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素人が源氏物語を読む~空蟬と夕顔(4) 想像編

どの女が一番好き? 誰が自分に似てる?

そんな質問が出てきがちなのは『源氏物語』が女子カタログみたいにも読めるから、でしょう。

1000年後の素人読者である私には、サイキック・レディ=六条御息所みたいな凄い個性とか、ナンバーワン愛され女子=紫上みたいな特別な魅力とかはありません。彼女たちに比べたら、私は水たまりのようなものかもしれません。

空の色が刻々と移ろうのが水たまりに映りこむように、ここに出てくる色んな女子のあり方のカケラを心に浮かべることができる。

空蟬も夕顔も、中途半端という意味で、一般読者にとって、とても親しみやすい存在だった。

でも、2人の性格は対比的。「どちらかといえば、どっちに近い」とか「ここの部分はこっちのほうがまだ分かるかも?」なんて思いながら読んでいるうちに、ハマってしまうの人もいるかもしれない。

1000年後の素人読者は、2人をこんなふうにイメージしました。

【空蟬】

空蟬は、夢見るリアリストなんだな、と私は読みました。

入内して帝のワンオブゼムになること、そこから寵愛を得てゆくゆくは国母となることは、その時代に目指すべき最高のライフコースだったのではないか。父親から帝へ入内の打診もあったということで、空蟬自身もある程度そのような暮らしをイメージしていたでしょう。

でも父親が死んで後ろだての弱くなった彼女は、父と比べたら全く見劣りのする身分の老人=伊予の介の後妻となった。そのときに、縁談が幾つあったのかは不明です。いずれにせよ、伊予の介は身分の高い出自の空蟬に「いたれりつくせり」の大サービスとのこと。意図的にか結果的にか判断しかねますが、暮らしの安定を得た。そのことは空蟬を打算的に見せもしました。

あるいは、光源氏から逃げたために「恋のチャンスを不意にした臆病者」だと言われもします。恋愛至上主義の方にとって光源氏に懸想されるとは恋に落ちるべき状況だというのは想像にかたくありません。ですが、人はいつでも恋に落ちる準備が出来ているものでしょうか。恋のために全てを打ち捨てるケースには、そもそも全てを捨てたくて恋を利用するケースもありそうです。

あるいはデートしないのに思わせぶりな手紙を寄越すのが潔くないズルい女に見えるかもしれません。光源氏が空蟬に執着したのは落とせなかったから。簡単に落ちる女だったら、こうも熱心にならなかったでしょう。

私には、空蟬は、パパが生きてた頃の理想の自分ではなく、いまの自分がしたいように光源氏との関係をコントロールした、というふうに見えました。

彼女は当初、「殿上人のパパが生きてる頃の私」として光源氏と恋愛関係になりたかった。でもパパはどんなに願っても戻らないし今の自分はかつての自分とはかけはなれてるのも知ってる。だから「こんな素敵なひとに抱かれたら、その後の人生が却って辛いものになる」とも思った。

彼女は「豪奢な夢を見たあとに、それとは全然違う現実を暮らしていく」ということを知っています。末摘花のように「いつまでも夢見る少女」でいる選択肢もあったのかもしれませんが、現実を選びました。パパが死んで、格下の老人の後妻になった。彼女はおそらく、夢とは違う現実を生きるということを学習しています。

不本意ながら今の自分が光源氏に抱かれたときに、彼女は3つのことを思います。

1. 光源氏は素敵だ
2. 「光源氏 × 今の自分」このカップリングは無理だ
3. 身分の低い「伊予の介の妻」として生きていく

その結果、

1. 拒みきれないと学習したから光源氏には対面しない
2. でも完全に縁が切れるのはもったいない
3. プラトニックな手紙のやりとりはOK

ということを決めたのではないのかな。そして決めたら、ほんとうにその通りになってるからね。かなり無理矢理なとこもあるけど、光源氏も滅茶苦茶なとこあるから、常識の範囲内だけでは対処できませぬよ。

零落の辛さを知ってるからこそ安定志向だったのではないかな。朧月夜みたいなアバンチュールを楽しむタイプに比べたら見劣りのする女性かもしれないけど、納得感とか自己肯定感は結構あったほうなんじゃないかな、と私は思っています。


【夕顔】

彼女は、言葉数が少なくて、その頃の女の礼儀なのか気持ちをあまり出さなくて、感じがよくて、正直よくわからないです。とりあえず、女子力高い。

拒むことで光源氏を執着させた空蟬に対して、押せばズルズルとなびく簡単な女のようなのに光源氏を夢中にさせた夕顔。小悪魔的とか魔性の女と言われたりしがち。

光源氏も頭中将も通ったくらいなので魅力的であったのは、間違いないんですが、彼女が願ってた方向性なのかが不明なんです。

気にかかるのは、
1. 彼女にはあどけない雰囲気があるとか、怖がりであるということが繰り返し書かれてるところ。
2. ほんとは山のほうに転居したかったけど今年は方角が悪くてしかたなく五条に住んでたというところ。都を捨てたかったんですね。
3. 光源氏が覆面を外しても、素性を明かさなかったところ。

あどけなさは、恋愛の臨戦態勢に入っていないことを思わせます。まあ、流されはするんですが。彼女は教育の賜物なのか呪縛なのか、あるいはただの天然なのか分からないんですが、男のひとにとって魅力的なちょうどいい女のようです。なんとなく気を引いてしまいますが、煩わしい関係から自由な少女でいたかったのではないかなあ。

怖がりというのも、何を怖がっているかといえば、はっきりしないものを怖がっている。漠然としたもの。いつまでも覆面をしている光源氏のことも怖かったんじゃないのかなあ。

あるいは、夕顔的には濡れ手で粟くらいなんでもない恋ごときで呪詛をかけられるのなんかも異次元的だったりしたのかな。「べっつにー、こんなのたかが戯れですよー、あたしって正妻とかとは全然ジャンル違うもんなんで、嫉妬とかする必要ないんですよー。身分違うんだし、もともと勝負になんないじゃん。まあ、でも娘の世話は資金面で、ちょっとお願いしたいけど」みたいな。

素性を明かさないのは、頭中将に知られるのを気まずく思っているから、というのもあるでしょうか。でも、それがなくても、明かしたくなかったのかもしれないなあ、とも思う。

素性を隠し続けるのや、うっとうしそうな感情を隠すのは、一線を引きたい気分があるのかなあ、など想像する。

わたしの想像のなかの夕顔は、モテるけど、モテる自分に飽き飽きしていて、でも癖でイケメンを引っかけちゃって。

それはそれで暫くは楽しいけど、恋なんかじゃ満たされない自分がいるのをふと思い出しちゃって、簡単で正しくて誰かに都合のよい自分が時々虚しくて。

死にたいほど絶望してる訳じゃないけど、私の居場所は都じゃない。そうだ、山に引きこもりたい。そうして誰の気も引かず関係のメンテナンスなんて煩わしいこともやめて、思いっきり深く呼吸できるような安寧が欲しい。そういうのを冥土の土産にしたい。

わたしが想像する夕顔は、そんな女の子だ。

怨念の渦巻く都は、夕顔には息苦しかったんじゃないかな。

平安女子。近いようで遠い。遠いようで近い。あ、こんなふうなの、枕草子にありましたね。

それでは、最後までお付き合いくださり、ありがとうございました。

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https://note.com/genji_beginner/n/n31905c84131a


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