積乱雲の記憶(八)



カード。

見せた相手にその領域の影響が出ない様に、その容量のメモリが必ず読み取れない程の
バイト過多となる事を示すカード形式の保存は
自分に任されている。

ネロ領域は信頼されている。この社会で。
界隈で。脳の領野に於ける新規託生の感覚器官として示されたカードは通行手形や、
身分証、または見なくても分かる形式として持ち歩くだけ。

他者の幻覚領域に存在している事がすぐさま理解できない人物は家に帰っても、外に居ても、
関わる事を干渉される領野的洗脳区域指定された個人として危険だと言う。

この世界では一般的な常識だが、
視野覚と言い、視野に挟まるものに感覚を移譲したモノが、この世界領域では見えないモノだったりすると、又は存在する別の感覚領野を使用している者だったりすると、自己責任の度合いは高まる。分からなければどうしようもない。
己の責任十分な領域が信頼に足る事が重要視される。しかも己が為に己がマスターした己の人生を生きる為にあるその規格基準だから、
他者による使用は不可能。

OLのサラリーマン風のスーツ姿が、
子侶の行きつけの神社へと入っていった。
他者と異なる衣服を。
私はそう思った。
神社に置かれた物や落ちている物。
それらは感覚器官の蓋。
次元に貼られたステッカーを剥がすと、
その領域に窓が開きそこで使用した感覚器官の
良かれ悪しかれ全域に於いて使用しなかった部分を譲り渡す事になる。
信頼される神の保存形式に叶う物ならば、
神前へと侍る資格がある。
自分が行う行為は、この領域に於いて
無駄なく完璧な何者か、
個体でなければいけない。
しかしながら他者の影響を捨てる為によりも、
そういう影響を持ち込まない事が最低限。
その時私は、神域の一部なのか外側からの拝啓人なのか、それが分からない。
神に担う人物にとって、そこいらに認められる者かどうかは重要。
ある空間の位置を占める個体が単に空間に居る。
そういった事の難しさ。
あ、人間世界よりはマシか。

お祈りを済ませ外へ出た。

私に契約させると、神前儀式の様になる事を見込んだ上司が、そういう事にしか使えんだろ、と
言った事がある。
ある生贄を生贄の供にするつもりで契約すると、
その生贄の運命は淘汰され、儀式的には
黒く塗りつぶされた書類だけだ。
あるだけで御守りだから、少なくとも畏怖の念は持っていなくては。
会社側にも礼儀を欠いた俎上は許されなくなるが、そういった事だけで穏便に会社が経営出来るならばそういう役目だ。


ある役目を背負う女。

ある寛解。

常にある神域への畏れ。


子侶は、寺院を持っている。

寺院内で展開とする行為をすると、
ある状態に完全信仰を得る事になる。

展開は体外的行為だが、
信仰は、ある状態と一致させある状態を
完全にする。

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当時、子侶は
こう思った。
通常人間が通る道の
通りすがりに、ある神域が重なっていたら。
ある神は普通、神域に囲われていて、
ある人間の洗脳妄想領域とは異質で、
ある信頼に足る者でないと
その者の、普段考えている領域は
真性のせん妄。
この世を別つ。
理解に足る街並みは何処へ行ったか。
そう思うこともしばしば。
自分がここに居て、
相手がそこに居ない。
これは思うよりも危険なのだ。


ネロ領域は書き込み続ける。


続く

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