばつ)(B.C.137 ~ 121?)を葬ったもので、象崗山の上から岩盤を約20m掘り込んで造った石室墓です。  10 年ほどまえ行った北京の大葆台(だいほうだい)西漢墓は、1号墓が武帝(B.C.156~87)ゆかりの広陽頃王劉健のもの。南北23.2 ×東西18m、深さ4.7m の大型木槨墓ですが、特筆すべきは内部の「黄腸題凑(こうちょうだいそう)」。これ

黄土高原史話<28>「墳を築かず、山川を損なわず」 by 谷口義介

 私事ながら40 まで考古学の現場工作者をしていたので、よく「穴掘り」と言われたことが。10 年ほど前、上海である人から専門を問われ、面倒くさいので「考古学カオグウシユエ」と答えたら、「ああ、墓掘り」と納得した様子。もちろん祖先を大切にする中国のこととて、墓掘りに好いイメージはありません。  その中国、学術的な考古調査の成果は世界を瞠目させていますが、一方で「カネが欲しけりゃ、墓を掘れ」とばかり、いまや空前の盗掘ブーム。最近数年間で10 万件を超え、被害に遭った古墓は王墓クラ

黄土高原史話<27>何が幸いするのやら by 谷口義介

 このシリーズ、「黄土高原史話」と題しながら、日本の国土の1.5 倍、51 万7000 平方キロの全体は到底カバーできず。GEN の主たる活動領域、大同とその周辺をウロウロ迷走するばかり。本誌の性格上、<環境>を切り口にしていますが、それとて不徹底。  ご高承どおりの駄文ながら、自分で思うに唯一筆が走ったのは、本誌100号の記念とて少し長めの紙幅が許された、第22 回「天下分け目の白登山」。なにせ、かの司馬遼も望んで果せなかった現地踏査の強みあり。もとより、血湧き肉躍るていの

黄土高原史話<26>よもや墓碑などあるまいが by 谷口義介

 「せめて年1度、黄土高原の土にまみれて」と念じつつ、今年は春・夏ともツアーに参加できず。植樹作業より、むしろ土器など拾えなかったのが、ちょっと心残り。  そんなわけで今回は、紙上で曾遊(そうゆう)の地の再訪を。2000 年以上も前の話だから、史上探訪というべきか。  ちょうどB.C.200 年、白登山の大包囲作戦で、漢は匈奴に屈辱的な和約。  冒頓単于(ぼくとつぜんう)は兵を引いてくれましたが、高祖劉邦は兄の劉喜(仲)を代王に封じ、代国(雲中・雁門・代の3 郡53 県)の統

黄土高原史話<24>バカとアホウの語源は何か by 谷口義介

 数年前ご一緒したワーキング・ツアーの不良中年組に、「バカで酒鬼(大酒飲み)」の尊称を奉らん。バリバリの第一線に在りながら、黄土高原に入れ込んで、連夜の汾酒(フェンジュウ)、愚にもつかぬこと(?)で、カンカンガクガク(侃侃諤諤)。ほとんど西日本の出身者だったので、バカではなくアホウとすべきでしょうが。  「バカ」は、サンスクリット語のmoha 慕何より出づ。ただ、一説に馬鹿と書いて、秦の趙高が鹿を二世皇帝に献じて馬といった故事に本づく。もちろんバカは趙高ではなく、二世の方。