携帯の乗り換えに5時間かかった女の人生の話

タイトルの通り、携帯の乗り換えに5時間かかった。
しかも結局乗り換え出来ず、新規で契約した。バイトには遅刻した。
なんで5時間かかったのか話します!


私は女子大生をやっているごく普通の女オタク。
田舎生まれ田舎育ち地元進学の役満人間です。


私が産まれて1年経つ前に、父が肺ガンで亡くなった😢
開幕5秒で重いじゃん sorry......

専業主婦だった母は知り合いの勧めた先で1年働いた後、三十路を超えて専門学校に入った。すごい!👏
勉強に勤しむ母が一人で育児をするのは無理な話で、当時2歳の私と7歳の兄と小学校5年生の姉は両家の祖母の協力のもと育てられた👶🏻
まだ身の回りのことが出来ない私や兄は、ほとんどを母方の祖母の家で過ごした👶🏻

母は4年間学び、見事国家試験に合格して就職した。学校の遠足に私たち姉弟を連れて行ったりしてたらしい。癖の強い育児漫画じゃん🤣
母は就職した後、元々家族で住んでいた借家を出て、祖母の家に引っ越してきた。少し一緒に住んだ後、姉と兄を連れてマンションに引越していった。

小学校1年生だった私は、自分が仲間はずれになったことをまだ良く分かっていなかった。


それからは、月に1回母に会えるか会えないかという生活になった。でも私はほとんど祖母に育てられたので、特に違和感を感じてはいなかった。
産まれてからそれが普通だったし、明るく元気に育ったので、毎日学校が楽しかった。学校行事は祖母がひとつも欠かさず参加していた。
しかし小学校4年生の時、友達に「お母さんと車の中で二人きりになって何も喋らない時、気まずいよね~~」と言ったら「別に?」と返されたことで、うちの家庭は普通ではないのだと自覚した。やっぱりか~~~~🤷‍♀️

年末年始は母の家にお泊まりするのが毎年の恒例だった。
祖母の家に帰って色んな出来事を話していると「そんなにお母さんお母さん言うなら、あっちに帰ればいいじゃない!」と怒られて、祖母を傷つけてしまった事実に落ち込んだ。それからは母の話を加減することを覚えた。
母と祖母の仲がどうしてこんなに悪いんだろう~~??🤔と思っていた。

母はマンションを出て、同じ町内に家を建てた。
私の部屋もあると聞いて、使わないのになんで作ったんだろう~~??🤔と純粋に疑問に思った。
地鎮祭でおちょこに入った日本酒をぐいっと飲んだら、舐めるだけでよかったのにと母に言われた。いや先に言ってよ🍶

小学校に入学した時から塾に通っていた私は、祖母に中学受験を勧められた。というかもう気づいたら全ての申し込みが終わっていた🤦🏻‍♀️
地元の小学校も友達も大好きだった私は、都市部の誰も知らないめちゃくちゃ頭良い人間で構成されてる大学の附属中学になんて行きたくなかった。何度も嫌だと言った。滑り止めの私立の中高一貫校の申し込みまで終わっていた🤦🏻‍♀️
母も中学受験には猛反対していた。

結局、附属中学は落ちて私立の中高一貫校に通うことになった。「小学校6年間であなたにかけた学費がどれくらいになると思ってるの?」という祖母の言葉に負けた。というか勝てる選択肢など産まれた時から持ち合わせてなかった。私に選択権は無い🙅🏻‍♀️
(あの頃の私へ、子供に決定権はないので当時のことは全部大人のせいにしていいよ♡ 学費を払えない子供が解決できる問題ではないので)

元気で明るくお絵かきの好きな子供に育った私は、入学しちまったもんは仕方ないとめっちゃ友達作ってめちゃくちゃ楽しい学生生活を送った😆✨✨

ある日、母が家に怒鳴り込んできた。「そんなにお金に困ってるなら、今すぐこの子を連れて帰る!荷物を早くまとめな!」と大きな声で言っていたのを祖父がさらに大きな声で制した。
石像みたいにPC画面に向かって固まった私は、いつもお金が無いと言っていた祖母の言葉も思い出して、(あ、うちには本当にお金が無いんだ。)
と思った🥺
結局母はその日帰って行き、何も無かったように日常に戻った。

