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周囲から見られているという自意識に疲れる。何をどう変えたらいいですか?

   4月29日付の宮崎日日新聞に掲載された記事に投稿した文章である。20代の女性からの質問だった。

 「自分が周囲からどう見られているか。とても気になる。時々気になるというレベルではなく、毎日気になって仕方がない。だから、すごく疲れてしまう。」
 質問に耳を傾けると、疲れる日々を繰り返すというところに、苦しさを感じます。仕事に差し支えはないのか。不利益を被っていないか。あなた自身は、自己の心身への影響を点検する必要があります。
 でも、あなたは、苦しさの正体にも気づいています。自分が常に誰かに見張られているという客観的な事実ではなく、どう見られているかが気になるという主観的な解釈にあることに。「周囲から見られている」というのは、勝手な思い込みです。だが、そこから自由にはなれない。しかも、他人に合わせようとすると、自分自身を見失ってしまう。ましてや、自分の仕事は、職場内の人間から気に入られることでもない。でも、他者に承認されたいという自己への執着からは自由になれない。
 他者からの評価を気にせずに、自分自身を貫くにはどうすればよいか。
 一つには、「この人は私に何を与えてくれるか」ではなく、「私はこの人に何を与えられるのか」と、対人関係のあり方を変えることです。そのさい、よいかどうかと自己の言動を評価するのではなく、「ありがとう」「助かったよ」という感謝の言葉や「うれしい」という喜びの声が思わず相手から出てしまうような関係を日々大切にしなくてはなりません。
 二つには、暮らしをていねいにすると、暮らしそのものが自分を指導してくれます。パートナーが疲れていたら、役割を替わること。相手のことを考え、もうひと手間付け加えること。何かを買う前に、本当に必要かどうかを考えること。自分の口に入れる食べ物や飲み物はどのようにつくられているかを知ること。自分自身を何か特別な存在にしようとするのではなく、あたり前の日常のなかに、自分が大切にしたい価値を見つけていくのです。
 三つには、なにが起こるかわからないような異質な世界に参加することです。違いをおもしろがり、違いのなかに同じところを見付けることで、自分の囚われや偏りを学びほぐす機会をつくり、自分のなかに多様性が生まれるようにするのです。
 自分の何をどう変えたらよいか。自分にはまだまだできないところがある。自分自身が不完全であることに向き合いつつ、前向きに学び続ける。前向きな不完全さを大切にしてほしいと思います。


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