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東京に行った話(3/23〜3/25)

自分は惹き合う運命(アサルトリリィオンリーイベント、同人誌即売会)に一般参加するために東京に向かった。以下はその記録である。

3/23

 松山から出発した日だ。この日の松山の天候は雨。しかしながら私にとっては小雨であったために傘を使う必要がなかった。それよりもバスを間違え、空港行きのリムジンではなく一般のバスに乗ってしまい、満員バスに立っている方が辛かった。
 松山空港に少し早めに着いた自分はヘミングウェイを読んで時間を潰しつつ飛行機を待つ。えっ、遅延。わかった。なんとか飛行機に乗り、東京へ向かう。飛行機に乗ったのは久しぶりである。これほどの金属の塊が揚力を得て浮かぶのは理論では理解していても中に乗って外を見ると感動するものであった。

下に見える雲

 飛行機が振動したり、逆噴射のGに驚いたり、気圧変化で耳がやられたりしつつもなんとか東京に着いた。
 最初の感想はびっくりであった。羽田空港、デカい。自分が行ったのは第一ターミナルのみであったが、それでも松山空港の何倍もデカい。搭乗口がたくさんある。荷物受け取り場がたくさんある。レストランなどの施設もたくさんある。自分はここで東京という場所の規模にびっくりした。
 それから東京モノレールに乗ってホテルにチェックインしに向かう。トランクを引きつつ移動し、事前に入れておいたモバイルSuicaによって滞りなく通過できた。ふむ。携帯でチャージから支払いまで完結するというのは素晴らしい。
 天王洲アイル付近のホテルにチェックインし、トランクを置きに行く。もちろん天王洲アイル駅からホテルまでは何度も迷う羽目になる。Googleマップを用いてもこうなるのだから、過去に紙のマップで旅行していた人の苦労は考えるまでもない。私ならホテルに辿り着いてない。ビルはどれも同じように見えるために目印にするのは難しい、山とか海とかを目印にしたいところである。
 ホテルにチェックインし、荷物を置いた後は何年かの付き合いになるdiscordのあるサーバーの友人とご飯を食べに渋谷に向かった。なお、この途中で品川駅を見、今までで見た1番大きな駅に感服していた。また、通路の大きさにも感服していた。
 渋谷に着く。おお、ここがあの渋谷。カオスヘッドやカオスチャイルドの舞台になった渋谷。スクランブル交差点や109を見て、自分はここが本当に1.7mの人間が暮らす街なのだろうかと思うほどであった。本当は4mくらいの巨人族が暮らす街なのではないか。街の大きさに圧倒されつつも自分は友人と共にご飯を食べに向かった。この時に曖昧な「肉が良い」「予算は2000円くらいがいい」という要望に応えてくれた友人にはここで感謝する。イタリアンレストランに入り、ピザを頼んだのだがなかなかに美味しい。肉肉しい感じのピザで、私好みだった。その後人生初となるケバブを食べたり、本当に都会にはクレーンゲームとプリクラのみのゲームセンターがあるという百聞を一見にしていたり、とぶらつきを行っていた。

109

 その後、疲労と明日のオンリーイベこそ目的であるために早くに別れる。駅の表示がわかりやすかったために迷うことなくホテルに帰還できた。また、品川駅からのシャトルバスにも助けられた。
 ホテルは12階に泊まることになった。12階。松山にそれほど階層があるビルは存在しない。少なくとも一般人が入れるものはない。そんなところに泊まるのかと戦々恐々としていたものの、案外普通のホテルであった。ベッドがあり、机があり、ユニットバスにタオルが置いてある。普通で助かるところだ。
 この日はユニットバスに苦戦しながらも湯船に浸かり、少しでも疲労を回復させた。カーテンの使い方を調べることになったものの、概ね上手く使えたのではなかろうか。そしてベッドに入り、普段とは違うサイズのベッド、寝返りを打っても落ちない、に寝転がり普段とは違う硬さの枕で寝る。睡眠薬と疲労のおかげでなんとか1時間程度で眠りにつけた。

