思考停止という病
ルールだから、規則だからと、思考停止に陥っていることが多すぎる。
例えば免許証携帯。
たかがカード持っているかどうかで、誰か歩行者の命が一人でも助かるとでも言うのか? んなわけない。
では、持ち歩く目的は何だ?
おまわりサマのお手を煩わせないこと以外に考えられまい。
免許を確認する目的といえば、停めたドライバーが無免許運転でないかどうか、免許証の期限が切れていないかどうかをチェックすることぐらいだ。
極論、免許証番号を覚えておくか、免許証の写真を携帯に入れておけば、後はそれらしい端末で調べるか署に戻れば有効な免許証かどうかは分かるはずだ。
番号でなくても、今の時代なら名前と生年月日だけでも真面目に調べれば分かるはずだ。
事故が起きた時に保険会社に連絡した場合は名前と生年月日だけでok、保険証券は携帯していなくても保証を受けられるハズだ。
免許証でなぜそれをできない?
つまるところ、偉い偉い権力者であるところのおまわりサマに調べに帰る手間をかけさせないように現物を見せる、これ以外に今カードを持ち歩く意義はないと言っていい。
だとしても疑問はまだある。
おまわりは免許証を見ただけで偽造を見抜けるのか??
本気で違反者探しをやるなら、免許証番号をその都度データベース(かコンピュータ頭脳おまわり)で調べないと意味がない。
こうなると結局のところ、免許証確認の目的は免許証不携帯による減点罰金以外にないということになってしまう。
何のための仕事だ??
ルールだから規則だからと、思考停止してばかりいるからこの国は何十年も停滞しているのではないのか。
ちなみに免許証を家に忘れるようなうっかり者が事故を起こすんだというのは決めつけだし、それを言ったら事故を起こしそうなうっかり者は即免許没収、まして本当に事故を起こした者は死刑求刑みたいな話になりますよね。
結論、免許証確認は事故の抑止や交通安全という本来目的に対して一切寄与しないわけです。
こんな要らない古いルールをこの国は大事に抱えすぎている。
あと最後に、僕が免許証不携帯喰らったから腹いせにこの記事を書いているわけでは全くありません。
ずっとゴールドの優良ドライバーですので悪しからず。
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