浮世

連綿と続いてきた仏教の歴史において、憂き世という言葉がある。
厭世観が拭えない今世において、人生を憂う。
そのままだね。
何故こんな言葉があるのか。
憂き世は浮世ではないのか。
何故この言葉が残り続けているのか。
今朝ふいに理解した。
この世は憂き世だ。
憂き世と憂き世の間の短い時間、浮世になる。
いや、我が生だけかもしれないが、少なくとも僕にとっては憂き世の方が圧倒的だ。
気が休まるのは、三代欲求を満たす時。
特に眠っている間は夢を見れるから幸福だ。
こうして人は目覚めなくなっていくのだろう。
この憂き世で説法をして救いを広める。
坊さんの仕事も悪くはないかもな。

…目が開かない。
いつかこの慢性的な毒が裏返ったりしないかのぅ。
刃牙みたいに。
溜めて溜めて溜めて…思いっきり溜めた後に裏返る。
憂き世と浮世の時間が逆になるんだ。
眠っている時間が勿体ないっていう生き方。
酸いも甘いも美味しくってしょうがない、そんな時間。
憧れるなぁ…。

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