私はこのままエスカレーターで私立の高校に上がるのをやめて、地元の公立高校を受験する事にした。自分の意思で来た場所ではないし、入学時からエスカレーターを上がる気はさほど無かったし。
塾の先生が「この私立高校にいた方が、有名な私大に行けるよ」とか言ってきたし、担任の先生が私を呼び出して引き留めて来たけど3分で面談を終わらせた。
担任の先生は「実は君のおばあちゃんに引き留めるように言われたんだ」と言っていた。ヤラセじゃんよ😡

私はもう地元の公立高校に行って、地元の国公立大学に行くのが一番お金がかからないと思ったので、家庭事情を知らない大人の言うことは全部無視した🙈🙊🙉
誰1人として「あなたの考えは正しいよ」って肯定してくれなかったから、毎日自分で自分を肯定した。
Twitterで鍵垢作って言いたい事全部書いた。結構スッキリした、オススメ。

あと、受験してデザイン科のある高校に進学した友達を見て、いいな~~~~と思ってた🤤

そして志望校に受かり、同中出身者0状態で高校生活がスタートした。
元気で明るくお絵かきの好きなオタクに育った私は、めっちゃ友達作ってめちゃくちゃ楽しい学生生活を送った。😆✨✨

私はここまで、母に対する感情が「無」だった。好きでも嫌いでもなく、何とも思わなかった。
後になって思うが、当時の私は『母を好きになる=母の味方になる=祖母が傷つく』という方程式が出来ていたので、無意識に感情を押さえ込んでいたのかもしれない。たぶん?????知らんけど🙄
年末年始のお泊まりから帰る時は寂しかったけれど、寂しいなんて思っちゃいけないと思っていた。
(というか別にこれまで一緒に過ごしてきた時間が長かった訳でもないのになんで寂しいと感じるんだろう?と疑問だった なんでだろうね????)


そんな母に、高校2年にあがる前に祖母と血が繋がってないことを告げられた。

普通にめちゃくちゃショックだった。
皆は自分を育ててくれた母親と血が繋がってないと言われた事があるだろうか?思ったより心にくるからぜひ体験して欲しい。
いや嘘、体験しないで。

おそらくこの時期から、母に対してはっきり感情が生まれてきた。好きではなく、憎悪というか、怒りというか、良くない感じの。
私が中学の頃からボケ始めた祖父に関して母はあまり支援してくれなかったし、触れてこようとしなかった。母の専門分野なのに。ぷんぷん!😠
(と私は思っているが、当時は母なりにアドバイスしてくれていたのかもしれない。何かあったらいつでも言ってね。送り迎えとかするからね。とLINEしてきたのをすべて私は話半分で聞き流していた。
何とかしてくれるなら私にLINEじゃなくて直接祖母に電話しろよ、と思っていたが、祖母も母も互いに口を聞きたがらなかった。仲が悪いので。)(ちゃんと親と話し合いな〜〜〜)(でもあの時期は全部大人が悪いからな)

祖父や大叔母に関する介護疲れの愚痴を、私は祖母から全部受けとめたしどうすれば解決できるか一緒に考えた。自分なりに一生懸命サポートした。
祖父は私にとって父親だったので、親がボケていく姿を見るのは虚しくて悲しかった。しかも家族内で唯一の男手がそうなってしまったので私が力仕事を率先して手伝った。私がしっかりしなきゃと思った。そんなに役に立ってなかったかもしれないけど🤷‍♀️

この頃のマイブームは友達との会話で「まあ私は人生二週目だから😆」と笑い飛ばすことだった。祖父母の面倒を見るには、私が実際の娘であるはずの母親の代わりにならなければと思っていた。少なくとも精神年齢だけでも。だって誰も助けてくれないし🤷‍♀️
あと祖母の頭が悪いんだろうな~~って事にようやく気付き始めた。私の親、こんなにも頭悪いか~~~勘弁してくれ~~~と思った😩


高校3年生、進路選択の時が来た。

中学の時から決めていたし、地元の国公立大学にした。祖母に勧められたし、担任の先生も向いてるからと言っていたので教育学部を志望する事になった。法律には興味なかったし、他人のお金の計算までしたくなかった文系の私に残された学部はそこだけだった。ぶっちゃけ消去法で選んだ。

けれど、一人暮らしをしたいなと思った。日々ボケていく祖父の相手をするのは正直限界だった。18歳の娘っ子が50歳の精神を持つのは不可能だった。この家を出たいと思った。
けれど祖父母の面倒をこれからも見なきゃだし、誰か倒れたらすぐに駆けつけたいし、これ以上物理的に母と離れたら家族じゃなくなる気がした。ただでさえ母とは血の繋がりしかないのに💉
だから遠くには出たくなかった。

