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ドロシー・L・セイヤーズ『ストロング・ポイズン』訳者解題

 2022年10月2日、幻戯書房は海外古典文学の翻訳シリーズ「ルリユール叢書」の第26回配本として、ドロシー・L・セイヤーズ『ストロング・ポイズン』を刊行いたします。ドロシー・L・セイヤーズ(Dorothy Leigh Sayers 1893–1957)はイギリス、オックスフォード生まれの女性作家(小説家、劇作家、言語学者)です。オックスフォード大学で現代言語学を学び、古典および現代の言語学者としても活躍し、宗教劇の劇作家、ダンテの『神曲』(The Divine Comedy)の英訳者としても知られています。
 1922年より広告会社でコピーライターとして働きながら、Lord Peter Wimseyシリーズ、いわゆる〈ピーター・ウィムジィ卿〉ものの探偵小説を執筆。アガサ・クリスティらと並び、探偵小説の黄金期を牽引する小説家の一人と目される代表作家となります。
 以下に公開するのは、ドロシー・L・セイヤーズ『ストロング・ポイズン』の翻訳者・大西寿明さんによる「訳者解題」の一節です。


セイヤーズの生涯


 ドロシー・L・セイヤーズは1893年6月13日、ヘンリー・セイヤーズ牧師とヘレン・メアリー(旧姓リー)のひとり娘として、オックスフォード・ブルーアー・ストリート一番地に生まれた。4歳のとき、父がイースト・アングリアの人里離れた沼沢地にあるブランティシャム・カム・アーリスで教区牧師の聖職禄を受けたためこの地に移り住んだ。セイヤーズの最高傑作のひとつとして名高い『ナイン・テイラーズ  The Nine Tailors』の美しい風景描写にはこの土地から授かった感受性が息づいている。幼少期のセイヤーズは、階級や土地柄、そして兄弟がいなかったこともあって同年代の子供たちとは隔離された生活を送っていた。多くの作家がそうであったように、彼女は幼いころから書物に囲まれて過ごし、言語や物語を語ることに特別な才能を発揮した。四歳で文字を読めるようになると牧師館の図書室の本を貪るように読み、スケッチや劇を書き、家族の前で上演までしてみせた。親友と呼べる存在は八歳年上のいとこアイヴィ・シュリンプトンだけであったが、ふたりは読書などを通して友情を育み、アイヴィは大人になって試練にさらされたセイヤーズを支え続けた。

 セイヤーズは主に家庭で教育を受けた。七歳になる前に父親にラテン語を、家庭教師からはフランス語やドイツ語などを習った。16歳になるころ、両親は娘が学校に行く時期だと判断し、ソールズベリーのゴドルフィン・スクールに送った。1911年3月、ゴドルフィンで流行したはしかによってセイヤーズは命を落としかけ、病気によるストレスで髪がほとんど抜け落ちてしまったと言われる。彼女は家に戻って静養することになったが、これが結果的に、彼女にオックスフォード大学の入学試験に備える時間を与えることとなった。1912年の秋、彼女は奨学金を得て、オックスフォードのサマーヴィル・コレッジに入学し、現代言語学と中世文学を学んだ。公的機関や芸術分野で指導的役割を果たす強い女性を育てることを目指すサマーヴィルは、セイヤーズにとって居心地の良いコレッジであった。生涯の友となるミュリエル・セント・クレア・バーンと出会ったのもこの場所であった(ふたりはのちに舞台版『忙しい蜜月旅行   Busman’s Honeymoon』を共同執筆した)。セイヤーズは大学在学中にふたりの人物に夢中になった。ひとりはオックスフォード・バッハ合唱団の指揮者であったH・P・アレン博士で、もうひとりはのちにベイリオル・コレッジのチャプレンとなるモーリス・ロイ・リドリーという学生であった。後者はピーター・ウィムジィ卿の外見上の造形に影響を与えることとなった。セイヤーズは極めて優秀な学生で、オックスフォードで授かったリベラルな教育は彼女の文学やエッセイに生きている。1915年には、現代言語学で第一級優等賞を取得した。

