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素人が源氏物語を読む~花宴:箱推しのためには、見境なく女を追いかける男だって許します。


光源氏という男は、どうしてこんなに恋をしているんだろう? こんな疑問は、女がしばしばプレイボーイを廃業させる「最後の女」になる願望を持つからなのかな。

花宴が桜を愛でる会だとすると、1つ前の巻「紅葉賀」は紅葉のころ帝が行幸あそばす。華やかなイベント回が連続するのって、食べ飽きてしまわないのでしょうか?

花宴は、朧月夜という処女にしてファム・ファタルとの出逢いがあるものの、いまひとつ印象が薄いようで不安になりつつも、読んでみましょう。

時系列を確認しておきます。

2月20日過ぎ、花宴(公式イベント)
→ 朧月夜とたちまちに恋愛するも彼女は名前も教えてくれない
→ 翌日、二次会(内々のイベント)
→ 自宅 & 妻の実家へ
→ 3月20日過ぎ、藤の花見の宴(右大臣開催)で朧月夜と再会

今回はこんなことを書きます。

■潮目はすでに変わりつつある
■見境なく女を追いかける男を、わたしはどうやって納得したか
■ミ・アモーレ 朧月夜

■潮目はすでに変わりつつある

紅葉賀と花宴、イベントシーンを見比べてみます。

・紅葉賀

前の巻の「紅葉賀」では、光源氏が頭中将と青海波という舞を舞ったのが大好評、全観客のみならず空までもが僅かな雨を降らせて泣きました。

二人で舞ったのですが、光源氏が満開の桜とするならば、頭中将は山奥の木に見えちゃうんですって。光源氏の美しさが格別すぎて。と、本に書いてあるんですよ、ほんとに。

弘徽殿女御も「彼って神様がどこぞへ連れてっちゃいそうな美しさよねっ! 不吉!!」って言っちゃってた。

光源氏の舞と、とある御子の舞についてサラッと触れられてるだけで、それら以外は却って興醒めであったとか。そして光源氏の舞のおかげで、みんなが加階させてもらえました。

このように、光源氏の目映さが際立っているのが紅葉賀でした。さて、花宴では、どう変わっていくのでしょうか。

・花宴

こちらでも光源氏は素敵だと書かれてはいます。でも、何かが違うんです。地味っていうか。紅葉賀では、光源氏だけが目映いようでしたが、今回はみんなが素敵なように光源氏も素敵だったようで、際立ってはいないです。ただし訳次第で源氏への盛り加減は違うようです。

まず紅葉賀では帖の冒頭のページからいきなり光源氏のカッコよさのクライマックスが来たのに、花宴ではなかなか来ない。

花宴の冒頭は、政治体制の変化の予兆を感じさせるものでした。公式イベントで、帝がもちろん一番エラいのですが、次にエラいポジションの席に藤壺と東宮がいらっしゃるんですよ。弘徽殿女御も勿論ご健在ですけども「これまでは藤壺と同じランクだったのに、アイツがあんな席にいるのなんか見たくないっ! でも、宮中の公式イベントに出ないなんて我慢できないもの~!」と悶えています。

光源氏が発掘してきたメンバーによる舞楽ショーがあります。総合プロデューサーみたいなお仕事なんですかね。その舞を観てた東宮ーー光源氏のお兄ちゃんで桐壺帝と弘徽殿女御の子で次期ミカドですーーが、紅葉賀のときに光源氏が舞った青海波の美しさを思い出して、光源氏に舞うように頼みます。そして次期ミカドである東宮に頼まれて断われず仕方なく光源氏はチョロッと真似事のように演じて見せます。そして桐壺帝は頭中将にも何か舞うようにと命じて、準備でもしてあったのかもう少し長く舞った頭中将に御衣(おんぞ)という褒美を帝みずから与えて、めったにないことだと周囲のひとが思ったと。

光源氏がピックアップしてきたメンバーの舞を観て、東宮が光源氏の舞を所望する。ここは、どう評価すればよいのか?

引退して今は舞楽に関してはプロデューサー的な立場にあるのに自分の舞を求められるというのは、恥をかかされてるような状況なのか? あるいは、どうせ皆が光源氏の舞を期待してたから、その空気を読んで東宮が命じたのか? 何度もせがまれて断わりきれずに、と書いてあるので、次期ミカドの過ぎた振る舞いなのか? 基本的に光源氏はひとの話を聞いてない感じがあるので、お兄ちゃんごときに言われて舞うなんてイヤでしかたなかったのか?

