はじめに|私たちのとうびょうき:死んでいないので生きていかざるをえない|青木志帆・谷田朋美
「とうびょうき」と聞いて、あなたはどのようなものを思い浮かべるだろうか。
子どもが突然がんを宣告され、つらい抗がん剤治療の末に奇跡の回復を遂げる物語だろうか。あるいは働き盛りの男性が、聞いたこともない難病を宣告され、少しずつ運動機能が奪われ、最後に亡くなる物語か。
「とうびょうき」といえば、このように「元気」か「死」かの2択しか用意されない。そうしたわかりやすいストーリーが勇気と感動を与え、より好まれるからだ。
しかし、慢性疾患(※)のある私たちの日常は、そのような結論からは程遠い「グレーゾーン」の中にある。完璧に元気になれるわけでもなく、かといってすぐに死んでしまうわけでもなく、「死んでいないので、生きていかざるをえない」。そして、グレーな私たちは、生活のさまざまな場面で、社会との間で、軋轢を抱えている。理解を求めようにも、何をどう理解してもらったら自分が楽になるのかもわからない。 ライフステージのさまざまな場面で、世間が求める「ちゃんと」ができないことによる自己不全感ともやもやを抱えて生きている。
そんな私たちが「とうびょうき」を書いたらどのようなものになるだろうか。もう「治る」ということが期待できないので、今さら病と闘う「闘病記」もないだろう。では、病から逃げているか、と言われると、まぁそういう側面もないわけではないので「逃病記」かな。慢性疾患のある人たちの生きづらさに光を当てるような「灯病記」になれば、いいなぁ。そもそも、私たちのような「治らない」存在を社会はどのように受け入れることができるのか、「病」を問い直す「問病記」もあり得るかもしれない。
なにはともあれ、「とうびょう」を行ったり来たりしながら、ままならないいのちを生きていくための言葉を二人で紡いでみたいのである。
2023年3月8日 青木志帆・谷田朋美
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