見出し画像

以前、「年男」だった頃。

2008年3月、

一浪で入学し、4年間在籍した大学を退学した。

地元に帰りたかったのだと思う。

フラフラしていた大学生の僕が最後に観たライブは 

RAGE AGAINST THE MACHINE 

同年の夏、とある一部上場企業の西日本エリアで1,2位を争うチームでトップの営業成績になっていた。

最も低い立場である“派遣スタッフ”のまま。

しかし、2008年10月末日をもって契約を解除された。

理由は「遅刻を2度したから。」とのこと。

遅刻した時間は一度目が3分、二度目は0分だった。

それらの月も営業成績はトップ。

短期間で良い成績収めていた自分は、ある種“おごり”とも言える自信を持っており、自分はこのまま契約社員、正社員と、この道を進むものだと思っていた。

毎日一緒に働いていた現場責任者は「彼が必要だから」と“上”にかけあってくれたようだが、

「ごめんな。ダメだったわ。でも、来月でみんなクビだから。」

と、僕の隣で小声で教えてくれた。

(リーマンショックの影響により、派遣スタッフ全員の契約解除が決定されていた。)

クビが決まってからの一か月間、

「あぁ、この人たち、利益追求は建前で、本音は保身なのだなぁ。」などと思考をめぐらせながら、

見事に手のひらを返した(僕より稼いでいない?と思っていた?)“上”の人たちを眺めて過ごした。

しかし、もう学生でもないし、貯金が沢山あるわけでもないので、すぐに次の職場を探そうと面接の予定を入れた。

指定された日時に事務所とおぼしき場所に行くと、30~40人の男性がわけのわからないフレーズを口を揃えて何度も大声で叫んでいた。

待つこと約20分、「それでは行きましょうか?」と言われ、面接が始まるものだと思ってついて行くと、電車に乗せられ、15分ほど進んだところの駅で降ろされ、

「それでは今からこの商材を訪問販売してください。」と指示された。

(さすがに)「これは労働ですよね?」と質問すると、

「いいえ、面接です。」との返答。

「いやいやいや・・・」と、丁寧にお断りして、見知らぬ住宅街をあとにした。

すぐさま、大学時代のつてを頼り、自営業を始める方法の模索を始めた。

これが翌々年に実を結ぶのだが、それはまた別のお話。

この冬の大半は PC の前で過ごした。

コレが前回のネズミ年、僕が以前「年男」だった一年間のできごと。

当時、住んでいた大きな公園の近くのアパート。隣の住人のイビキが聞こえる部屋。ヘッドフォンをして録音した曲が懐かしい。





この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?