妖艶なメルセデスのクーペ W208型 CLK
メルセデスベンツにだけは、一生乗らないと思っていた。
周囲にもそう宣言していた。
にもかかわらず、私は、20世紀の終わりにベンツを買ってしまったのである。
車種はW208型の「CLK200」
CLKは、CクラスとEクラスの中間に位置するような2ドアクーペであった。
惹かれたのは、これまで乗ってきた日本車のクーペにはない、妖艶なエレガントさを持っていたからだ。
同じドイツ車でも、BMWのクーペが持つスポーティーさとも違う。
カタログ写真はどうも不恰好で、デザインにアンバランスなところはあるが、実物は伸びやかで流麗なスタイルである。
特に斜め後方からのデザインが特にカッコ良く、なんとも表現し難い妙な雰囲気が漂っていた。
バブル期前後のベンツと言えば、一つには質実剛健な4ドアセダンのイメージがあったが、もう一方では、権威主義の象徴のようなクルマでもあった。
平たく言えば、横柄で威張っているヤツが乗っているイメージで、クルマのフロントデザインからもメーカーの思惑を感じとれた。
だから私はベンツが嫌いだったのだ。
だがそれは氷山の一角を見ているだけで、客観的に、メルセデスベンツの設計思想や、安全への考え方そのものには、感銘を受けたものだ。
時代は変わって、フロントマスクが丸目になったり、Aクラスのようなコンパクトタイプ˚が出てきたこともあって、個人的にはベンツの負のイメージは大分払拭された。
ただそれでも、CLKのエレガントさの中には、どこか下品さが入り混じっていたのである。
クルマの場合は、ある種の下品さが魅力となり得るが、これがなんとも表現し難い妙な雰囲気の要因だったのかもしれない。
まさに妖艶なオーラなのだ。私は雰囲気に呑まれてしまった。
CLKには320と200があるが、私のは廉い方の200であった。
エンジンパワーは2Lで130馬力しかなく、動きが鈍く、とても遅いクルマであった。
これは飛ばすクルマではない。優雅にゆっくりと走らせるクルマなのだ。
特に夜の港区に似合うクルマで、私は走りではなく雰囲気を楽しんだ。
正直に明かせば、その雰囲気の中には、優越感のようなものも含まれる。
ボンネットのスリーポインテッドスターは、優越感のようなものもドライバーに与えて、人を変えてしまうのだ。
それは周囲の人間が、ベンツに対する一定の社会通念とも言える共通のイメージを持って接するからである。
関係者、知人、ホテルのドアマンから路上のドライバーまで・・・
都市部での運転も楽になった。
実際、同時期に乗っていたフィアットバルケッタと比べても、楽に車線変更ができるのを実感できだ。
東京の街や首都高を運転していると、強引に車線変更しなければならないシチュエーションに遭遇することがある。
当時、ベンツに乗っていた期間は、車間を詰めてくるような輩にも、ただの一度もクラクションを鳴らされたことがなかったし、むしろ道を空けてくれた。
以上、私がベンツに乗ってみた実感である。あくまで昔の話であって、現代の世にベンツのブランド力がどこまで及ぶかはわからない。
日本人の運転マナーも昔に比べて遥に良い。たとえ大人しそうな小さいクルマに乗っていても、ウインカーを出せば、大抵の人は道を譲ってくれるだろう。ベンツだからといって特別なわけではない。
ただそれでも、高級ブランド車を買うと、それを享受するかどうかは個人の問題として、間違いなく優越感も一緒についてくるということなのだ。
承認欲求を満たし、自己肯定感を上げることもできれば、横柄な人間に成り下がることもできる。クルマに罪はない。
機会があれば、私はまたメルセデスのクーペかカブリオレに乗りたいと思っている。