第20話 思い出がキャラクター
「この古い自転車、どうします?」
背後から、自転車屋の店主の声が聞こえた。
家のそばの商店街に昔からある自転車屋の店主は、その真っ黒になった人差し指で、僕が乗ってきた小さな自転車を指差している。
生まれて初めて買ってもらった自転車は、銀色の無骨な車体のものだった。
そっけないデザインだけれど、それがどこかメカらしさを漂わせていて気に入っていた。
毎日暇さえあれば乗り回し、どこにいくにも一緒だった。
3年が経ち、僕の身長は20センチ伸びた。
あれだけ大きく感じていた自転車が、どこか小ぶりに見えてきた。
「そろそろ新しいの買うか」
父親から提案され、銀色の自転車に乗って自転車屋に向かった。
店に入るなり、奥にあるエメラルドグリーンの自転車に目を奪われた。
「あれが欲しい、あおみどりの」
「ちょっと高いけど、父さんもあれがいいと思う」
父親が微笑み、その自転車に決まった。
店主がサドルの高さやハンドルの位置を調整してくれて、僕は新しい自転車に跨った。
ぐっと視界が高くなる。新しいゴムの匂いがした。ハンドルもサドルも何もかもが大きくて、エメラルドグリーンの車体は輝いていた。
「あちらの自転車はガタがきてますし、こっちで処分しておきましょうか?」
銀色の自転車を指差した店主が、僕を見て言った。
答えあぐねていると、いいよな? と父親が僕の顔を覗き込む。
黙って頷いた。
ぴかぴかのエメラルドグリーンの自転車に乗って、家に帰った。
新しい自転車は、ペダルを踏むとぐんぐんと加速する。一気に大人になったような気分になる。
けれども心が痛んだ。すごく嬉しいはずなのに。
無言のまま夕食を食べ終えた。
家族でテレビを見ていたが、いてもたってもいられなくなり、家を抜け出して自転車屋にひとりで戻った。
閉店して暗くなった自転車屋の脇に、黒い自転車がいくつかの廃車と一緒くたに置かれていた。毎日乗っていた相棒は、すっかり色褪せて、小さく見えた。
死んでしまった。
そう思った瞬間、涙が溢れた。
ごめんねと繰り返しながら、擦り切れたサドルをさすった。
新しい財布を買ったとき。
今まで使っていた財布から、紙幣と硬貨、カードを抜いて新しい財布に移す。
そしてふと、古い財布を見る。
するとその財布が、まるで空気が抜けたかのようにぺしゃんこになっている。
まるで魂が抜けたみたいだ。
鞄を買い換えたとき、新しい手帳に替えたとき、数年前に使っていた携帯電話を引き出しの奥から見つけたとき。いつも同じような気持ちに襲われる。
それはきっと、僕とモノとのあいだにあった“思い出”が、手放した瞬間に抜けてしまうからだと思うようになった。
この感覚は、僕だけのものなのか。
いつか誰かと、わかち合うことができるのだろうか。
そんなことを考える日々が続いた。