このように疑問が渦巻きますが、どうにも解らないので保留のまま行きます。さて、

そのあと現ミカドである桐壺帝が頭中将にも舞を申し付けます。そしてミカド自ら褒美を与えます。

桐壺帝が頭中将にも舞を命じられたのは「それなら俺は頭中将の舞を観たいわ~」ということではないでしょう。何故かというと紅葉賀で頭中将はいかにも引き立て役のように描かれていたからです。光源氏推しのミカドは「彼もうまいけど、光源氏には見劣りするよね」と藤壺にも語っていました。それなら何故? それは次期ミカドたる東宮の存在感が増してきたものの右大臣派の時代というにはまだ早いと牽制したい、という理由によりバランスをとるためではないのかと。それで、そんな微妙な役回りをさせたことに対しての褒美なのではないかしらん。

まあ、それはそれで解るんだけど、そもそも現ミカドたる桐壺帝がストップかけてりゃよかったんじゃないの? 「光源氏よ、お前さんはこの局面をいかに乗り切るのか? できるよね」という教育的親心? とはいえ頭中将までもを使って何? 現ミカドは俺や! ってアピールしたいだけ? ミカドの息子でもあらせられる東宮の危うさが、出ちゃってるよね、この場面。それともアレ? 昔っから第一子と光源氏との可愛がりかたに、差をつけてた桐壺帝だもの、東宮のことを格別にはお気に召さないの?

そして私は1つの仮説で、とりあえずこの場面を読むことにけりをつけることにしました。それは、桐壺帝は「右大臣派の東宮の時代が短く終わればいい」とお考えなのではないかということです。時代なんて、多分どんなに政治的に介入したって天災や人災、あるいは疫病や飢饉によって、揺らぐものなんです。そんなときに評判の悪いミカドだったら「あのミカドの御世は芳しくない」「ミカドは引退すべし」という雰囲気になって、早期に世代交代が促されそうじゃないですか。桐壺帝はいずれ、藤壺とのあいだの子を東宮に立てます。この時点でそういう青写真が出来てたんでしょうねえ。現東宮も未来の東宮も自分の子とはいえ、右大臣の息のかかった現東宮よりも今後のコーディネート次第な未来の東宮にかける、と。

そして頭中将のほうが語り継がれそうなエピソードが出ます。左大臣家は落ち目の雰囲気出てきてますが、面目躍如です。ちなみに、今回のイベントで泣くのは左大臣のみです。少ない。

ま、そんな訳で、イベントでスタートしたかと思いきや、政治的な緊張というか、潮目が変わりつつあるのを感じさせる状況なのです。正直、女の尻を追い掛けてる場合じゃないと思うんですよ。あの島耕作だって結構ちゃんと仕事してますからね。光源氏さんも、しっかりしてくださいね! と願いつつ…。願う、と言ったら勿論フラグです。

■見境なく女を追いかける男を、わたしはどうやって納得したか

さて、散会となり中宮もお部屋に戻られました。皆、帰ります。

光源氏は、日中、藤壺がエラいお席にいたのを見てる筈ですし、2人の距離がますます遠ざかったのを感じたでしょう。

宴のあと、なんだか物足りないと思ったのでしょうか、酔いも覚めきらぬ精神状態だったのでしょうか、藤壺の部屋の辺りから忍びこむべくウロウロするんですよ。いや、光源氏さん、ここ、内裏じゃないですか。内裏広しと言えど、父帝だって同じエリアにいるのよ? 紅葉賀のときは「里下がりしてるからチャンス」と思ってたでしょ。あの頃のほうがまだ理性があった。

なんかこう、源氏物語を読んでいると疑問と苛立ちが混ざりあった気持ちになってくるんですよね。「この男、いつまで恋をしてるんだ。色好みが評価される貴族社会とはいえ、卒業してもいいんじゃないですか」と。

で、今回も例の挫折の予感が来ました。これはチャンス。折に触れて、いつまでも恋してる源氏に着いていけない気持ちになる。しかし、これを乗りこえなくては読み倒せない。さあ、どうしたら、光源氏をバカだと思わないで読める?

