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俺がGenjiだ! 第I章 「クマ」

noteを始める事になりました。色々なことを書いていくつもりでいます。この「俺がGenjiだ!」シリーズは、これまでご一緒させていただいた人達との知られざる逸話を紹介していきます。名前は最後までお知らせしません。読みながら、誰のことか想像しながら楽しんでください。第1回は「クマ」

第I章 「クマ」

1976年のこと。 

僕も未だ20代で輝かしい未来を夢見ていた頃のことである。                  

サックス吹きだった僕はジャズを演奏するため3年ほど前に大阪から上京し、儲からないジャズを続けながら色んなアーティストとセッションをやっていた。

ある日、ギタリストの友人から、面白いセッションがあるから一緒に演奏しに来ないか、と誘われた。
最近までグループで活動していたが、解散してソロ活動をしている新進気鋭の男性アーティストで、洋楽系のポップスを邦楽に取り込んで、音楽好きの若者の間では人気が出始めてきているという。

これからの日本音楽界では注目される存在になるだろう、という友人の話。
ジャズ以外のジャンルの音楽は殆ど知らなかった自分にとっては、名前も知らなかったが、どんな音楽をやるアーティストなのかも皆目見当がつかない。 何か面白い経験になるのではないか、と言う期待感もあり、また、その当時の僕は、ジャズだけにこだわるのではなく、どんなジャンルの音楽でも面白そうな音楽であれば、どんどんやってみようと思っていたので、 行ってみることにした。

場所は下北沢の「ロフト」。
下北沢は、その当時から若者の街で知られていたが、
現在ほどライブハウスの数はなく、 徐々に新しい店が増え始めようとしている時期だった。

オープンは1975年。
新しい形のライブハウスとして注目され始めて、 新たなロックを目指す連中や若者中心のニューウェーブ系アーティストのライブで連日賑わっていた。
自分としては、ジャズ系のライブハウスはよく出演していたのだが、ロック系のライブハウス出演はその時が初めて。どんな感じか興味津々でいた。

その日はライブが夜の6時半から始まる。
お昼過ぎからリハーサルをすることになっており、予定より少し前に到着して地下にある店への階段を下りて行った。 

ドアを開けると、他のメンバーはもう既に来ていて簡単なサウンドチェックをやっていた。 ギター、キーボード、ベース、ドラム、そしてサックスの5人編成だ。 みんな僕よりも若い20代前半のミュージシャン達ばかり。 友達のギタリスト以外は初対面で、少し緊張しながらも、どんなセッションになるかワクワクしな がら、自分自身もサックスをケースから出し、音鳴らしの為に楽器をパラパラ吹いていると、

そいつは急に現れた。

凄く今時の若者と同じラフな格好をしている。 

えっ、カリスマ・アーティストって言われている奴なんだよね。

なんか普通の感じ。

髪の毛はストレートで長く、穴が空きそうなスニーカーを履き、 パンツはかなり履きこまれたベルボトムのジーンズだ。 その頃の若者の格好は、殆どがベルボトムのパンツに、 ロンドンブーツかスニーカーが一般的だった。

そいつは店に入ってくると、落ち着きなくウロウロしている。 本当にこいつが、若者の間で話題になろうとしているカリスマ・アーティストなのか。 

信じられなかった。

初対面の僕に友達はそいつを紹介してくれた。
「ボーカルの○○○○くん」「こいつ、あだ名がクマってゆうねん。こんな感じやけど、歌はすごくイカしてるんやで」
友達は関西出身で東京に来てだいぶ経つが訛りが全く取れない。

「あっ、よろしく」といいながらそいつと軽く握手を交わしたが、未だ信じられなかった。

「こいつが本当にあいつなのか」と。

そうこうしているうちに、リハーサルが始まった。 殆どが洋楽のカバー曲で、知っている曲も何曲かあった。そいつの歌声は、ちょっと甲高い声だったが、凄かった。

やっぱり本物だ。

そいつの日本語のオリジナル曲も何曲かあったが、カッコ良い曲ばかり。  これまでの日本のポップスと比べると、新しいと言うか、垢抜けていると言うか、新しい時代の香りがした。こんな曲がヒットすれば日本のポップスももっとカッコよくなるのになあ、と思ったりしたのを憶えている。