あと、この頃の私は生活能力がゼロだった。洗濯をしたことも無ければ1人きりで料理を作ったことも無いし、自分で自分の服も選べなかった。
(家事は全てやり方が違うと祖母に怒られるし、着ちゃ駄目と言われる服が多くてネイルもイヤリングもしちゃ駄目で。まあ、自分で洋服を選んで怒られたり笑われたりするのが怖かっただけだが💄
服はいつも勝手に祖母が買ってくるし、自分がどんな服を持ってるのかすら分からなかった👗自分で服を選ぶのが怖くて服屋さんが好きじゃなかった。どうせ似合わないとか駄目とか言われるんだろうな、と諦めてた。)(後から気づいたけどこれが毒親というものなのか??)(でもまあ私はめいっぱい愛されて育ったからな、、、愛し方を間違えられてただけで)

だからこの時の私は祖母が死んだ後、私はどうやって一人で生きていくんだろうと考えていた。
祖母は自身が死んだ後、私がどうやって生きていくのか考えてるのかな?考えてないんだろうなと思っていた。し、多分その考えは当たっていたと思う。
うちの親、頭悪いので🤷‍♀️

また、家族の人生の終わりしか見えてなかったので、将来の夢のために一生懸命勉強する友達を見てすげ~~~~~と思ってた。何で根拠も無いのに、将来に夢や希望を抱けるのか当時はマジで疑問だった🤔


結局私は志望校に合格して、教育学部に来た。
一人暮らししたいと言うと母は二つ返事で了承してくれて、仕送りまでしてくれることになった。父方の祖母に一人暮らしのことを言うと、まるで監獄から脱出できたかのように祝福された。ウケる🤣

それまで祖母が毎朝用意してくれていた服しか着れなかった私は、自分で服を選ぶ楽しさを覚えた。シュシュすら禁止されていた私は自分でイヤリングを買えるようになったし、前髪の長さの制限もなくなった。スカートも履けるようになったし、自分で眉毛を整えても怒られなくなった。初めて道具を使った原始人みたいな事しか書けないけど事実です🐒

ただし、1週間に1度は祖母の家に帰ってバイトついでに、祖母から愚痴を聞いてガス抜きをした。ボケて運転免許を返納した祖父の代わりに、運転免許を取得した。長期休暇で帰省してる間はバイトと祖父母の病院への送迎で1日が終わった🚗💨
ボケ老人を家に残して私はのうのうと一人暮らししているので、せめてもの罪滅ぼしだった。
地獄か?と思うけど実際地獄なんだよな~~~長期帰省が始まる時はいつもTwitterで地獄の始まりって呟いてた😈

祖母はいつもお金が足りていなくて、私に貸してくれと言っていた。とても申し訳なさそうに。後で返すからと言って。
私はバイトしてたし、仕送りもあるし、奨学金も借りているし、お金を貸していた。
高校の頃は私が母へ教材費だと嘘のメールを書かされて、お金を借りていたのでそれに比べればもう、めちゃくちゃ心が軽かった。だって母に嘘をつかなくていいから!サイコー~~~~😆 馬鹿なの?そうです馬鹿だったんです
奨学金と母の仕送りが入る生活費の口座から足りない時は私のバイト代から貸してた。


入学して2年ほど経った頃、祖母が私にこう言ってきた。

「お母さんが今仕送りしてくれてるでしょ?あれ、100万ぐらい前借りしてくれない?借りた分、これから毎月私が仕送りするから。」

え?と思った😶
え?さすがにそれはヤバくない?🤔
いや、お金で困ってるの分かるし、すごい申し訳なさそうだけど、え?そんなの絶対無理でしょ。絶対できないでしょ、そんなこと。
無理以前に、たぶん母さん、めちゃくちゃ怒るのでは...?🤔

結構渋ったけど、もう私が母に言わないとどうにもならないみたいな感じで迫ってきたので、恐る恐る母に電話した。半ばヤケクソ。






結果として私は祖母と絶縁した。

予想通り母はブチ切れ、兄は静かに怒り姉も怒ってたっぽい?🤔
この時、初めて母のこれまでの人生を詳しく聞いた。
父が死んだ後、祖母が経営していた店が潰れて自己破産した。そのお金を全部母が払ったこと。(父の生命保険で)それから後も度々祖母が母にお金を貸してほしいと出向いていたこと。いよいよ職場にまで出向かれて、我慢ならず私が中学の時一切お金を貸さないと言ったこと。(だから高校になってからは私が嘘のメールを書かされていた)
お金を借りるだけで1円も返してもらってないこと。
小学校の時から私を返して欲しいと言っていたこと(もちろん私は一切そんな話知らない)

私はそれを聞きながら、いつも祖母が口癖のように言っていた「お母さんはケチだね」という言葉を思い出していた。いや、どの口が言ってんだ?

