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俺がGenjiだ! 第VI章 「大物」

第VI章 「大物」

1980年代初期の頃、俳優でもあり歌手でもあったMNさんの仕事をやっていたことがある。そのMNさんはある劇団に入った途端、人気TVドラマの主役に抜擢され、それ以来、人気は急上昇、ドラマでもコンサートでも引っ張りだこで、現在でも活躍されている。今回の話はそのMNさんの話ではなく、その時一緒にサポート・ミュージシャンとして参加していたキーボーディストの話。

僕がMNさんのサポートとして最初に参加したとき、キーボーディストでバンマス(バンド・マスタ ーの事)だったのは武部聡志だった。現在ではポピュラー音楽界の重鎮である。長年ユーミンのバンド・リーダーも務めているし、フジテレビ系の音楽番組での音楽監督だったり、一青拗など多くのアーティストのプロデューサーもやっている。僕が参加した当初は、武部聡志が忙しくなり始めた頃で、ツアー中もアレンジ仕事を山ほど抱えてこれ以上ツアー仕事はできない状態になっていた。そこで、ワンツアーやった後、武部聡志の後釜として入ってきたのが今回紹介するキーボーディストTKだ。新しく入ってきた彼は武部聡志に勝るとも劣らないプレイで周りの人達を魅了し、早速チームの輪の中に入り、人気者になった。

彼はその当時バンドの中では最年少だった。多分、22、3歳だったと思う。若手のキーボーディストの中では有望株でサウンド・センスは素晴らしかった。ただ一つ難を挙げれば、理屈っぽいところ。 僕も理屈っぽいので、よく様々な事で激論を交わしたのを覚えている。お兄さんが思想家か何かで、その影響が強く、論理的思考回路が優れていた。僕はその時から、こう言う奴がプロデューサーと言う職業には向いているのだろうな、と薄々感じていた。

その彼の口癖が、
「オレは将来絶対に大物になってやる」だった。 

何の大物なのかは具体的に言ってはいなかったが、野心に満ち溢れていた。 周りのバンド仲間は彼のその発言に対して、半分冗談としか思っていなかった。また、若者の妄想ぐらいにしか考えておらず、誰も相手にしていなかった。

僕は彼のサウンドセンスを高く評価していたので、自分のサウンド作りのパートナーとして起用す ることが多く、様々な作品のお手伝いをしてもらった。 ある時、NHKのニュースの音楽制作を依頼された時も、いろんな意味で彼の才能が役に立った。 

朝一番のニュース、その後のモーニングワイド、そしてお昼のニュース。特にモーニングワイドは1時間ほどのニュース番組で、その番組中で使われる音楽は全て作らなければならなかった。テーマソング、ジングル(番組の中で使われる短いテーマ)、BGM、SE(サウン ド・エフェクト)など、多種多様。

今回、僕をこのニュース制作に推薦してくれたNHKのチーフ・ディレクターの加藤和郎さんは保守的なNHKにあって、かなり革新的な考え方の持ち主で、前年度は坂本龍一を起用するなど、新しい時代を作って行こうと言う考えの持主だった。

「放送というメディア、とりわけニュース番組は世の中のトレンドに一番敏感なので、ゲンジ君が持っている新しい音楽のセンスをニュースにうまくブレンドしたいので、好きな様に作ってください」

というオファーがあったので、やりたい様に作ろう、と考えつつも、天下のNHK、それも多くの国民が見るであろうニュース番組なのだから、感じるプレッシャーも半端なものではなかった。基本的には僕が作編曲して彼にサウンド作りのアシストを任せたのだが、面白い具合に上手く物事 が運んだ。いま思えば、その頃から彼の才能が発揮されていたように思う。

あるBGMの曲で、ちょっと長めのサイズのものを作っている時に、スクラッチ(Hip Hopなどでよく使われるレコード盤を擦る方法)を入れるとニュースの時事感が出せるのではないか、と思ってディレクターに相談してみた。「いいね、面白い。やってみよう」と言うことになり、5分近い曲に全編スクラッチを入れてみた。凄くカッコ良いサウンドになった。NHKの番組でスクラッチが入った音楽が初めて使われることは快挙だ、と思いつつ、彼の好アシストもあって、1日で全ての物を録音し終えた。ディレクターも大喜びで、
「あとは編成会議で聴かせて、問題なければOKです」とその日はそれでひとまず制作は終了した。

それから数日経って、ディレクターから連絡が入った。 編成会議で、ある音楽にうるさい違うディレクターから、「あのガサガサ言う音は何なんだ、雑音にしか聴こえん、もう一度その曲だけ作り直すか、再ミッ クスするか、どちらかにしてくれ」と言うクレームが入ったと言う。ミックスだけで良いので再度やってほしいとの連絡を受け、新たにスタジオに入る事になった。その日は、チーフ・ディレクターの加藤さん以外にクレームを入れたディレクター他数名のNHKスタッフが参加してのミックスとなった。