人は見た目じゃないんだ、とつくづく思った。 でも、リハーサルが終わったらまたウロウロしている。

変な奴だ。

友達が「こいつ動物園のクマみたいにウロウロしてるやろ、そやからクマって言うねん」

なるほど、頷けた。

リハーサルが終わって店を出てみると驚いた。 凄い行列が出来ている。
なんだ、この数は。店の人に聞いたら、こんなに行列ができるのは珍しいらしい。そいつの人気が若者の間でどんどん広がっているのだろう、今日は大変な事になるかもしれないよ、と言っていた。

改めてそいつの人気を実感した。俺達メンバーだけでは、せいぜい集められても10人程度がいいとこ。軽く食事をしに行って店に戻ってくると、もっと凄いことになっていた。

店に入れない人達が大騒ぎしているのだ。下北沢のロフトは、当時、満杯でも150人程度、そこに既に200人近く入っていて、入りきれない人が店の外に100人近くいるのだ。もう暴動になりかねない状況だった。

その状況を見て、そいつはお店に戻って、しばらくして出てきた。入れないで行列して、いまにも爆発しそうな連中に向かって大声で叫んでいる。

「今日はみんなゴメン。次回の優先チケット渡すから、それで今日のところは納得して帰ってもらえないかな」

さすがだ。
行列していた連中は渋しぶだが、なんとか納得して帰っていった。 そいつが機転を効かせていなかったらどうなっていたことか。

そんなことがあって、本番がようやく始まった。
凄い数のお客で足の踏み場もない。盛り上がってくると酸欠状態で演奏する方も頭がくらくらする。そいつはリハーサルの時とは違ってもの凄いパワーだ。客は教祖を見るかのようにそいつのことを見ている。

これまで色々なライブをやってきたが、こんな感じは初めてだった。アーティストとバンド、そして客が一体になってグルーブしている。 

すごく楽しい、いや、楽しいと言うよりも、
大袈裟かもしれないが、そこにいる全員で時代を作っている感じがした。 

その時初めて、そいつがどうしてそんなに人気があるのかを理解することができた。
音楽は理屈じゃないんだ、同じ時に同じ場所で同じ音楽を共有し感じる事こそ音楽の醍醐味なのだ。そう言う状況を、そいつは作ることができるやつなんだ。やっと、そいつがカリスマと呼ばれる意味が理解できた。

初めての感覚だった。
ある意味で、自分の音楽の価値観がその時変わった気がした。

そのセッションはそいつにとっても参加メンバーにとっても思い出深いセッションになり、その後1年ほど定期的に行われた。

そいつの存在感や、その個性的な音楽スタイルは素晴らしい物だったが、その時は、まさかそいつが将来日本を代表する凄いアーティストになるとは思いもしなかった。せいぜい大きなライブハウスを満杯にするぐらいだと思っていた。

僕の予想が間違っていた事に気づくまでにそんなに時間はかからなかった。
そのライブから3年ほど経った頃、なにげにテレビを見ていると、有名なオーディオメーカーのCMにそいつが出ているではないか。相変わらず長い髪で、海の中で手鉄砲を撃っている。

そいつの活躍が嬉しかったが、
晴れがましかった。不思議な感覚だった。

そいつのサウンドは、セッションやっていた頃から比べると格段に洗練されていて凄くカッコ良くなっていた。当時、そのアルバムは日本のポップスに革命をもたらした、とまで言われるくらい音楽界を席巻した。
自分でもそいつのレコードをわざわざ買ったほどだ。

あれから数十年。
そいつは相変わらずカリスマ歌手として活躍している。 日本のポップスの一時代を築いた貴重なアーティストとして日本の音楽文化の歴史に刻まれている。




そいつの名は「山下達郎」

                         沢井原兒

Podcast番組「アーティストのミカタ」やっています。

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