幼い頃から母と祖母に公平に接しようとしてた私も(実行できてたかどうかは別にして)、これは祖母が悪いわ~~~と思うしかなかった。急に君の親は世を滅ぼそうとしている大魔王なんだよって言われた感じ。

母が1円も返してもらってないのに、私が貸したお金なんて返してもらえるわけないなと思った。
祖母、頭悪いとは思ってたけどそこまでだったか~~~~~~~~ハ~~~~~~~~~😩
母「このままだとあんたも成人したし、あんたの名義でお金を借りかねない。まさかあんたからはお金を借りないだろうと思ってた私が馬鹿だった」
祖母予想外の行動なんかよ~~~~やべ~~~~~~頭悪~~~~~~~~😩ウケる〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜 ウケるな


バイト終わりに短めでお願いしますと頼んだのに2時間30分かかった家族会議から数日経って、母達と晩ごはんを食べて。そのノリで「よし、いっちょ絶縁しに行くか!」と母と兄で祖母宅に向かった。私の元気で明るい性格は血です。オラ絶縁すっぞ!

急に母達と家に来た私に祖母はびっくりしていて、みんなで席についた後、これまでのお金の話を始めると祖母の顔つき?私に向ける目?が変わった。
あ、と思った時には母に「車に戻ってなさい」と言われたので私は離席した。
私はずっと母の車で待機してて、母が戻ってきたので一緒に卒アルとか推しのCDとか漫画とか推しの書籍とかをまとめた。
結局兄が話をまとめてくれたらしく、私はそのまま祖母の顔を見ずに家を後にした。

私のこれまでの20年間って何だったんだろうな。と急にめちゃくちゃ虚しくなった😢
よく漫画とかで見る「胸にぽっかり穴が空いた感じ」を実感した。こんな感じなんすね〜〜〜


その数カ月後には公務員試験の勉強が始まったし(祖母は私が半端な職業に就くのを禁止していたし、教師以外でまだ許されるのは公務員だなと絶縁する前に思ってたので、すでに申し込んでいた)、
教育実習もあってバイトもあって、推しのコラボカフェに行って忙しく過ごした。
祖母が出演する悪夢は見たけど忙しくてあんまり考える暇がなかったのが良かったと思う👌

教育学部に来たもののやっぱり教師になる気は全然起きなかったし、5週間の教育実習が終わった時はもうめちゃくちゃ嬉しかった。やっぱり教師は無理だなと強く再確認した🙅🏻‍♀️

一年経って公務員試験を受けたけど全滅でした。


惜しいとこまで行ったんだけどな~~~~~~ハ~~~~~人生~~~~~~~~世知辛ぇ~~~~~~🤦🏻‍♀️
実家に戻る気は更々無かったので、関西圏の都会を狙ったのが駄目だったんかな~~~~公務員になって高飛びしたかったんですけど。


絶縁した後は週に1回地元のバイトの時は母宅に寄るようになった。これまで月に1回、人生の1/30くらい母に会う生活だったのに、急に1/7になった。
適応能力がめちゃくちゃに高くて歩くスポンジと自称する私でも最初の半年は晩ごはんの味がしなかったけど、慣れた。スポンジの本領発揮❣️

20年離れて暮らした家に、就職するから帰りま~~すなんて簡単に思えたらもっと人生イージーモードだったと思う。
てかそもそも実家に泊まったことはあるが住んだことはないので、帰るという表現もおかしい。
そういう訳で、どうせ一人暮らしするなら関西の方行こーーーーって4年生の9月から就活始めたけど上手くいくはずもなく🤦🏻‍♀️

適当に関西で事務して、オタクして働いて、人生嫌になったら好きなときに死にたいな~🤤と思ってた。
特に夢も希望もないし、オタクしか生きてる意味無いので。



いつも通りバイトの日、母と車内で話していたら、ふと

「あんたなんて末っ子の女の子なんだから、言ってくれれば京都の漫画の大学にでも行かせてあげられたのに」

と言われた。

ん~~~~~~~~~~?????🤔🤔🤔
すごい規模の後出しジャンケンされて笑っちゃった。あと「高校のデザイン科とか行けばよかったのに」って言われた。
高校の頃、よく友達に「来世は高校のデザイン科行って、デザインの専門学校行くんだ~~☺️」と言ってみんなで盛り上がっていたので、とっくに諦めてた夢が叶うチャンスがこんなに身近にあったんだ~~~~と思ってちょっと泣いた😢

そんなの中学の時に諦めてたわ~~~~ははは😄と母に話したら、「じゃあ、専門学校行く?」と言われた


え?


