日々読書₋教育実践に深く測りあえるために
河崎道夫『発達を見る目を豊かに』ひとなる書房,1997年。
子どもの遊びの意味は、身体や身体的機能、ことばやイメージ、社会性などの力や機能、特定の性質などの発達にあるわけではない。手先の不器用さが問題となったとすれば、それはだから独楽回しやモノ作りを教えたらよいということではない。独楽を回せる技能を獲得することが大事なのではなく、独楽を回すことのおもしろさの経験が重要なことだと本書は指摘する。
発達にとっての遊びの意味を、あれこれの身体的知的社会的技能の発達というふうに狭くとらえてはならない。様々な対象に対するそれぞれのおもしろさ感覚の深さがその子の固有の自我感覚の土台になるという。遊びは、たくさんの格闘を経験することで、子どもがかけがえのない自分に出会う機会をつくっている。また、自分の人生を生きている人たちとの出会いを積み重ねることが、一人一人の内面の憧れを豊かにし、その豊かな憧れからかけがえのない自分を見つけたり、育てたりすることの土台になるという。こうした指摘の背景には、空間も時間もみんな管理され、規格化されてしまった状況の中で、のびのびとした遊び魂がゆさぶられる思いをなかまと共有できる遊びが抑えられてしまいがちであるという認識がある。1983年発売のファミコンは、「おもしろ」をパッケージにして大量生産で商品化して家庭内で楽しめるようにしたものであり、1983年営業開始のディズニーランドは、広い場所に「おもしろさ」を集めたものである。
本書は、社会に生きる人間として、あそびと発達が追究されている。