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なかなおりしたのだから、ごめんなさい、言うわけないじゃん

  私が所属する日本教育方法学会が来年度に60回大会を迎えるにあたって、『教育方法学辞典』を編集している。私も編集委員として参加し、「学校と家庭・地域の連携」の章を、学習院大学の秋田喜代美さん、神戸大学の川地亜弥子さんと担当している。学校を中心とした家庭や地域との連携ではなく、「学校・家庭・地域の連携」に章タイトルそのものを変えることを、全体の編集委員会で提案することになっている。学校のために家庭が連携するのではなく、学校も家庭も育ちあう連携とは何だろうか。

 宮崎市に、子どもが生まれる前からここに子どもを入れたいと考え、さまざまな学習会に夫婦ともども参加させていただいていた保育園がある。でも、息子が生まれていざ申し込む段階になると、家からの距離が遠いことが支障になった。迎えに行けない日がどうしても出てしまう。アパートを新たに借りることも考えたが、結局はあきらめた。その保育園に行くと、いつも園長が子どものことを話し始める。

 3歳の子ども同士がけんかしたという事件があった日に、けんかした子どもの保護者に、ある子どもが二人がけんかしたことを報告したという。保護者は自分の子どもを呼んで、「ごめんなさいは言ったの?」と尋ねたら、それを聴いていた、ある年長さんが「なかなおりしたのだから、ごめんなさい、言うわけないじゃん」と保護者をたしなめたという。「子どもたちで解決したことに、おとなの論理を押し付けるなと、子どもたちに注意されました」と、保護者が園長に話したというのである。

 子どもたちに保護者が学び、保護者の学びから保育園が自分たちのあり方を問い直し、さらに保育園が子どもたちの自治を大切にしていく。学びが連鎖している保育園なのである。手つなぎは、互いが育ちあう関係である。保護者が変わると保育園が変わり、保育園が変わると子どもが変わる。子どもが変わると保護者が変わる。あるいは、保護者が変わると、子どもが変わり、子どもが変わると保育園が変わり、保育園が変わると保護者が変わるのである。

 自己を変容させる他者とのかかわりを大切にする、変わった保育園である。子どもの育ちに深い関心をもつ変わり者が集まってくる保育園でもある。この「変な」保育園をどこに住んでいても通わせることのできる「あたり前」にするには、どうすればいいかを、家へ帰る車のなかでも考えていた。どこにあるかではなく、どこにでもあるようにするには、自分には何ができるか。心が躍る時間となった。

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