ひとつ、理想の状態があって、源氏物語がアイドルグループだとしたら、カッコ悪いかもしれないけど、私は箱推ししたいんですよね。全員好きだし推せる状態ね。それが一番全体的に楽しめるから。そのための最大の難関が光源氏。

光源氏が恋の渉猟を止めればいいのか? うーん、それなら多分読み継がれなかった。

次から次へと恋のターゲットを変えていく男が出てくる作品は全て嫌いなのか? 不思議なことに、そうでもないんだよなあ。ミッション・インポッシブルとか007とかを見てれば「お約束だなあ」「それでこそ主人公」と思うし、実は「男はつらいよ」は映画版だけだけど最低2周はしてある。違いは品定めをするかどうか、というところなのかなあ。ま、とりあえず女と思えば恋をする、それはお約束ということにしておきましょう。つまり、芸風です。

あと、光源氏は恋をしなくなったら死んじゃうからね、彼に恋をするなと言うのは、死ねっていうのに近い。生きることは恋すること。彼に関しては、そういう設定ということにしておこうか。

ついでに言えば、彼の話法で大事なのは「誰某を何々ゆえにどう評価する」と言ったときに、大事なのは「誰某をどう評価する」の部分です。「何々ゆえ」はその場の雰囲気でどうとでも言います。そこの矛盾を突いてたら、読めそうもないです。

たとえば「藤壺を欠点の無さゆえに高く評価する」と言い、「葵上を欠点の無さゆえに低く評価する」と言うのが光源氏です。これも芸風として「キター\(゚∀゚)/」と喜んで読みます。

結論:光源氏が恋をしまくるのは、お約束・芸風・設定、と見なす。芸。キャラ立ち。呆れつつも、あの子も頑張ってるんだと見守ります。


■ミ・アモーレ 朧月夜

朧月夜というのは、美人でお嬢で教養もあって、なおかつ性愛を積極的に楽しむ、という感じで人気があるようです。

と、興味薄そうに書いたのは、いまひとつ解らないからなんです。細殿で見知らぬ男にいきなり抱きしめられて怖いと思ってるのに、男が光源氏だとわかったら安心して「恋の風情もわからない女だと思われたくない」とか思って身を委ねちゃうんですよ。

えー、そんな、源氏物語の男らなんて結局どんな女にだって満足しないじゃん。そんな男らの評価なんて流されるほどの価値無くない? と思ってしまうんですが、当時の女の子たちは男日照りが一番怖かったのかなあ。非モテになることを怖いと思う女の子のことは解らないでもない。それじゃあ、ティーンだし、反抗期=青春の1ページとして思い出作りしてみた、って感じなのかなあ。

で、身を委ねた割に、自分の名前は明かさない。なんでやねん。ここは光源氏と一緒になって思います。光源氏と再会したときも、ほかの女に紛れて黙ってたのに気付かれてしまった感じよね。シラを切りとおせるなら、そうしたかったのかなあ。

実は彼女は東宮の后になることが決まってたんですよね。おそらく、そのために名乗れなかった。でも、光源氏を体験してみたかったんでしょう。うーん、これはこれで解りにくい女の子だ。

カミングアウトすると、多くの人がなさるという組織内恋愛をしたことが、私には無い。組織内だったり関係者だったりすると、その時点で予選落ちにするシステムが、(私以外にも)ある人にはあります。ゆえに、私が恋のスタンダードを理解していない可能性は、あります。

まあ、宴のあとで、彼女もトランス状態にあったんだろうなあ、というのはひとつあります。宴のあとの光源氏を藤壺の部屋辺りをウロウロさせたのと似た興奮状態にあったのかもしれない。そういう事態だったから、いつもならしないことを、してしまった。そういうことは、ありそうです。職場恋愛も知らない私だって、そのくらいの理屈は解るんです。

で、事が済んで興奮状態も覚めたときに、自分のしたことの恐ろしさを知って、名乗らなかったんじゃないか? まあ、みっともないと言えばそうなんですが、身分も高く光源氏からも恋されてるので、悪いようには書かれません。

■次回予告「葵」

さて、夕顔・若紫・末摘花と3巻続けてチラリと名前くらいだけは出てきて気になっていたいたレディ・ロクジョウが、その続きの紅葉賀・花宴ではまったく出てきていません。このことも、次の巻のための演出なんですよ、きっと。紫式部先生は、ほんとにストーリーテラーですよね。六条御息所。知名度とインパクトで言ったら朧月夜を確実に上回るであろうお方です。そんな彼女が満を持して登場する「葵」です。

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