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422_核PーMODEL「гипноза」

きた。衝撃が電撃のように全身を駆け巡った。そうだ、いつもそうだった。とっておきの曲に出会えると世界が途端に見違える。子どもの頃から一つの曲に夢中になると、同じ曲ばかりを何度何度も飽きることなく聴き続ける。しかるして、そういう数多の音楽との出会いの経験を我が血肉にして、私はなんとかこのクソッタレで忌々しくも離れがたい憂き世とやらに足取りを残してきた。それで生き抜いてきた。

友達の全くいなかった灰色の青春時代も、どう見ても型の古くなったいとこのおさがりのMPプレーヤーひとつでどうにかやり過ごせた。誰にどう思われようが、平気だった、ようなふりをしていた。少なくとも音楽を聴いている時だけは。違う星にいっていれば、もといた地球のことなんか忘れるに決まっている。半ば、ずっとそう思い込んでいた。

曲を聴いているその時だけは、私の中で急に私の目を通して見るこの現実世界の視界の解像度が上がるようだ。外を歩けば、陽の光の眩しさや、木漏れ日の美しさ、葉に宿る葉脈のひとつひとつの細部までが、まるですべて意味のあるような実像になって映ってくる。

自分がこの現実世界に生きていることの実証実験をしているようだ。その全てが自分ごとのように真に迫ってくるというのだろうか、お前がこれまで見せられていたのは全て嘘まみれの虚像そのものの茶番だったぞと言われているようだった。自分が自分にコミットできる瞬間というものを得ることができる。

これまで出会ってきたそれぞれの音楽が自分にとって別の場所へアクセスするための一つ一つのパスワードとなっていて、それによって仮想現実から段々とリアルの世界に移相していっている。いわば音楽は自分にとって、真言=マントラなのだ。ふとそんな過去に何度も考え付いた厨二病じみた妄想が、まさに読経する車(マニ車)のように甦る。

未だにそんな妄想にとらわれているのかと笑いたくもなるが、幸いと30の半ばを過ぎた今でも、そのパスワードの一つを手にいれたのだ。どうやらまだ捨てたもんじゃないらしい。そんな世界の見え方にもやがて慣れてくると、これで自動的に脳内でOSが最新にアップデートされたのだなあと感じる。

こうなると、夜寝る前までに曲を聴き、寝床でまた目を閉じながらその曲の余韻を味わい、朝目覚めると同時に、まず真っ先にその曲を聴くようになる。隣に妻も寝ている手前、起き抜けに私がイヤホンでいそいそと曲を聴く姿を見られると、バツが悪い。

トイレや朝のシャワーなどなるべく妻のいぬ隙間を狙って、まさに間隙を突くようにして曲を聴くのだ。妻がいるときは素知らぬことのように朝食とコーヒーを食べるのだが、頭の中では当然曲のサビ部分がずっとリピートしている。まるでとんでもなく間抜けなことをしているようだが、仕方のないことだ。

草食動物がサバンナで迫り来る天敵に怯えながらも草を喰み続けているのと同じ道理だ。これを糧にして、私はなんとか生き延びねばならないからだ。そんな必死な姿を見せぬわけにはいかぬ。人が生き死に関わる時であっても、常に泰然としていなければならぬのだから。そう自分に言い聞かせていた時に、出し抜けに妻にこう突っ込まれる。

「あなた、また音楽聴いていたでしょ」
「なんだよ、急に」
「分かるわよ、あなた自分では私にバレてないとか思っているかもしれないけど、もうすぐわかるんだから」
「聴いていないって」
「なんかソワソワして私の話なんて上の空って感じの時はそうなのよね」
「そ、そんなことないって」
「はいはい、もう私のことなんか気にしないで、好きに音楽でも聴けばいいじゃないの。別に怒らないんだから」
「わかった、わかった。もう仕事行くよ、今日は遅くなるから」
「あら、そう、じゃあ。いってらっしゃい」

やれやれ、妻がわかっていない。私が妻の前でとっておきの曲を聴かないのは、それはなんとかこちらの世界に戻ってこれるようにするためなんだ。なんとかフックをかけておかないといけないんだ。その理屈を事細かに彼女に説明するのはとても難しいことなんだよ。私はドアを閉めつつ、曲の歌詞の一部分を声を出さずに囁いた。

「知り得たことの数々は キャタピラの跡の 水溜まりへ 投げ捨てた空晴れ晴れと 思い出す君の 唯一無辺」

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