3/24

 この日は待ちに待ったオンリーの日である。しかしながら、起床したのは午前7時近くである。無料朝食を食べて準備しても8時くらいであろうか。ならばせっかくだし観光に行こうとなった。
 朝食は無料ということもあり、少し遅めに行こうと7時半に向かった。6時半からだし、7時という時間にそれほど多くはいないだろうと思っていた。その目論見は当然外れる。松山の感覚で生きていてはいけないのだと認識させられる。ホテルのロビーにも並ぶほどの列だった。ざっと概算してみると一フロアに60人ほどが泊まれ、12フロアが宿泊に使われている。すると720人。なるほど。それではまだこんなに混んでるのも納得である。また、人がごった返しているエレベーターでは様々な言語が聞こえてきたのも覚えている。何とか無料朝食にはありつけた。スクランブルエッグやウィンナー、マカロニサラダとパンとご飯を食べた。パンとご飯両方食べるのは食べ過ぎだったと思うが、結果的にその後に役にたった。
 その後に観光に向かった。山手線に乗りながら東京駅に向かった。朝9時くらいだったためにそこそこ混んでいたものの、さすがの輸送力でもうこの時間には普通に吊革を握って立てるくらいには空いているものだなと感服した。あの人数を一気に輸送することができるのはさすがだ。山手線も一つの観光名所であろう。
 どこに向かったかというと皇居である。なぜ皇居という疑問もあるだろうが、東京に初めて行く身としては一度見ておきたいのである。なお、この日には乾通りが一般公開されていたため見に行った。綺麗な庭である。桜はほとんど咲いておらず、冬の木々という感じであったが、その中でも一本に桜が綺麗に咲いていた。

綺麗に咲いていた桜

 その後、乾通りを通った後に皇居の裏側に出ることになった。問題はここからであった。ここで宮内庁から引用した地図を挙げる。

皇居周辺の地図

 乾通りを通過し、乾門から外に出ると東京駅とは真反対の方向である。また、自分は竹橋駅から大手町駅に行くことで山手線に戻れると考えていた。実際はそうではなく、竹橋駅で路線図を眺めていて、これ山手線に乗り換えられるところに行かないのではと駅員さんに聞いたところ、全く違うと言われたために次は大手町駅に向かおうとした。しかしながらここも山手線は通らない。What?と思いながらも詳細を見て気づいた。大手町駅が山手線の地下を通っているだけで山手線とは接続していない駅なのだ。ねじれの位置にあるだけなのだ。そうして結果的に皇居を半周し、東京駅からオンリーが開催される浜松町へと向かった。

 自分はこのような同人誌即売会イベントに参加するのは初めてである。緊張で汗が止まらない。初めてつけるリストバンドがうまくつけられない。何度か列に並びながら深呼吸をして、開場時間になる。
 まずは買いたい本の中でトップにあるサントウカさんのみさとう本を買いに行き、その後は魔女宅さんのところに挨拶と本を買いに行き、と様々な本を買った。何冊も買っていたが、正直なところここまでの強行軍で足が限界に近づいていたため、普段の運動不足を呪いながら、ベンチに座ったり、ローソンに迷いながらたどり着いてCCレモンを買ったり(ここでセルフレジを初めて使った)して時間をただ幸せな時間に費やしていた。コスプレイヤーという人を初めて見たのもあってびっくりしつつもキレイでかわいいと思った。アサルトリリィは男性のコスプレイヤーも多いが、男性と気づかないくらいであった。
 その後打ち上げに行き、バーに向かった。これもとても楽しかった。FFの人もいたものの、初めて話す人もいて、うまく話せるか不安になりながらも楽しく話すことができた。何を話したかをここでは詳しく言えないものの、楽しすぎてホテルに帰ったのが日付を回ったくらいであった。
 創作に役立つことを聞けて良かったと思いつつ、ホテルに帰ってシャワーを浴び、泥のように寝た。

3/25

 帰還の日である。無料朝食は前日で学習していたために遅くいくことにするとして、問題はトランクであった。エアポーターというトランクを空港に運んでもらうサービスがあり、それを予約していたのだが、9時までにトランクをホテルに預けないといけないのである。ゆえにそこそこ急いでトランクを準備した。一応使用済みの服などを袋に入れてトランクには入れていたり、翌日使用する服などをトランクから出して机の上に置いていたりしていたためにそこまで手間ではなかったものの、しかしそれでも寝間着を入れるなどを行い、何とか8時半にご飯を食べに行くついでに預けることができた。
 その後に外に行く服でベッドに寝転がりながら時間を潰していたものの、9時半近くにチェックアウトし、品川駅へ向かった。この日は秋葉原に行こうと思っていたのである。品川駅から秋葉原まで向かい、その後に当然ながら秋葉原駅の出口がわからなくなり、昭和通り口から出てしまい遭難した。その後練り歩きながら電気街の方に出てこられたが、そこはシュタインズ・ゲートで見たことのある秋葉原だった。なお、UDXの方面にも行ってみたかったがそっちは終ぞわからなかった。
 秋葉原は想像より様々なものがある、が感想だった。はんだこてや様々な国用の電源タップも存在し、また光ファイバーを売ってるという看板もあった。オタク文化の街でもあったが、電気街の街でもあったと感じる。街というのはそこに住む人々の外部記憶を陳列したものであるのだが、昔の外部記憶が電気街であり、今の外部記憶がオタク文化なのだろうと感じた。あの街は自分が再び訪れた時にはまた別の様相を見せるのだろうと感じる。テセウスの船に住む人々はパーツが取り替わったとて小さすぎて変化に気づかないが、テセウスの船にたまに訪れる人は訪れるたびに大きく変化していることに驚く。そういうことなのだろう。
秋葉原に行った目的であるアゾン秋葉原店に向かい、そこでフォロワーと偶然に出会い、そこからドールを買うなどし、コメダ珈琲に行った。チェーン店は松山でも東京でも味が変わらず、これは良いことだった。安心と安堵が得られる。

