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かくしごと

何かを隠したり嘘をついたりすることが苦手だ
これは決して誠実な男アピをしたいわけではなく事実である

なんでかというとすごく自分勝手な理由で、ただ単にその嘘を胸の中にしまっておけないからだ。
胸の中にそういうスペースが空いていなくて、仮に隠し事をしたとしても、すぐ破裂しそうになり胸が張り裂けそうになり解放されたくなる。

人に迷惑をかけたくないとかそういう利他的な理由じゃない
本当のことを言えば、東野圭吾の小説の主人公みたいに、自分の心を犠牲にした利他的な優しい嘘がつける、そんな嘘が苦しくても耐えて墓場まで持っていけるような人間になりたい。そういう人は心底尊敬する。

今はそうではなくなったけど、元々自分は人の見てないとこならなんでもやる人間だ
以前会社で営業職をしていた頃、数字が上がらずモチベーションが下がっていた。
普通の人間ならそこで奮起してもっとたくさんお客さんとこを回って数字をとってやろうとなるはずなのだが、僕はそうしなかった
何をしたかって営業車でどっかに出かけ、お客さんとこにはいくものの車の中で毎日のようにサボっていた。
そして数字が上がらずまたモチベが下がる日々
こんなことをして社に戻るときは気分が最悪で、こそこそと自分の悪行がばれないか過ごすことになる。
バレないそうに過ごすことは自分のリソースを結構使ってしまうので、また仕事の能率が下がる負のループ

とか、人の見ていないところでコソコソと悪事を働き、人に迷惑をかけたり不快な思いをさせたり人生を狂わせたりまでもした。

こんな経験を経て、隠し事をすることの気持ち悪さが以前の何倍も増幅した。
何日も何日も歯磨きをしない刑みたいな

コソコソの根源には自尊心の低さがある
自分は恥ずかしい人間なので、隠さないといけない
いまだにそうだが、自分は声が小さいし通らない。
会社でも後輩に指導するときに間違ってることを指摘されるのが怖くて極力他の人に聞こえない声で話してしまうことがある。

ただ、離婚をして大々的に世間様に生き恥を晒したことでヤケクソになりある意味吹っ切れた。
自分は生きてて恥ずかしい人間ですごくかっこ悪い
でもその生きざまを大笑いしてくれる友達がいるし、共感してくれる大切な人もいる
清廉潔白で生きることは多分無理やけどそれに近づけることはできる。

まだまだ自尊心は全然生きるのは足りないけど、変えていこうと思うことはできている
本当に変わるかなんてやってみないと分からない
道のりは果てしなく遠く見えるけどなんとかしなければ、生きていかなければならない

全部言ってみて難しいなら仕方がない、とはあまり思えない
そんな割り切れるほどは強くないんだけど
言わずに胸に秘めているより言った方が面白いかもしれない
誰かを傷つけないならば
自分は自分への審査が異様に厳しく自罰的
本当にど真ん中ストライク投げないと審判が手を上げてくれない
だから生き恥だと思っていることがそこまでじゃないかもしれない。多分そこまでじゃない。冷静に俯瞰すると。自分のことになると冷静になれないの悪い癖。

だから本当にこれは賭けなんだけど、これからも心許せる人には嫌なことや恥ずかしいことも話してみようと思う
隠し事したままの自分のこと好きでも仕方ないじゃんね

いつかありのままの自分を受け入れられますように

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