五月雨を 集めて早し 最上川 だからどうした 最上川

イチャモンだね。
中学校くらいからずっと思ってたことなんだけれども。

最上川が五月雨を集めて早いから、どうしたんだよ。
だからどうだってんだ。
早いからなんだってんだ。

古池にカエルが飛び込んだからってなんだってんだ。
水の音が聞こえたからってなんだってんだよ。
なぁ?



「いや、それは表面をかすめ取っただけ感想で、裏を読めばその趣が分かる」


なんて声が聞こえてきそうではあるが、それは勝手に深読みしているだけじゃないか?
「歴史的偉人」という権力に負けて、視野を狭めているだけではないか?

芭蕉は「最上川の力強い流れの迫力を表そう」としたのではなくて、

「いやぁ〜、最上川初めて見たけど、めっちゃ濁流だねぇソラくん。」

くらいの感じかもしれないぞ。

歴史と芸術という名のベールに騙されているだけなのではないか?

「古池に蛙が飛び込む音が聞こえるくらい静かな美しい情景であることを、またおごそかな雰囲気を『古池』を用いることで簡潔にまとめた」のではなくて

「あ!カエル飛び込んだ!ねぇソラくん!!みた!?」
「『そこの池 蛙飛び込む 音したよ』っと……」
「あっ、『古池』の方がカッコいいかなぁ?どう思うソラくん?」

くらいの温度感で、我々が勝手に深読みして、その時の時代背景とか景色とかを勝手に想像で肉付けしているだけかもしれない。


話は変わるが、一部のオタクなら知っているであろう、テレビアニメ「らき☆すた」のOPも、将来深読みされるであろう候補だ。

曖昧3センチ そりゃぷにってコトかい? ちょっ! 
らっぴんぐが制服…だぁぁ不利ってこたない ぷ。 
がんばっちゃ♥やっちゃっちゃ 
そんときゃーっち&Release ぎョッ 
汗(Fuu)々(Fuu)の谷間に Darlin’ darlin’ F R E E Z E!! 

引用:「もってけ!セーラーふく」より

どこかのコピペで見た気もするが、1000年後にはどのように解読されているのだろうか。

「作詞家である畑亜貴氏は『曖昧3センチ』という表現により『曖昧3センチ=3.14=π=おっ○い=乳房』を隠喩するという、過去に類を見ない表現技法を用いた。また『ぷに』は平成時代における『柔らかさ』を表すオノマトペの一種であり、
当時、バブル経済崩壊後の経済不安に悩まされた日本人にとって娯楽への逃避は一般的であった。そこで、より大衆に親しみやすい歌詞になるよう、「ぷに」という表現を用いた」

などと書かれるのだろうか。


芭蕉もおんなじだと思うよ。



私の「ち●ぽっぽ音頭」も、もしかしたら歴史的文献として深読みされるかもしれない。

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