アゾン秋葉原にあったアサルトリリィの展示

 その後はガンダムベース東京に行くためにりんかい線に乗り、お台場へ。この時点で結構身体の疲労がたまっていたものの、何とかまだ動けるペースだったため向かう。ガンダムベースは様々なガンダムの展示、ガンプラの販売があり、これはすごいと感心しつつ、しかしながらレジは混み、かつガンプラを買ったとて持ち帰りにかなりの労を有するために断念し、実物大ユニコーンの写真を撮ることで良しとした。

下から見上げると凄い1/1ユニコーン

 この後少し休んで日本科学未来館に向かい、インターネットの物理モデルや、馬を再現したロボット、地球温暖化を模型化したものと様々な展示を見た。個人的にインターネットの物理モデル化したものはわかりやすくて良いと感じた。ビットを白黒の球で表し、文字をデータ化することを8つの球で表現し、送信先と送信元アドレスをそれぞれ4つの球で表し、と簡易的にインターネットを再現したもので、本を読むよりこうやって模型を一度見る方が理解しやすい、百聞は一見に如かずを再び味わった。
 そしてここからは帰る過程である。りんかい線から東京モノレールに乗り換え、羽田空港第一ターミナルに向かい、天丼とそばのセットを食べ、トランクを受取り、飛行機にチェックインし(ここでも苦労したがそれは別の話だ)、飛行機を待つ。この飛行機を待つというのもなかなか曲者で、出発口が無数にある。松山では3つだったのが、羽田空港、それも第一ターミナルだけで数十個だ。ひえー、となりながら、かつ動く歩道などに驚きつつ、自分は何とか松山に向かう登場口付近に座ることができた。そしてマッサージチェアでくつろいでいた時、一本のメールが入る。

これを目にした時、自分はとても心配した

 遅延は良いけど、引き返す……!? Wait,what? ちょっとまずい。薬はたくさん持ってきているものの、引き返すという不確定事態が発生すると確実にパニックを起こす。慣れてない環境ゆえに汗が止まらないほどに交感神経が働いているのは感じるのだ。それ以上のストレスがかかると抗不安薬でもコントロールできるか怪しい。
 結果的には無事に松山の地に降り立つことができたものの、飛行機の中で揺れるわ、羽根がたわんでいるのが見えるわで恐ろしかった。松山に降り立ってからはもう慣れたものである。シャトルバスでJR松山駅まで戻り、あとはタクシー。そして階段しかないアパートをトランクを担ぎながら登り、自宅へ帰った。

感想

 東京に初めて行ったが、個人的にはかなり安心でき、楽しい旅だった。あまり無理な日程を組んでいなかったり、事前準備を綿密に行ったり、自分の主治医に聞いたり、JALの窓口で助けてもらったりとたくさんの助けのおかげなのだろうと感じる。ここで感謝を申し上げる。
 また、東京という街は蜃気楼の街というイメージがまた一層強まった。今までは東京は情報だけが流れ込んでくるが、それが本当にその街なのかというのが実感としてつかめなかった。しかしながら霧の中に入ることでその街は実在すると感じることができた。ただ、同時に変化が激しいと感じたこともあり、出てまた入るときには大きく変わっているかもしれない。蜃気楼、もしくは不思議のダンジョンのように。自分はそう感じるのだった。
 巨人族の街。蜃気楼の街。自分は様々な印象を東京に抱いた。だが、楽しかった思い出だけは真実である。自分はこれを胸にいつかは再び即売会に行ったり、サークル参加したりしたいと思った。


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