そんな、周りに流されて進路選択してきた私に、ここまで人生舐めて生きてきた私に、更に選択の余地を与えて下さるんすか?え?

ただでさえ一年前に自分の人生を返却されて困惑してたのに、急に自分の夢まで返却されて更に困惑しちゃった。そんな上手い話ある?

結局その後家族で話し合い、来年の4月からデザインの専門学校に行かせてくれることになりました。
私がこれやりたいって言ったことに対して、誰一人として反対せず応援してくれるので、急に世界が優しくなって困惑して1人でちょっと泣いちゃった😢


そして、まあ進路も決定したし一段落ついて落ち着いたし、携帯ももう4年使ってるし、機種変しようってことになった。
私はsoftbankで、祖母と家族割引きを利用してた。けれど母一家はauだった。携帯会社ですら仲間はずれ。ウケる🤣

ついでだし、もう私もauに乗り換えちゃうか~という話になった。iphone11出るし。

バイト行く前に近くのauショップでお姉さんに乗り換えの説明をしてもらった。母もついでに新しい機種に変更してた。乗り換えってなんか色々値引きしてくれるね~~すごいね~~と話しつつ3時間くらい経って、そろそろ完了かな~??と思ってたら、お姉さんが

「名義がご本人様では無いようなので、名義者様の委任状が必要になります」

と言い出した。
あ~~~~~~~~~~~~~やっぱり?🤦🏻‍♀️
私は未成年の時に契約したので名義は祖母なのである。詰んだ。携帯代はもうずっと自分で払ってるのに🤦🏻‍♀️
(これも「自分の携帯代払ってね」と言われたので明細書も見ずに毎月1万円を祖母に渡してたら、祖父母私の携帯3台で1万円乗らないぐらいだったことに気づいた私が口座変更したからなんですけど)(まあそれはそれとして)

結局その後2時間もだもだして、母の「じゃあ新規契約だったら大丈夫ですか?」という鶴の一声により、ようやく契約できた。バイトは遅刻した。

こうして晴れて、5時間かけて私は人生で初めて正真正銘、本物の家族割引きを使うことに成功したのでした☺️ iphone11になったことよりそっちの方が嬉しい☺️



ここまでダラダラ長文書いたのに、読んでくれてどうもありがとうございます。死ぬ勇気もなく、ここまで生き延びちゃったのは人生がここから始まるからなんだな~と思ってます👼


読んでくれてありがとうございました!!😘✨




追記

この記事を書いてから世界が予想もしなかった方向に転がって、まるで漫画の設定みたいなことになってますね😭
相変わらず元気で明るく生きてます☺️

本当は4月から地元を離れて専門学校に通う予定だったので、3月に大学時代住んでいたマンションを離れてほんのちょっとだけ実家で過ごすつもりでした。

けれど待てど暮らせども学校が始まらず。
4月から住む予定だったマンションには家賃を振り込むだけ。住むべき私は実家に滞在、となんとも不思議な期間を神様に与えられました。有り体に言えばニートでした😉
結局5月中はリモート授業を実家で受講し、6月からやっと移り住んで無事学校に通っています👌✨

世間的に見ればこの未曾有の出来事、いろいろな場所や人に不幸を撒き散らしたものだと思います。
けれどこの不思議なステイホームという期間で、なんと私は二十数年生きてきて初めて実家で暮らすという体験ができました😂
実家を自分の帰るべき巣だと認識できたのは、これから先生きていく上で実は結構重要な事なんじゃないかと思い、経験できて良かったな〜と思います☺️
多分いま実家で暮らしてなかったら、帰る巣もなくひとり寂しい心持ちのまま都会で過ごしていたと思うので、、、

最近は割と母親を母親だと認識できたり、姪っ子や甥っ子がめちゃ可愛かったり、子供の頃から変わらず兄のことが好きだったりと平穏な感じです☺️
でもまあ二十数年を胎児として過ごし、人間4歳とかなので慣れないことがあってもしょうがない!徐々にこの世界と妄想を反復横飛びして、日々己の慣らし保育を頑張ってます👶


これからしんどい事もあるだろうけど、人生と夢を返却されたので応援してくれる家族のためにコツコツ頑張っていこうと思います❣️





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