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レンジェル・メニヘールト『颱風[タイフーン]』訳者解説(text by 小谷野敦)

 2020年7月27日、幻戯書房は海外古典文学の翻訳シリーズ「ルリユール叢書」の第10回配本として、レンジェル・メニヘールト『颱風[タイフーン]』を刊行いたします。
 レンジェル・メニヘールトは、ハンガリーの劇作家(Lengyel Menyhért 1880-1974/メルヒオール・レンジェル Melchior Lengyel とも)です。本書は、原作「颱風[タイフーン]」をローレンス・アーヴィングが英訳した普及版の翻訳です。「颱風(Typhoon: a play in four acts)」は欧米の舞台で人気を博し、「黄禍論」の議論も沸き起こったそうです。
 以下に公開するのは、訳者・小谷野敦さんによる「訳者解説」の一節です。

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レンジェル・メニヘールト『颱風[タイフーン]』訳者解説(text by 小谷野敦)


「颱風」について
 「颱風」は1909年の作だが、ハンガリー語で書かれた、日本人が大勢現れる劇である。主人公ニトベ・トケラモの「ニトベ」は、英文『武士道』で知られていた新渡戸稲造から姓をとっているが、「トケラモ」という奇妙な名は、あるいは「時麿」の母音が交代したものではあるまいか。
 ブダペストのあと、ベルリン、パリ、ロンドンで上演され、もともとは舞台はベルリンだったが、ベルリン上演ではパリにされ、パリ上演ではベルリンに戻り、英国ではパリ版が上演された。英語版は、有名な俳優ヘンリー・アーヴィング(Henry Irving 1838‐1905)の息子で、劇団を率いるローレンス・アーヴィング(Laurence Irving 1871‐1914)がドイツ語から英訳してロンドンで上演し大ヒットした。トケラモを演じたのがアーヴィング自身で、当時ロンドン滞在中だった坪内士行(逍遥の養子)はドクトル北村を演じていた。エレーヌを演じたのがアーヴィングの妻マーベル・ハックニー、ベインスキーがレネン・クオーターメンとなっている(戸田一外著による)。
 なおアーヴィングはかなり原作を改修しており、その最大なるものは、原作ではトケラモは最後に病死するのを、切腹に変えたことである。当時乃木希典の明治天皇への殉死(1912)が世界的に耳目を集めていたから、それを当て込んだのだろう。
 ロンドンでこれが上演された大正2年(1913)、たまたまロンドンに赴いていた帝国劇場所属の女優・森律子がこの舞台を観ている。外の看板には「大風」と漢字で大書してあったという。翌大正三年には、雑誌「歌舞伎」に、戸田一外(1883?‐不詳)という船医が訳して連載しているが、ドイツ語からの訳なのでトケラモは病死する。戸田はロンドンのグローブ座でこの芝居を実際に観たという。この翻訳は、戸田の著書『船医風景』(万里閣書房、昭和5=1930)に収められている。戸田は欧州航路や米国航路の船医で、川上音二郎・貞奴や早川雪洲、上山草人らとの交友があった。
 戸田訳などで見ると、トケラモ以外の人物も姓名が揃っており、漢字で表記すると、

吉川東洋(Joshikawa Toyu)(山脇東洋から)、小林家康(Kobayasi Yyeyasu)、伊瀬広也(Hinonari Inoze)、大前惺窩(Dr. Omayi Seikwa)(藤原惺窩から)、吉井陽友(不明)、北村季吟(Dr. Kitamaru Kigin)、服部南郭、安在ヤモシ、雨森羅山(雨森芳洲と林羅山から)、三宅直方