加藤さんは、「あのディレクターさえ、うん、と言わせれば問題ないからね、よろしく頼みます」と言われ、作業を始めた。スクラッチの入った曲のミックスを変え、他の音を足しながら作業をやっていると、例のディレクターが突然意見を言い始めた。 

「そもそも、公共放送におけるニュース音楽にとって、使われる音は近代クラシックから現代音楽 に至る歴史の中で云々・・・」
その時だった、TKが、「仰ることは、わかりました。あなたが言わんとすることは、こう言うことではありませんか」と言って、少しミックスのバランスを変え、違う音を加えて、そのディレクターに聴かせてみた。そうするとどうだろう、そのディレクターは、「そうそう、こう言う事です。これなら全然問題ないですよ」と言う流れになり、無事にその日は 終了した。
後日、加藤さんから連絡があり、
「編成会議、無事通りました。ありがとう、お疲れ様でした」TKが機転を利かせなかったら、この問題は相当こじれていたかもしれなかった。 結局、その曲は最初の時と殆ど変わりなく、翌年のニュース番組でそのスクラッチ音が入った音楽が初めてNHKのオリジナル音楽として流れた。
彼の論理的戦略が功を奏した結果となった。

そう言うこともあって、彼のサウンドは自分の音楽に必要だ、と感じて、彼に僕の新たな音楽ユニットへの参加を打診したところ、「やらせてください」と言うことだったので参加してもらうことになった。

その当時、僕のユニットにはホッピー神山と言うキーボーディストが既にいた。 ホッピー神山も才能のある独特な世界観を持った音楽家で、個性的なキーボーディストでは今でも日本でナンバーワンだと思っている。そこに彼が加入したわけだから、やはりどうしても火花が散る。根本の音楽スタイルが違うので、なかなかうまく歯車が合わない。ホッピーは変幻自在に自分の世界を作れたが、彼はどうしても本領を発揮できなかった。

ある日、リハーサルに彼が来なかった。 電話をすると「体調が良くないので休ませてください」と言うことだった。その日は了解して、彼抜きでリハーサルをやった。そして次のリハーサルの時のことだった。 また彼が来ないので電話をすると、「彼女の調子が悪いので今日も休ませてください」と言ってきた。 僕は頭に来て「本当のことを言えよ」と言うと、 ああでもない、こうでもないと言い訳ばっかりするので、頭に来て「もうおまえは来なくて言い」と言ってしまった。それからというもの、残念な事に、彼との付き合いは疎遠になってしまった。

それから、何年か経った時のことだ。

僕は、あるアイドル系ロックアーティストのサポートをやっていたのだが、 そのアーティストも参加するテレビのクリスマス番組の特番用音楽制作をスタジオでやっていた時の事。他のアーティストの音も参考にしようと、その番組のメインアーティストであり、ホストでもあった桑田佳祐さんの音を聴かせてもらった。驚くほど素晴らしかった。「ホワイトクリスマス」を桑田君が歌っているのだが、そのサウンドが、いままで聴いたこともないようなサウンドで、センス良く、カッコ良く、そして何よりも桑田君の歌を盛り立てていた。

 桑田君の関係者に、
「このサウンドは誰が作っているのですか」と尋ねたところ、「ああ、これは沢井さんもよくご存知のTKさんですよ」「えーーーっ、本当に、凄いですねえ」 「最近は桑田さんのサウンド・プロデューサーとして活躍していますよ」 「そうなんだ、出世したねえ」

その時の衝撃はいまでもよく覚えている。 日本人離れしたリズム・アレンジや、コード・チェンジの感覚は昔の彼のそれではなかった。あまりにも素晴らしく成長した彼のサウンドを聴いて、あの言葉を思い出した。

「オレは将来絶対に大物になってやる」

その時点では彼の活躍が嬉しかったが、 ひょっとしたら、もっと大物になるんじゃないか、という予感がその時していた。

それからまた何年か経ったある日、沖縄での野外イベントでのことだった。

ある若いバンドと一緒だったのだが、そのバンドのボーカルがすごく良かった。バンド自体は荒削りな のだが、メロディーや歌詞、そしてボーカルの存在感が素晴らしかった。その時、沖縄のイベンターの人が、「このバンドはもうすぐ凄いことになりますよ」と言っていた。 確かにこれまでにない感覚のサウンドとメロディー、それに歌詞、全てが新鮮だった。そうすると、本当に1年後、そのバンドは大ブレイクした。 あとで知ったのだが、そのバンドのプロデューサーがTKだった。

その後、彼のやるプロジェクトは全て大ヒットを記録し、 一躍、大プロデューサーとなり、音楽業界では本当に大物になった。


そのバンド「Mr. Children」 

そしてプロデューサーのTKこと、 

小林武史

彼は有言実行を果たした。
彼の何がそうさせたのかは分からないが、良い意味での彼の野心が成功へと導いたのは間違いない。 

現在の音楽業界では、音楽プロデューサーの代名詞にまで使われるようになっている。

彼の成功には拍手を送りたい。 

そして、そんな大物をクビにした僕を笑ってやってほしい。

                      沢井原兒

Podcast番組「アーティストのミカタ」やっています。

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