 子供のころから詩を書いていたセイヤーズは、大学卒業後に『作品番号一   Op. I』と『カトリック物語とキリスト教詩歌   Catholic Tales and Christian Songs』の2冊の詩集を出版した。詩人として名を馳せることはなかったものの、伝統的な詩の技法を身につけたことで、のちに執筆した探偵小説は当時の一般的なそれとは異質なものとなった。彼女の小説にはダン、テニスン、シェイクスピア、ミルトンを中心とした英詩からの引用が横溢しており、彼女の詩への造詣の深さや愛着が滲み出ている。

 大学卒業後、セイヤーズはハルとロンドンで教職に就いたが、その傍らオックスフォードの〈ブラックウェルズ〉で出版見習いをはじめたり、ノルマンディー地方ヴェルヌイユの学校エコール・デ・ロッシュで、作家で教師のエリック・ウェルトンの助手を務めたりもした。ウェルトンに恋心を抱いたセイヤーズであったが、彼はその気持ちに応えてはくれなかった。ウェルトンもまた、ピーター・ウィムジィ卿の造形に影響を与えたひとりと言われている。あらゆる分野について膨大な知識を持ちながら、なかなか満足のいくライフワークを探せずにいたセイヤーズは、1922年、当時イギリス最大の広告代理店であった〈S・H・ベンソン〉のコピーライターとしての仕事を得ることとなった。それからの10年間は、コピーライターとして生計を立てながら、年に一冊のペースで本格的な探偵小説を発表していった。〈S・H・ベンソン〉での経験は、のちの小説『殺人は広告する  Murder must Advertise』に活かされている。

 探偵小説が黄金期を迎えた1920年ごろ、セイヤーズはお金のために探偵小説を書こうと考えていた。ある日、彼女が物語の構想を練っていると、不滅のピーター・ウィムジィ卿がふらりと彼女の心の中に立ち寄り、そのまま永久に住み着いてしまった。そうして1923年、ピーター・ウィムジィ卿・シリーズ第一作『誰の死体?  Whose Body?』が生まれ落ちた。ピーター卿は貴族で学者、美を愛好し、ウィットを備えた英国紳士の鑑であり、彼が探偵として眺める世界は当時のイギリスの生活の実態を鋭く映し出している。

 1920年代初頭、マイナーな作家ジョン・クルノスに恋したが拒絶され、最終的に好きでもなかったビル・ホワイトに妊娠させられてしまった。1924年、彼女は秘密裏に息子を出産した。ジョン・アンソニーと名付けられた息子は、いとこのアイヴィの手によって育てられた。1926年、セイヤーズはジャーナリストで写真家のオズワルド・アーサー・フレミング(通称マック)と結婚した。マックはウィムジィと同様に第一次世界大戦での経験に苦しんでいた。彼女は結婚したときに息子を家に連れてくることを望んだが、それは叶わなかった。しかし、ジョン・アンソニーはのちにフレミングの姓を名乗り、彼らの養子として公表された。ふたりの結婚生活はうまくいかなかったにもかかわらず、セイヤーズは1950年にマックが亡くなるまで人生を共にした。

 セイヤーズが1930年代半ばに推理小説を書くのをやめた理由は明らかにされていない。それ以降は、カンタベリー・フェスティバルの依頼を受けて『あなたの神殿にたいする熱情  The Zeal of thy House』を執筆したことを皮切りに、BBCのためにキリストの生涯をテーマにしたラジオドラマ《王となるべく生まれたひと The Man Born to Be King》を書くなど宗教的な問題に精力を注ぎ、多くの演劇や評論をものにした。1940年代初頭から、彼女は人生最後の情熱をダンテ・アリギエーリの『神曲』の英訳に費やすことになる。1957年12月18日に突然この世を去っってしまったため、『神曲』の完訳は遂げられなかったが、『地獄篇』と『煉獄篇』の英訳は〈ペンギン〉から出版された。

