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日々読書‐教育実践に深く測りあえるために

渡辺貴裕『小学校の模擬授業とリフレクションで学ぶ』くろしお出版、2019年。

 本書で提案されている模擬授業は、授業づくりで起きた具体的な事実をもとに振り返り、そこから出来事の意味や背後にある発想、別の可能性を考えるものである。
 
 模擬授業は、授業者がどれだけ「上手に」授業ができるようになったのかを実演してみる場ではない。本書が提案する模擬授業で大切にされているのは、授業を教師の側だけでなく、学習者の側から眺める経験である。教師側と子どもの側との捉え方のズレが顕在化すると、授業づくりに関する本質的な問いが浮かびあがることもある。模擬授業は、授業者のトレーニングの場だけでなく、子ども役にとっても、自分の学び手としての感覚を働かせながら子どもの思考を想像していくためのトレーニングの場である。
 
 たとえば、授業者には、教師が答えに行き着くプロセスもコントロールしないといけないという思い込みがある。こうした「手放せなさ」から脱するには、授業観の転換が必要であることが共有できることもある。あるいは、学習を正しい知識を学習者の頭の中に転写していくようなプロセスではなく、学習を学習者が能動的に知識を構成していくものと捉え、子どもから出されてくる「間違い」は排除すべきものではなく、学習者が自らの理屈を組み立てている証であり、必要なものとなることに気付けることもある。授業づくりに関する「正解」を誰かから教えてもらうのとは異なる学び方である。
 
 模擬授業の参加者がもともと持っている授業観や教材観に基づいた主張をし合うのではなく、授業で何が起こっていたか、そこで教師や子どもが何を感じたり、考えたりしていたのかを共有する。すぐに改善策の提案へと進むのではなく、出来事がどういう問題の現れなのかを整理し、問いを共有するふりかえりの洞察を行う。「こういうときはこうすればいいよ」とアドバイスしても、必ずしも本人のリフレクションを促すことにつながらない。望ましいやり方の「助言」ではなく、どんな問いが「共有」できるのかというのである。
 
 模擬授業の子ども役は、自分が知ったりわかったりしていることで補完するのではなく、また、「子どもはこうするものだ」という決めつけで、それをやってみせるのでもなく、その場で起こる出来事を一つ一つ経験していくことが、授業を受ける子どもがどう考えたり感じたりするだろうかということを想像していくプロセスにもなる。
 
 模擬授業の子ども役は、授業者の指示に従ってただ問題を解いたり発言したり板書を写したりするだけでなく、自分に起きていることやその場に生じていることを俯瞰する目を持ち、自分が感じたことや疑問に思ったことも書き留めおくのである。
 
 教師自身が子ども役になることをきっかけにして「分かりなおし」を行っていくことが、「専門家の盲点」を乗り越えるうえでの一つの手がかりとなるという。「専門家の盲点」とは、実際には理解がおぼろげであるのに、自分では「知っている」と思いこんでしまっているために、学習者の側が抱くその内容への分からなさが分からなくなるというものである。さらに、模擬授業で子ども役になることを通して、学習に伴う感情の動きを体験することができる。しかも、子ども役は複数いるので、それぞれの感じ方・考え方を交流し、その多様性を知ることができる。
  
 本書では、模擬授業を実際に教室で行う授業の予行演習として位置づけるのでもなく、計画してきた授業展開の実演を求める場として捉えるのでもなく、共同での試行と振り返りによって授業づくりについて探究する場として捉れている。模擬授業は、授業で起きたことをもとに対話して授業を組み立てたり実践したりすればよいのかという授業づくりの考え方を、参加者がみなフラットな関係で学び合う場なのである。
 
 なお、準備期間はまったくなしで算数の問題を授業者の学生に渡して、いきなり授業をさせる模擬授業を田中博史さんが取り組んでいることも紹介されている。授業者の学生が必死になって子ども役の話を聞こうとし、教師が事前の準備通りに子どもをレールに乗せるのではなく、教師が子どもと一緒に授業をつくりあげていく感覚を学生に味わせるという。あるいは、赤沢早人さんが取り組んでいる模擬授業も紹介されている。授業者は、「記録する」「分析する」「選択する」「観察する」「予想する」「歌で表現する」「図で表現する」など、多種多様な学習活動カードを3枚引き、そのカードに書かれた学習活動を必ず使って授業を行うというものである。

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