 となっており、日本の歴史上の人物から名前をとっているのが分かる。北村季吟や服部南郭はそのままである。
 大正3年(1914)には、早川雪洲が主演して米国でレジナルド・バーカー監督により映画化された。その際、吉川男爵を演じたのは栗原喜三郎、のちトーマス・栗原として日本で映画監督として活躍した人で、ヒロナリを演じたのはやはり映画監督のヘンリー小谷であった。栗原と小谷は谷崎潤一郎と親しく、谷崎が映画製作に乗り出した際、谷崎の娘の鮎子をキャスティングした掌編「雛祭の夜」を撮ったのも栗原だし、そのほか谷崎原作の映画、また谷崎の妻の妹の葉山三千子、つまり『痴人の愛』のナオミのモデルが女優として出演した映画も何本か撮っている。小谷はカメラマンとして横浜で谷崎の近くに住んでおり、のちやはり鮎子をキャスティングした「舌切雀」を撮っている。
 大正4年10月26日から31日まで、「タイフーン」はレンギイル作「颱風」として帝劇で上演された。主演は、『帝劇の五十年』では沢村宗十郎となっているが、平川祐弘の調査によると宗之助のほうである。
 主人公トケラモ以外の日本人も、吉川、小林はともかく、ヤモシ、オマイ(omayi)など珍妙なものがあり、本書の翻訳ではオマイは大前とした。帝劇上演時には、主人公は新渡戸時郎とされ、ほか加藤健蔵、大山徹、北村季雄、雨森芳次郎、猪之瀬広成などとなっている。西洋人名も英語風に、ヘレーン、レナード・ベインスキとし、ヘレーンをミセス・ヒューズ、ベインスキをミスタア・ヒューズという、当時帝劇で西洋人役を演じていた夫妻がやっている。
 帝劇での上演にいたるまで、この戯曲について詳細に調べたのは、平川祐弘で、その『和魂洋才の系譜』の中に論文(「「普請中」の国日本――森鴎外の短篇とレンジェルの人種劇『颱風』をめぐって」)が収められている。作者のレンジェルの作品を森鴎外が訳していたことから始めて、日露戦争以後のヨーロッパでの黄禍論を反映した劇として論じている。日本に対して敵対的な芝居だと平川は見なし、日本で上演されたことに驚き、あまりよくなかった劇評も紹介している。
 結末近くにおけるトケラモの回心をもたらす、ベインスキーの「バスティーユ」に関する演説は、原作にはなく、英訳でアーヴィングが付け加えたものらしい。トケラモは、西洋に対して強い敵愾心を抱き、日本が世界で最も偉大だと考える日本人たちの反対を押して、日本を悪く言うポーランド系のベインスキーと会う。ベインスキーは、その日がたまたまフランス革命のバスティーユ陥落の日で、それを記念するパリ祭の日であることから、個人を越えた愛国心は皆陥落させるべきバスティーユだと述べ、国家主義の危険性を説き、トケラモは説得されて、ベインスキーはトケラモに、あなたは日本人ではなく人間になった、と言うのである。
 ベインスキーはキリスト教徒だと言っているが、おそらくユダヤ人を含意しており、ハンガリーという、当時ドイツ、オーストリア、ロシヤなどの大国に挟まれた国の人間の立場から、大国の愛国心や膨張主義を批判したのであり、それはむしろ黄禍論を越えた主題であり、だからこそ森律子はこれを観、帝劇でも上演されたのである。
 日本人の愛国心はむろん誇張して描かれているが、日露戦争後の日本人の、西洋さえ叩き潰すほどの勢いをもち、夏目漱石が『三四郎』で、広田先生に、こんなことをしていたら日本は亡びるね、と言わせ、そして事実そのような道を進んだことを思えば、単なる黄禍論劇や、「人種劇」とのみ見るべきではあるまい。

【目次】
 颱風
 第一幕
 第二幕
  第三幕
  第四幕

   レンジェル・メニヘールト[1880–1974]年譜
   訳者解説
【訳者紹介】
小谷野敦(こやの・あつし)
1962年、茨城県生まれ。東京大学文学部英文科卒。同大学院比較文学比較文化専攻博士課程修了、学術博士。作家・比較文学者。2002年に『聖母のいない国』でサントリー学芸賞受賞。著書に、『谷崎潤一郎伝』『川端康成伝』(以上、中央公論新社)、『馬琴綺伝』(河出書房新社)、『江藤淳と大江健三郎』(筑摩書房)、『東十条の女』(幻戯書房)、『とちおとめのババロア』『弁慶役者 七代目幸四郎』(以上、青土社)、『歌舞伎に女優がいた時代』(中公新書ラクレ)ほか多数。

最後までお読みいただき、ありがとうございました。本篇はぜひ、『颱風[タイフーン]』をご覧ください。