 ドロシー・L・セイヤーズは、深い情熱と博覧強記と言えるほどの知性を持った女性であり、その作品はP・D・ジェイムズをはじめとする多くの作家に影響を与え、彼女の名を冠した文学会も存在する。一九九七年には、彼女が亡くなったエセックス州ウィザムにあるニューランド・ストリート24番地の家の向かいに微笑を讃えた彼女の銅像が建てられた。

『ストロング・ポイズン』について


 1920年代から30年代は一般的に探偵小説の黄金期と呼ばれ、セイヤーズはこの時代の探偵小説界を牽引したひとりである。ときにアガサ・クリスティ、マージェリィ・アリンガム、ナイオ・マーシュと並んで〈クイーンズ・オブ・クライム〉や〈ビッグ・フォー〉と呼ばれることもある。彼女は探偵小説家であると同時にミステリーや探偵小説の研究者・評論家として多くの文章を書いたが、彼女の目的が探偵小説を本格的な文学の水準に引き上げることにあったことはよく知られている。ピーター・ウィムジィ卿・シリーズは長編だけで11作を数え、ときに難解にも思われる洗練された文体、鋭い知性、魅力的なキャラクターでいまも変わらず探偵小説を好む読者を魅了し続けている。しかし、セイヤーズの作品には謎解きを主軸とする探偵小説というジャンルに括りきれない奥行きがある。彼女が他の作家と一線を画する点は、二十世紀初頭のイギリスの生活をみずみずしく描きながらも、当時の家父長制社会においてさまざまな面で抑圧された女性たちに光を当てたことにあるだろう。とくに、ハリエット・ヴェインが登場する『ストロング・ポイズン』以降、セイヤーズはピーター卿とヴェインの関係を陰に陽に描きながら、家父長制社会に鋭くメスを入れ、男女の平等な関係のあり方を模索し続けた。『ストロング・ポイズン』にて救う側のピーター卿と救われる側のヴェインという旧来の騎士道ロマンスを思わせるジェンダーの非対称性によってはじまったふたりの関係は、成就を迎えるまでに5年もの歳月を必要とした。

 物語冒頭から男性権力の暴力性を詳らかにする 『ストロング・ポイズン』では、ハリエット・ヴェインやウィムジィ(以降、批評上の慣例に従ってウィムジィと呼ぶ)の捜査を代行するミス・クリンプスンおよびミス・マーチスンを中心としたさまざまな女性登場人物たちの存在感が強く、それゆえに海外においては彼女らについての研究が盛んである。この極めて重要なテーマの国内における進展は今後の研究に期待することとして、この訳者解題では、探偵ウィムジィの男性性およびその喪失の不安に焦点を当ててみたい。これ以降、本作品で提示される謎やその解決にまで話が及ぶため、本書を未読の方は1ページ目に戻ることをお願いしたい。

【目次】
 第一章
 第二章
 第三章
 第四章
 第五章
 第六章
 第七章
 第八章
 第九章
 第十章
 第十一章
 第十二章
 第十三章
 第十四章
 第十五章
 第十六章
 第十七章
 第十八章
 第十九章
 第二十章
 第二十一章
 第二十二章
 第二十三章

  附 〈伯父ポール・オースティン・デラガルディによる、ピーター・ウィムジィ卿の一九三五年五月までの小伝〉

  註
  ドロシー・L・セイヤーズ[1893–1957]年譜
  訳者解題

【訳者略歴】
大西寿明(おおにし・としあき)
1983年、神奈川県生まれ。ロンドン大学大学院修士課程修了、立教大学大学院文学研究科英米文学専攻にて博士号(文学)取得。現在、神戸市外国語大学准教授。専門は戦間期イギリス文学。

最後までお読みいただき、ありがとうございました。本篇はぜひ、『ストロング・ポイズン』をご覧ください。