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「処理が遅い」ことの価値

新潟大学脳研究所の研究で、非常に興味深いものが発表されていた。リンクや研究内容の詳細は後述するが、要は音に脳の聴覚野が反応するための時間を複数種の霊長類で比較すると、人間が一番反応が遅かったという結果だ。

そもそも、「人間の脳が大きい」→「多くの神経細胞が処理に参加することで、どの動物よりも脳処理が遅くなっているはず」という考え方で仮説が立てられ、実験されたもの。より抽象化して言えば、人間はある現象を受け取った際に、より複雑な処理プロセスを経ているために時間が掛かっていると考えられる。

現代では「処理が早い」ということは正義と見做されている。仕事のできる人、生産性の高い人は情報処理が早いというのが通説だし、「仕事のできる人ほど即レス」なんていう話もよく聞く。

しかし、レスが早いということは、対して脳で処理せずに反応しているだけということかもしれない。もちろん、こちらの研究内容だけではそこまでの結論は出せないし、即レスと遅レスの差が脳科学的に検証されようとしているわけでも当然ない。一方で私たちは、「熟考」や「アイデアを寝かせる」といった言葉や考え方を知っている。脳が早く反応することと、じっくりと処理してから反応することの違いを経験知として認識している。

少し引いた視点で考えてみれば、そもそも「現象に即時反応しない」というのが人間の特徴ともいえる。人間以外の動物は、本能に従って生きると、自然に適応することができる。人間だけは、本能以外に自意識というものがあり、自意識には相当な幅と自由度がある。そうやって自然から乖離した存在であることを、「人間は過剰な存在」と言ったり、「余剰を抱えている」と表現したりするが、要は自然に起きる現象と人間の反応とは、一対一対応していないのだ。

そう言った視点を踏まえると、処理の速さを求めることは動物的であり、処理を遅くすることは人間的である。人間では到底及びつかない水準で「即レス」の生成AIが数多く登場し社会実装し始めている時代において、「遅レス」であることの価値がどんどん高まっていくかもしれない。


【研究内容のリンク】


【研究内容のまとめ】

Title (英語と日本語) Cerebral cortical processing time is elongated in human brain evolution
ヒトの脳進化において大脳皮質の処理時間が延長される

Journal Name & Publication Year Scientific Reports | 2022

First and Last Authors Kosuke Itoh, Katsuki Nakamura

First Affiliations Center for Integrated Human Brain Science, Brain Research Institute, Niigata University, Niigata, Japan

Abstract 神経細胞の数の増加は脳進化における認知能力の向上の基盤とされている。ヒトの認知の進化は、拡張された神経細胞の数による個々の神経細胞の処理時間の累積により、神経処理時間の延長を伴うと予想される。本研究では、この予測を確認し、覚醒状態のヒトと非ヒト霊長類の音に対する脳反応の非侵襲的測定を用いて延長の量を定量化した。頭皮から記録された聴覚誘発電位のN1成分の潜時は、コモンマーモセットで約40ms、アカゲザルで約50ms、チンパンジーで約60ms、ヒトで約100msであった。ヒトのN1潜時の顕著な増加は、聴覚経路の物理的な延長では説明できず、聴覚皮質処理の延長を反映している。聴覚皮質処理の長い時間枠は、音声知覚に重要な時間変化する音響刺激を解析するために有利である。ヒトの脳進化に関する新しい仮説が浮上する:皮質神経細胞の数の増加は感覚皮質処理の時間スケールを広げ、その利益が認知の遅さと反応のデメリットを上回った。

Background 脳進化において「大きいほど良い」という原則は広く受け入れられている。言語や抽象的思考などのヒトの独特の認知能力は、哺乳類の一般的な体サイズと脳サイズの比例関係を超える程度まで増加したヒトの脳サイズによって支えられている。大きな脳は複雑な情報処理能力を増強する皮質神経細胞の数が多いという仮定があるが、哺乳類間で脳サイズが神経細胞の数の信頼できる予測因子ではないとする研究もある。

Methods ヒト、チンパンジー、アカゲザル、コモンマーモセットの4種の霊長類の脳反応速度を測定するために、頭皮脳波(EEG)を使用した。これらの種は脳サイズが大きく異なり、したがって神経細胞の数も大きく異なる。聴覚誘発電位のP1およびN1成分のピーク潜時を、聴覚皮質の神経処理時間の神経生理学的指標として利用した。

Results 脳サイズが大きくなるにつれてP1およびN1のピーク潜時が増加し、種間の差異は統計的に有意であった。P1の潜時の種間差異は、脳サイズの物理的な増加ではなく、皮質の神経処理時間の延長を示していた。

Discussion 聴覚皮質処理時間の延長には、音声知覚に重要な時間変化する音響刺激を解析するための利点がある一方で、迅速な音識別が必要な状況では不利である。ヒトの脳進化は、皮質神経細胞の数の増加による処理時間の延長が知覚や認知の強化に寄与した可能性がある。

Novelty compared to previous studies 以前の研究では、脳サイズの増加が神経処理速度に及ぼす影響を検証したものは少なかったが、本研究は霊長類間の比較を通じて、ヒトの脳の皮質処理時間が他の霊長類に比べて顕著に延長されていることを示した。

Limitations 本研究は4種の霊長類のデータに基づいており、より多くの種を含むことで、より正確な計算が可能になる。特に非霊長類のデータが含まれると、仮説のさらなる検証が可能となる。

Potential Applications 聴覚皮質処理時間の進化的延長が音声知覚の進化を支えた可能性があることから、音声認識技術や聴覚関連の神経科学研究への応用が考えられる。

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