ただ、素直になれたなら

 人には人の発達段階がある。
生後1ヶ月で社会的微笑が始まる人もいれば、何ヶ月経っても笑わない人もいる。発達にはこうでならないとという枠組みなど無い。
無いはずなのに、
世の中にはある。
自分には枠組みがあるような世界が見える。

 例えば、今日。友人と苦労を語り合った。
その時友人は、
「もう、これ以上辛い事は無いだろう。」と話し出した。自分にとっては、正直な話「辛いことが無いなんて絵空事を。」と。

親がアルコール依存症で、
吐いたり、
トイレで寝たり、
キッチンでうたた寝をしてぶっ倒れたり、
うつ病になってトイレに行けなくなったり、
否定され続けたり、
パートナーへ、言葉の暴力をして発散し始めたり、
朝過呼吸で床が抜けるぐらいの暴れぶりをみせたり。
恐怖というか不安感。 

「今日は無事に終わるのか」で育った。

我慢した。自分は何度も我慢した。世の中あまりにも不条理で辟易した。
この話を打っているだけで、消えたくなる。情けない。

noteはそういう場所では無い。
この話題は、心療内科だ。
この話題は、自殺相談電話だ。
そんなの分かりきっている答えだ。

何度も考えた。何度も何度も。
大泣きをして嗚咽した。

一人暮らしの部屋の片隅で「誰か助けてよ。」って吐き出したこともある。

ただ、そんな苦労話。出来たものか。
友人に出来たものか。

だから自分は思うのである。

「みんな経験して苦労すればいい」 
と。

なんて見苦しい愚かな言葉。大嫌いだ。この言葉の呪いが大嫌いだ。

こんなにも根っこが癒されていないだけで、
いとも簡単に昔の苦しい記憶が蘇る。

残酷だ。

でも親友は大好きだ。
大好きなのだ、
素直なのだ。なぜ素直かって、自分のように苦労と泥を知らないから。仕事が今までの人生の中で1番苦しかったと言われ驚いた私を叩いてほしい。殴って欲しい。

いや違う。
叩いて殴ってではない。

どうか抱きしめて欲しい。


愚かな自分に嫌気がさす。

心の傷に絆創膏を貼りまくっても痛いまま。
だから壊れたものはもう戻らないのだ。

弱い
脆い

それがわかるだけで十分に自分は成長した。

自分はその程度だ。

自分のことしか考えられない自分が憎い。

たまにこうして、「愛」が見えなくなる。
そんな時がある。

正確には常に心に有る。

打ち込んだ後には

すっと
汚い顔した自分が画面に映る。
文字を消そうとする。やめる。

全て丸めて自分で。
それは人生、旅を始めてからの今までの疲労がどっと出たのだ。汚い醜い顔。
こんな顔は、自分1人だけが知っている秘密にしよう。

なんてこっちゃ秘密になんかなれっこない。

だって
全国津々浦々誰でも見れるnoteという、街の掲示板に書き起こすのだから。

20年後の自分が後悔するかもしれない。
けれど、自分は今打つこと、今この苦しみを出すことで、今が生きれるのだ。

愚かだ。
実に愚かだ。





素直であれたらいいのに。
健やかであれたらいいのに。

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